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やどりび  作者: ファット爺
第六章
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治癒の乙女

 雨が降り続いている。湿気にむせ返る宿屋で、ティファ達は何日も足止めされていた。

「さすがにこう続くと気が滅入るな…」

「宿代もバカにならないのに…」

 恨めしい顔で窓の外を睨む。町の野良クエストも、とうにやり尽くした。ギルド支部がある町ならばもう少しあるだろうが、そう都合よく辿り着ける訳もない。

「仕方ねえ。馬車乗るか」

 工具を磨き終えたガジが立ち上がる。「馬車?」と尋ねると「そうだ」と返ってきた。

「比較的街道も安全だしな。乗り合い馬車なら、次の町まで半日ってとこだ」

「なんだー早く言ってよ」

「……もしかして、高い?」

「このまま無駄に宿代払い続けるのと、どっちがいい」

「うっ…」

 空は暗く、未だ止む気配はない。いつ晴れるかもわからない天気に左右されるよりは、とティファは諦めて後者を選んだ。

 町から出ている乗り合い馬車は思っていたよりも大きく、6人程が対面で座れる構造になっていた。他にも商人風の男性と小さなサマラ族の少女、同業か旅人らしい若い女性が乗っている。

 1人だけ体格が2メートルを越えるガジを乗せて引かなければならない馬を思い、少しだけ同情した。

「ガジ縮めよ」

「無茶言うな」

「私膝乗ろうか」

 2人分の幅を取るであろうガジに申し出て、勝手にガジの膝に座ることにした。存外座り心地がいい。

「いいなこれ。あったかいし」

「湯たんぽ増えてよかったな」

「増やすな」

 呆れて嘆息するガジをよそに、窓から見える景色を見た。外は昼とは思えないほど暗く、分厚い雲に覆われている。窓を叩く雨粒が線を描いて流れていく。車輪の軋む音と雨音だけが、狭い車内に規則正しく響いていた。

 徒歩で行けば3日は掛かるだろう道のりを半日まで短縮できるのなら、今後も積極的に使ってもいいかもしれないな、とふと思った。


 ──静かな車内で、どれほどの時間を過ごしただろうか。時計もなく、日が見えないので感覚はわからない。外はまだ、しつこく雨が降り続いている。

 異変は、突如訪れた。

 がたん、と大きく車体が揺れる。直後、馬のいななきが聞こえた。何かと思う間もなく車体は旋回を始め、大きく身を揺さぶられる。

「なんだ!?」

「ぐえ…」

 車内でも混乱の声が上がる。ガジの膝に乗っていたティファは頭を抱えられ、胸板に潰された。

「ガジ…ぐるじい…」

「トリュー、外見ろ」

「わかった」

 ティファの訴えは届くことなく、トリューは窓を開けて身を乗り出した。雨粒が車内に吹き込む。その先で、馬が追い立てられている。

「魔物だ。狼みてえなやつが数匹」

「ダウンズウルフだな。お前そのまま仕留めろ」

「おっけ」

 窓からトリューが飛び出して行く。「私も行く」とガジから離れた瞬間、車体が大きく傾いた。

「うわああ!!」

「きゃあ!」

 乗客の悲鳴と共に、ごっ、と底が何かに乗り上げる感触があった。次の瞬間、天地がひっくり返る。

 がらん、がしゃん、と木材の裂ける音。窓硝子が砕け散る音。重なり合う轟音の中、旅人風の女性の体が、投げ出されるようにして窓の外へ消えた。

(しまっ──……)

 伸ばした指先が空を切る。

 直後、ティファ自身の体も宙に浮く。重力の向きがわからない。背中から、それとも肩から──強く何かへ打ち付けられ、息が詰まった。車内で乗客同士の体がぶつかり合い、誰かの悲鳴と呻きが入り混じる。

