闇夜のドライブハント
ノイルは焦っていた。急いで盗品を換金し、街を離れなくてはならない。
買い手との待ち合わせ場所を変更し、夜になるのをじっと待った。幸い、この区域に昼間の男は来ていない。大樹からも遠く、軍の警備も薄い。逃走経路を確認し、急いで待ち合わせ場所に向かう。
金を手に入れれば、しばらくは遊んで暮らせる。この古びた剣にどれほどの価値があるのかは知らないが、物好きには刺さる代物らしい。木箱を大切に抱え、ノイルは走った。
目的地が近づく。安堵の気持ちと共に、嫌な汗が滲み出る。──元冒険者の血が騒ぐ。心音が警報に聞こえる。
足音を殺して進む路地は、やけに静かだった。遠くの喧騒さえ届かない。
「──ッ!」
振り向くと同時に、ひゅっと喉が鳴った。上からの衝撃。今日二度目だ。
「あれっ。案外すばしっこいな」
「またかよ…ツ!」
苦々しく舌を打つ。上から降って来たのは、昼間の男だった。あれだけ派手に自分を探していた。警戒はしていたのに。──だが。
(俺を〝見〟さえすれば…!)
ノイルは堂々と背を向け、逃走を図る。発動さえしてしまえば、疲労こそ蓄積するものの誰も自分を追って来れない。何度も、何度もこうやって逃げ切って来た。絶対の自信があった。
「ハッ! テメェもくらえ!」
男が追ってくるのを確認し、刻んだ術式を発動する。これでもう安全だ。そう、確信していた。
「うおぁああ!?」
しかし、バンダナの男は少しも揺らぐことなく真っ直ぐ追ってくる。大きな槍が振り下ろされるのを、ぎりぎりでかわした。
「なんでだ! なんで効かねえ!」
しかも、速い。逃げながら何とか穂先を避けているが、手加減されているから当たらないようなもの。それでも、一発喰らえばただでは済まない。
再度阻害魔法を発動する。それでも、男は一切手を緩めない。
(なんで…なんで効かねえ…ッ! いや…もしかしてこいつ…ッ!)
夜闇に目を凝らす。やはりそうだ。男は目を開けていなかった。
「あり得ねえだろ…ッ!」
「おし、匂いと足音覚えた」
「犬かよ!」
男のスピードがさらに上がる。槍を突き出し、その突風は背後の壁を破壊した。
「おい、殺すなよ」
「加減が難しいんだよ」
上からの声に視線を向けると、白銀の髪が月影に揺れていた。昼間の少女だ。──あいつの仲間だったのか。
(だがあの女には効く…!)
警戒しているのかやや離れているが、十分に届く距離だ。動けない隙を狙って、人質にもできる。
「もっかいオネンネしてろ!」
再度阻害魔法を発動する。あとは倒れた隙を狙って──……
「あれ?」
少女は涼しい顔でけろりとしていた。──おかしい。昼間は確かに効いたはずなのに。
「よっ」
思案の間もなく、後ろから男が追撃を仕掛けてくる。ノイルは訳もわからず、ひたすらに逃げた。
******
──数時間前。
「本気で言っているのか?」
クバトは不審げに眉を寄せた。ティファから提案された作戦が、未だ信じられない様子だった。
「トリューの五感なら大丈夫だろ」
「ティファが指示してくれるんなら、まぁいけると思う」
ティファが提案した作戦とは、完全にノイルを〝見ない〟ことだった。
昼間と同様に似顔絵を晒して取引場所を限定し、トリューが目を閉じたままノイルを追う。一方、ティファは義眼だけでノイルを見て状況を把握する。ノイルを誘導し、壁や障害物の指示を出す役目を請け負った。
クバトは魔法が届かない遠距離から観察し、ノイルが盗品を手放した場合に備えて回収する役目だ。
最後まで訝しむクバトだったが、自信に満ちた二人に押され結局は了承した。
「まさか本当に可能だとはな…」
遠くから単眼鏡を覗き、クバトは感嘆を吐いた。屋根の陰に身を潜め、物音ひとつ立てない。
