治癒の乙女
雨が降り続いている。湿気にむせ返る宿屋で、ティファ達は何日も足止めされていた。
「さすがにこう続くと気が滅入るな…」
「宿代もバカにならないのに…」
恨めしい顔で窓の外を睨む。町の野良クエストも、とうにやり尽くした。ギルド支部がある町ならばもう少しあるだろうが、そう都合よく辿り着ける訳もない。
「仕方ねえ。馬車乗るか」
工具を磨き終えたガジが立ち上がる。「馬車?」と尋ねると「そうだ」と返ってきた。
「比較的街道も安全だしな。乗り合い馬車なら、次の町まで半日ってとこだ」
「なんだー早く言ってよ」
「……もしかして、高い?」
「このまま無駄に宿代払い続けるのと、どっちがいい」
「うっ…」
空は暗く、未だ止む気配はない。いつ晴れるかもわからない天気に左右されるよりは、とティファは諦めて後者を選んだ。
町から出ている乗り合い馬車は思っていたよりも大きく、6人程が対面で座れる構造になっていた。他にも商人風の男性と小さなサマラ族の少女、同業か旅人らしい若い女性が乗っている。
1人だけ体格が2メートルを越えるガジを乗せて引かなければならない馬を思い、少しだけ同情した。
「ガジ縮めよ」
「無茶言うな」
「私膝乗ろうか」
2人分の幅を取るであろうガジに申し出て、勝手にガジの膝に座ることにした。存外座り心地がいい。
「いいなこれ。あったかいし」
「湯たんぽ増えてよかったな」
「増やすな」
呆れて嘆息するガジをよそに、窓から見える景色を見た。外は昼とは思えないほど暗く、分厚い雲に覆われている。窓を叩く雨粒が線を描いて流れていく。車輪の軋む音と雨音だけが、狭い車内に規則正しく響いていた。
徒歩で行けば3日は掛かるだろう道のりを半日まで短縮できるのなら、今後も積極的に使ってもいいかもしれないな、とふと思った。
──静かな車内で、どれほどの時間を過ごしただろうか。時計もなく、日が見えないので感覚はわからない。外はまだ、しつこく雨が降り続いている。
異変は、突如訪れた。
がたん、と大きく車体が揺れる。直後、馬のいななきが聞こえた。何かと思う間もなく車体は旋回を始め、大きく身を揺さぶられる。
「なんだ!?」
「ぐえ…」
車内でも混乱の声が上がる。ガジの膝に乗っていたティファは頭を抱えられ、胸板に潰された。
「ガジ…ぐるじい…」
「トリュー、外見ろ」
「わかった」
ティファの訴えは届くことなく、トリューは窓を開けて身を乗り出した。雨粒が車内に吹き込む。その先で、馬が追い立てられている。
「魔物だ。狼みてえなやつが数匹」
「ダウンズウルフだな。お前そのまま仕留めろ」
「おっけ」
窓からトリューが飛び出して行く。「私も行く」とガジから離れた瞬間、車体が大きく傾いた。
「うわああ!!」
「きゃあ!」
乗客の悲鳴と共に、ごっ、と底が何かに乗り上げる感触があった。次の瞬間、天地がひっくり返る。
がらん、がしゃん、と木材の裂ける音。窓硝子が砕け散る音。重なり合う轟音の中、旅人風の女性の体が、投げ出されるようにして窓の外へ消えた。
(しまっ──……)
伸ばした指先が空を切る。
直後、ティファ自身の体も宙に浮く。重力の向きがわからない。背中から、それとも肩から──強く何かへ打ち付けられ、息が詰まった。車内で乗客同士の体がぶつかり合い、誰かの悲鳴と呻きが入り混じる。
「大丈夫かお前ら!」
雨音に混じってトリューの声が聞こえる。ティファの背中には柔らかい感触があった。
──誰かを敷き潰している。早く出なくては。
ガジは天井へと位置を変えた扉をぼごん、と殴り飛ばし、巨体を外に引きずり出した。雨粒が顔を叩く。
次いでガジに手を引かれ、ティファも外へ出た。乗客を次々に引っ張り出し、怪我の有無を確認する。
「大丈夫か嬢ちゃん」
「え…ええ…何ともないわ」
「そっちは」
「うわああ! 腕が! 腕が折れたあああ!」
商人風の男は酷く狼狽え、パニックになってしまっているようだった。腕を取ってみるが、多少出血しているだけ。それよりも、投げ出された女性の方が気掛かりだった。
辺りを見回す。ダウンズウルフの群れはトリューに任せて良さそうだ。御者も無事のようで、2頭の馬を落ち着かせている。
ふと、雨音に紛れて微かな呻き声が聞こえた。車体の下からだ。
「いた。この下だ」
「持ち上げるぞ」
「待って」
ガジが車体に手を掛けた時、サマラ族の少女に制止される。上半分を結い上げた2つのお団子頭が、雨で崩れてしまっている。マハトより長い尖り耳を飾るピアスが、風に揺れて光った。
「なんでだ。こいつ死んじまうぞ」
「だからよ」
少女は腰のポーチから小さな筒を取り出し、車体の隙間から女性を覗き込んだ。その筒は暗い車体下を明るく照らしている。──導光筒だ。
「何してるんだ。早く引っ張り出さないと──……」
「素人はお黙んなさい。今〝診〟てるわ」
見た目からは想像できない声の圧に、思わず押し黙った。サマラ族だと知らなければ、どう見ても3~4歳なのに。
「あなた、ちょっとその破片取ってくれるかしら」
顔を上げた少女に、「それ」と指差された木片を見る。壊れた車体の板部分だ。
「これをどうするんだ?」
「脊椎が損傷してるわ。まず固定しなくちゃ」
