新たなる旅立ち
「ほらよ。オメェの新しい弓だ」
そう言って渡されたのは、細長い銀の棒だった。弓と呼ぶには、あまりにも異質だ。張り詰めた弦もなく、ただ一本の杖のように手の平に収まっている。
「これが…?」
ガジの仕事を疑う訳ではないが、元の形とあまりにかけ離れていた為に戸惑った。上下に揺らしてみるが、あまりにも軽い。
「中央のロックを外して、マナを流してみろ」
ガジの低い声に促され、ティファは小さく頷いた。
かち、と小さな音がした。棒が、割れる。
「わっ」
「おおー」
しゃん、と涼やかな音が鳴って、左右に滑るように弓身が開いていく。まるで水面に波紋が広がるように、銀の刃に似た枝が幾重にも重なりながら反り返る。先端は鋭く、ところどころ宝石にも似た結晶が淡く光を含んでいる。
「綺麗…」
武器に抱く感想には場違いなような気がしたが、そんな言葉が思わず漏れ出た。
さらには指先から流れ込んだマナに応えるように、弓の両端から一筋の糸が伸びる。ぴん、と張った瞬間、僅かに空気が震えた。
「弦だ…」
実体のない、光だけでできた弦だった。恐る恐る指をかけると、冷たくも熱くもなく、ただ確かな張りが指の腹に返る。引けば引いた分だけ、素直にしなった。
「すごい…初めて持つのに、めちゃくちゃ馴染む」
「前の弓は砕いて、複合布に作り替えた。鹿革とも縫い合わせてある。グリップ部分のそいつがそうだ」
手元の濃紺色の布に視線を落とす。──そうか、ここにいたのか。
ティファはグリップにそっと額を寄せた。温かい。ひんやりとした金属の感触の奥に、確かな熱を感じた。
「ありがとうガジ…最高だよ」
「なに、気にすんな。俺の仕事だ」
「ガジすげーなー!」
トリューが楽しそうにガジをばしばしと叩いている。ティファは温かい気持ちで、微笑ましく思った。
「矢はなくていいの?」
「引けばマナで矢が形成される。その分マナ消費もするぞ。使いこなしてみせろよ」
「ああ…望むところだ」
しゃきん、と形を戻して、腰のベルトにくくりつけた。携帯性も考慮されている。さすがだ。
「これで準備は整ったかな」
「ああ。他に用もねえ」
「じゃあ次はドルサだな!」
弓の完成を待つ間、そこそこ路銀も貯めた。道中でも地道にクエストをこなしながら、今度こそしっかり節約をしよう。
街を出る前にギルドに立ち寄ると、シグネとシウルが揃って見送りに来てくれていた。
「気をつけて行くんだよ。たまには手紙も書いておくれ」
「レンのことは任せてくれ。時々様子を見に行くよ」
「ああ、頼む」
「世話になった」
「ありがとなー! 二人とも!」
それぞれに挨拶を交わして、別れを惜しんだ。進んでは振り返ると、二人はいつまでも手を振ってくれていた。
「いい人達だな」
「エレノアの人徳だ」
「ガジもだろ」
「俺ァ大したことねえ」
ふ、と照れ臭そうに笑みを溢すガジが、やはり可笑しかった。
やがて大きな門を出て、街を離れる。喧騒は遠く、もう聞こえない。ティファは後ろ髪を引かれる思いで、ヴァルモンスを振り返った。
遠ざかる街の中心で、大樹だけが変わらずそびえていた。
「おーい。早く行こうよ」
「まだ心残りでもあんのか」
「うん…」
ティファの脳裏に、甦る思い出。様々な記憶の中でも、最も強く残った心残り。
「魔法収納具欲しかった…」
「まだ言ってる…」
「ドルサにもあんだろ。地道に金貯めろ」
「うう…」
「はよ来い」
ティファは肩を落とし、新たな旅立ちに似合わない足取りで、二人の後をついて行った。
******
ヴァルモンスを旅立ち、どれほどが経ったのだろうか。季節はすっかり雨季を迎え、雨で足止めをされる日が多くなった。夜営時に降られた時など、たまったものではなかった。
「やっぱりテント必要じゃないか…」
「まぁ、こういう時はな」
「うひゃー、つめてー」
雨が降りそうだ、と気づいてからすぐに雨宿りができそうな場所を探したが、それは間に合わず。大きな岩が重なり合う隙間で何とか雨を凌いでいる。
濡れた装備は岩の上で乾かし、焚き火の側で暖を取る。毛布を被っても、一向に体が暖まらない。
「無理…さむい…」
ティファは初めから諦めてトリューの元へ歩いた。察したトリューも「ああ、はい」と膝を開けてくれる。
遠慮なく焚き火とトリューで暖を取ると、少しずつ震えが和らいでいく。
「……気になってたんだが、オメェらデキてんのか?」
「違う。こいつは湯たんぽだ」