「大丈夫かお前ら!」

 雨音に混じってトリューの声が聞こえる。ティファの背中には柔らかい感触があった。

 ──誰かを敷き潰している。早く出なくては。

 ガジは天井へと位置を変えた扉をぼごん、と殴り飛ばし、巨体を外に引きずり出した。雨粒が顔を叩く。

 次いでガジに手を引かれ、ティファも外へ出た。乗客を次々に引っ張り出し、怪我の有無を確認する。

「大丈夫か嬢ちゃん」

「え…ええ…何ともないわ」

「そっちは」

「うわああ! 腕が! 腕が折れたあああ!」

 商人風の男は酷く狼狽え、パニックになってしまっているようだった。腕を取ってみるが、多少出血しているだけ。それよりも、投げ出された女性の方が気掛かりだった。

 辺りを見回す。ダウンズウルフの群れはトリューに任せて良さそうだ。御者も無事のようで、2頭の馬を落ち着かせている。

 ふと、雨音に紛れて微かな呻き声が聞こえた。車体の下からだ。

「いた。この下だ」

「持ち上げるぞ」

「待って」

 ガジが車体に手を掛けた時、サマラ族の少女に制止される。上半分を結い上げた2つのお団子頭が、雨で崩れてしまっている。マハトより長い尖り耳を飾るピアスが、風に揺れて光った。

「なんでだ。こいつ死んじまうぞ」

「だからよ」

 少女は腰のポーチから小さな筒を取り出し、車体の隙間から女性を覗き込んだ。その筒は暗い車体下を明るく照らしている。──導光筒だ。

「何してるんだ。早く引っ張り出さないと──……」

「素人はお黙んなさい。今〝診〟てるわ」

 見た目からは想像できない声の圧に、思わず押し黙った。サマラ族だと知らなければ、どう見ても3~4歳なのに。

「あなた、ちょっとその破片取ってくれるかしら」

 顔を上げた少女に、「それ」と指差された木片を見る。壊れた車体の板部分だ。

「これをどうするんだ?」

「脊椎が損傷してるわ。まず固定しなくちゃ」

 少女は板を受け取ると、車体の隙間に潜り込んで行く。しばらくすると、中からくぐもった声が聞こえた。

「いいわよ。上げてちょうだい」

「おしきた」

 合図を受けてガジが車体を持ち上げる。その下から、少女と大量に出血した若い女性が現れた。彼女は胴に板を当てられ、縄で固定されている。口元はうっすらと光る泡のようなもので覆われていた。