少女は板を受け取ると、車体の隙間に潜り込んで行く。しばらくすると、中からくぐもった声が聞こえた。
「いいわよ。上げてちょうだい」
「おしきた」
合図を受けてガジが車体を持ち上げる。その下から、少女と大量に出血した若い女性が現れた。彼女は胴に板を当てられ、縄で固定されている。口元はうっすらと光る泡のようなもので覆われていた。
「御者さん。通信機はあるかしら」
「えっ。は、はい…緊急用のものが…」
「応援を呼んでちょうだい。雨で衰弱してるわ。早く運ばないとまともに治療もできない」
「わ、わかりました!」
てきぱきと指示を出していく少女の眼差しは、強く美しかった。雨に打たれても、その声には一切の迷いがなかった。
ちょうど討伐を終えたトリューも合流する。
「大丈夫か?」
「怪我人だ。この嬢ちゃんが診てる」
「お前医者なのか?」
「ええそうよ。出血が酷いわね…止血だけでもしておかないと」
「なんだって、医者!?」
それまであわあわと狼狽え、怯えていた男の目の色が変わった。医者と聞くや否や、少女に詰め寄る。
「頼む治してくれ! 痛くて死んでしまう!」
「そのくらいじゃ死なないわ。後で診るから安心なさい」
「なんでだ! 医者なんだろ! 患者を見捨てるのか!」
「今はこっちの彼女が先よ」
少女は手を止めない。彼女の手から溢れ出る光が、女性の体に染み込んでいくのがわかる。──シスターと同じ魔法だ。温かくて、優しい光だ。
しかし商人風の男はパニックが治まらないようで、未だぎゃあぎゃあと喚き立てる。
「頼むよ! 金ならいくらでも払う!」
「お金の問題じゃないわ。治療の邪魔よ」
「このガキ…ッ! 俺の方がずっと金を持ってるんだぞ! そんな貧乏人より俺を治した方が有益に決まってる!」
さすがに過ぎた言葉に、ガジとトリューは目の色を変えた。当然、ティファもだ。
雨音がやけに強く耳に響く。──こいつ、邪魔だ。
軽く気を失っていてもらおうかと動いた時、少女は「ふう」と息を吐いた。
「そんなに言うならいいわよ」
「本当か!」
少女が立ち上がる。女性の治療はまだ終わっていないように見える。
まさか本気で金の為に治療をするのかと、ティファは訝しんだ。重傷者を捨て置いて。
──回復魔法が使えるからと、シスターに似ていると勝手に期待してしまった。少し残念な気持ちで、ティファは旅人風の女性を見た。
少女は商人風の男の前に立つと、一つ呼吸をして左手を横に広げた。その手の平の周りに、丸い魔方陣のような図形が浮かび上がる。
(……回復じゃ、ない)
次の瞬間、図形から閃光が撃ち出された。その光線にも似た光の矢は、丘の岩を粉々に砕き吹き飛ばした。土煙がもうもうと立ち上る。
「わお」
「ほう」
トリューとガジからも感嘆が上がる。少女は商人に顔を向けたまま、冷たく告げた。
「あなたのその腕、あの岩のように砕いてあげるわ。彼女より先に診るのだもの。それなりの重傷になってもらうわよ」
少女は踵を返し、淡々と女性の治療に戻った。ガジの「ひゅう」という口笛が聞こえた。トリューも笑っている。商人は腰が抜けたように座り込み、それ以上は何も喋らなかった。
やがて応援と救助の馬車が到着し、そのまま次の町へと向かった。町の診療所を借り、治療を終えた女性は少女に深く礼をして去って行った。
残された4人で、一度宿を取りに向かう。道中で名前を聞くと、少女は『リコ』と名乗った。
雨に濡れた服を着替え、一階の酒場で冷えた体を温める。暖炉の火が爆ぜる音と賑わいの声が、ようやく一息つけた安堵を伝えていた。
「あなた達にも世話になったわね。感謝するわ」
「何もしてないよ」
「止血手伝ってくれたでしょ。若いのによく覚えたわね」
若い。その言葉に引っ掛かりを覚えたが、サマラ族は総じて年齢がわかりにくい。70を越えると言っていたマハトさえ、男児にしか見えなかった。
「え。リコっていくつなの?」
肉を頬張るトリューが、直球に尋ねる。本当に遠慮がないな、と横目で呆れた。
「42よ」
「42!?」
ぼとりと肉を落としたトリューと共に目を見開いた。
しかし、すぐに納得した。確かな医療知識と技術。加えて魔法の扱い。かなりの経験を積んだのだろう。
ティファはうん、と頷いて、食事を口に運んだ。呆けたままのトリューは、そのまま開いた口で呟く。
「おばちゃんじゃん…」
それはあまりにも率直すぎる感想だった。リコの尖り耳がぴくりと動いたのがわかった。ティファとガジは、呆れて大きく溜め息を吐く。
「あなた…いい度胸ね」
「えっ」
「トリュー…それはダメだ…」
「バカだな…」
ガジがジョッキを煽る。リコの笑顔が、どこまでも暗い。その様子にようやく気づいたのか、トリューは大きく肩を震わせた。
「ちょうど試したい薬があるのよ。あなた頑丈そうだし…被検体によさそうね」
「えっ」
リコはカップのお茶を優雅に啜っている。しかし相変わらず笑顔が恐ろしい。
「謝れトリュー」
「ごっ…ごめんなさい…」
窓の外では、未だ雨が降り続いていた。軒先から滴る雫が、濡れた石畳に小さな波紋を広げては消えていく。宿の明かりに照らされたその雨筋だけが、やけに長い一日の終わりを告げていた。