「こいつ寒がりなんだよ」
「そうか…」
寒くて眠れなかった日に温めてもらったので、その日から寒い時はトリューで暖を取ることにしている。トリュー本人も気にしていない。
なぜかガジは納得していないような顔だったが、体が温まったことで睡魔に肩を叩かれたので、そのまま眠ることにした。
そして翌朝。雲ってはいるが、雨は止んでいるようだった。雲の隙間から日が差している。
隣のトリューを起こそうと見上げると、静かな寝息の中に妙な音が聞こえた。
「ぐるる…」
「???」
いびきか? とも思ったが、それにしては静かすぎる。もう一度耳を澄ませると、やはり喉鳴りのような音が聞こえた。
「猫みたいだな…」
五感の鋭さといい、狩りの腕といい。動物にでも育てられたんじゃないだろうか。溜め息交じりにそんな思考が浮かんだ。
「起きろ。朝だ」
「んぅ…うえ…?」
「ガジ。朝だぞ」
「ぬ…おう」
二人を起こして装備を身につける。きちんと乾いているようだ。
また雨に降られる前に、町か村に到着したい。そんな気持ちで旅路を急いだ。
さらに幾日も歩いた頃には、山越えを余儀なくされていた。屍山や炭鉱村から越えた山より、随分穏やかに感じる。大変だった記憶しかないが、もはや懐かしい。
足元の下草は柔らかく、鳥の声があちこちから降ってくる。木々の間から差し込む光も、どこか優しい色をしていた。
「しばらくは晴れるかなー」
「油断すんなよ。山の天気は変わりやすい」
「今は結構晴れてるのになぁ…」
風が暖かい。雨季が過ぎれば、もう夏が近いのだろう。寒くて凍えなくていい季節を、ティファは待ち遠しく思った。
ふと、先を歩くトリューが足を止めた。上を向いて、何かを探っている。
「魔物か?」
「いや…なんか鉄っぽい匂いがする。なんだこれ」
「鉄?」
「ガジの匂いじゃないのか? 工具たくさん持ってるし」
そう聞けば、「そんくらいの違いはわかる」と言う。
「もしかしたら温泉があるかもな。行ってみるか」
「温泉っ」
ガジの言葉に目を見開いた。貴重な水資源、しかもお湯。不衛生は病気の元。入れる時に入っておきたい。ティファは「行こう」と即決した。
「もう二日入れてねえしなー」
「オメェも意外と気にすんだな」
「意外ってなんだよ」
トリューは「あんまり匂いがつくと鼻がいい獲物に逃げられる」と言っていた。香料が入っている石鹸も好まないらしい。狩人としての生き方が見えたような気がした。ガジは単純に温泉が好きらしい。
トリューの嗅覚を頼りに山道を進んで行くと、木立が開けた岩場から湯気が立ち上っていた。金属に近い匂いが、風に乗って鼻先を掠める。
さらに近づくと、湯に触れている岩が赤茶けて変色している。白い湯気の向こうに、小さな滝のような水音が聞こえた。
ティファは周囲を観察し、まず魔物や獣がいないかを確認する。しかし温泉を見つけた瞬間、男二人はすぽーんと服を脱ぎ散らかした。
「「温泉だーー!!」」
ざばーん。温泉が大きな波を立ててティファの足元を濡らす。呆気に取られたティファをよそに、二人ははしゃいでいる。
「ティファも来いよ!」
「おう、気持ちいいぞ!」
「……おい」
こめかみに青筋が浮かぶ。握る拳に力がこもる。
「なんで先に入るんだ! 私も入りたかったのに!」
「? 入ればいいじゃねえか」
「魔物が来たらどうするんだ! 素っ裸で戦うのか!?」
「なんとかなるって!」
心底気にしていなさそうな二人の返答に、ティファの青筋がさらに太くなる。
もし魔物が出たら、この山の中で、装備もなしに戦おうというのか。それも、せっかくの温泉で。周囲を警戒しながら。
──絶対に嫌だ。
「もういい! 私も入るんだから早く上がれ!」
ぷい、と踵を返してティファは周囲の警戒に当たった。足音は荒く、怒りが滲んでいる。
「? なに怒ってるんだあいつ」
「年頃なんだろうよ」
的はずれな二人の声が、湯気に溶けた。
ようやく交代したティファは、すっかりご機嫌だった。温かい湯。時折吹く風が濡れた髪を冷やして心地好い。湯面に映る空は、山の稜線に縁取られて小さく丸い。
正直いつまでも浸かっていたいが、この後もまだ歩く。湯中りする前に上がろうとした時、腰にちくりとした痛みを感じた。
「いて」
なんだ? と見ようとしても、背後なので目が届かない。虫にでも刺されたか、と一応浄化魔法を掛け、名残惜しい温泉を後にした。