「御者さん。通信機はあるかしら」

「えっ。は、はい…緊急用のものが…」

「応援を呼んでちょうだい。雨で衰弱してるわ。早く運ばないとまともに治療もできない」

「わ、わかりました!」

 てきぱきと指示を出していく少女の眼差しは、強く美しかった。雨に打たれても、その声には一切の迷いがなかった。

 ちょうど討伐を終えたトリューも合流する。

「大丈夫か?」

「怪我人だ。この嬢ちゃんが診てる」

「お前医者なのか?」

「ええそうよ。出血が酷いわね…止血だけでもしておかないと」

「なんだって、医者!?」

 それまであわあわと狼狽え、怯えていた男の目の色が変わった。医者と聞くや否や、少女に詰め寄る。

「頼む治してくれ! 痛くて死んでしまう!」

「そのくらいじゃ死なないわ。後で診るから安心なさい」

「なんでだ! 医者なんだろ! 患者を見捨てるのか!」

「今はこっちの彼女が先よ」

 少女は手を止めない。彼女の手から溢れ出る光が、女性の体に染み込んでいくのがわかる。──シスターと同じ魔法だ。温かくて、優しい光だ。

 しかし商人風の男はパニックが治まらないようで、未だぎゃあぎゃあと喚き立てる。

「頼むよ! 金ならいくらでも払う!」

「お金の問題じゃないわ。治療の邪魔よ」

「このガキ…ッ! 俺の方がずっと金を持ってるんだぞ! そんな貧乏人より俺を治した方が有益に決まってる!」

 さすがに過ぎた言葉に、ガジとトリューは目の色を変えた。当然、ティファもだ。

 雨音がやけに強く耳に響く。──こいつ、邪魔だ。

 軽く気を失っていてもらおうかと動いた時、少女は「ふう」と息を吐いた。

「そんなに言うならいいわよ」

「本当か!」

 少女が立ち上がる。女性の治療はまだ終わっていないように見える。

 まさか本気で金の為に治療をするのかと、ティファは訝しんだ。重傷者を捨て置いて。

 ──回復魔法が使えるからと、シスターに似ていると勝手に期待してしまった。少し残念な気持ちで、ティファは旅人風の女性を見た。

 少女は商人風の男の前に立つと、一つ呼吸をして左手を横に広げた。その手の平の周りに、丸い魔方陣のような図形が浮かび上がる。

(……回復じゃ、ない)

 次の瞬間、図形から閃光が撃ち出された。その光線にも似た光の矢は、丘の岩を粉々に砕き吹き飛ばした。土煙がもうもうと立ち上る。

「わお」

「ほう」

 トリューとガジからも感嘆が上がる。少女は商人に顔を向けたまま、冷たく告げた。

「あなたのその腕、あの岩のように砕いてあげるわ。彼女より先に診るのだもの。それなりの重傷になってもらうわよ」

 少女は踵を返し、淡々と女性の治療に戻った。ガジの「ひゅう」という口笛が聞こえた。トリューも笑っている。商人は腰が抜けたように座り込み、それ以上は何も喋らなかった。


 やがて応援と救助の馬車が到着し、そのまま次の町へと向かった。町の診療所を借り、治療を終えた女性は少女に深く礼をして去って行った。

 残された4人で、一度宿を取りに向かう。道中で名前を聞くと、少女は『リコ』と名乗った。

 雨に濡れた服を着替え、一階の酒場で冷えた体を温める。暖炉の火が爆ぜる音と賑わいの声が、ようやく一息つけた安堵を伝えていた。

「あなた達にも世話になったわね。感謝するわ」

「何もしてないよ」

「止血手伝ってくれたでしょ。若いのによく覚えたわね」

 若い。その言葉に引っ掛かりを覚えたが、サマラ族は総じて年齢がわかりにくい。70を越えると言っていたマハトさえ、男児にしか見えなかった。

「え。リコっていくつなの?」

 肉を頬張るトリューが、直球に尋ねる。本当に遠慮がないな、と横目で呆れた。

「42よ」

「42!?」

 ぼとりと肉を落としたトリューと共に目を見開いた。

 しかし、すぐに納得した。確かな医療知識と技術。加えて魔法の扱い。かなりの経験を積んだのだろう。

 ティファはうん、と頷いて、食事を口に運んだ。呆けたままのトリューは、そのまま開いた口で呟く。

「おばちゃんじゃん…」

 それはあまりにも率直すぎる感想だった。リコの尖り耳がぴくりと動いたのがわかった。ティファとガジは、呆れて大きく溜め息を吐く。

「あなた…いい度胸ね」

「えっ」

「トリュー…それはダメだ…」

「バカだな…」

 ガジがジョッキを煽る。リコの笑顔が、どこまでも暗い。その様子にようやく気づいたのか、トリューは大きく肩を震わせた。

「ちょうど試したい薬があるのよ。あなた頑丈そうだし…被検体によさそうね」

「えっ」

 リコはカップのお茶を優雅に啜っている。しかし相変わらず笑顔が恐ろしい。

「謝れトリュー」

「ごっ…ごめんなさい…」

 窓の外では、未だ雨が降り続いていた。軒先から滴る雫が、濡れた石畳に小さな波紋を広げては消えていく。宿の明かりに照らされたその雨筋だけが、やけに長い一日の終わりを告げていた。

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