本当に一度も足止めを喰らわないまま、若い二人がノイルを追い詰めている。
「面白い連中だ…」
クバトの口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
******
「正面三メートル先、壁。次いで右。左右幅およそ二メートル」
「あいよっ」
たんっ、と体を捻り、トリューは壁に着地した。そのまま壁を蹴り、跳弾のように壁を蹴り降りながらノイルを追い詰める。ティファは建物の上を移動しながら、周りを観察していた。
「ゼェ…、なん…ッ、なんなんだテメェら…ッ!」
そろそろ、体力も尽きた頃だろうか。これだけ追い回せば、魔法を使う余力もなさそうだが──……
「ま、追い詰められた鼠は怖いしな」
当初の予定通り、袋小路まで追い込むことにした。
やがて予定のポイントに辿り着く。三方を壁に囲まれた狭い行き止まりだ。ノイルの荒い呼吸だけが、やけに大きく響いていた。
月に照らされた二人の影が不気味に伸びる。追い詰められたノイルは青ざめ、その場に座り込んだ。
「ゆ、許してくれ! 頼む…この通りだ! 盗んだ物も返すから…! ちゃんと自首もする!」
ノイルは木箱を差し出し、命乞いを始めた。体は震え、怯えきっている。
その声を聞いたトリューは、少し複雑そうにしている。
「だめだ。ギルドに引き渡す」
「頼む…本当に出来心だったんだ…! か、金がなくて…!」
「…なぁ、別の奴にしねえ? こいつ反省してるし…」
「お前本気で言ってる?」
出来心で何度も窃盗を繰り返す訳がないだろう。しかも逃走用の魔法まで周到に用意して。
ティファは呆れて大きく嘆息した。トリューは「ティファ冷たい」などと文句を言っている。
ふと、顔を上げたノイルの口の端がつり上がった。キン、と音がした瞬間、トリューがぐらつく。
「んぎっ」
「ひゃはは! 甘ちゃんで助かっ──……」
立ち上がって逃げようとするノイルを、柄尻で打ち据えた。ノイルの頭は地面にめり込み、白目を向いて伸びている。
「二度も喰らうか」
剣を担ぎ、ふんと鼻を鳴らす。トリューは横で転がり、目を回している。
「何回騙されるんだお前…」
「ぎもぢわるい…」
「そのまま反省してろ」
ノイルが手放した木箱を拾う。中身が無事であればいいが。そこでクバトも合流した。
「本当にお前達だけで捕らえてしまうとはな」
「運が良かっただけだ」
実際に、ガジに義眼を作ってもらわなければ対応できなかった。トリュー一人でも、捕らえるのは難しかっただろう。相性が良かっただけだ。
そう伝えると、クバトは強面のままやや口角を上げた。
「殊勝なことだ。いい心掛けだな」
木箱を渡すと、クバトは中を確認して難しそうな表情を見せた。
「大事なものなのか?」
「…機密事項だ。教えられん。だが、協力の礼として名乗っておこう。俺は『鎖魄衆』のクバト。困りごとがあれば我々を呼ぶがいい」
──鎖魄衆。聞き覚えがある。確か、マハトが口にしていた組織の名前だ。
「いろんな専門家が集まる秘密結社…だっけ」
「なんだ、知っているのか。簡単に言えばそんなところだ。──今回世話になった礼だ。いずれ借りは返そう」
盗品の件はギルドに報告しておく、とつけ加えて、クバトはその姿を夜闇に溶かしていった。足音一つ、気配一つ残さずに。
「鎖魄衆ねえ…」
困ったら呼べ、と言われたが、どうやって呼べばいいんだ。などと考えながらしばらく闇を見詰めていると、ようやくトリューが起き上がる。
「大丈夫か」
「ぐわんぐわんする…」
「簡単に信用するからだバカめ」
ノイルが起きる前に、さっさとギルドに引き渡そう。
ティファはノイルを軽々と担ぎ上げ、未だ座り込んだままのトリューを引き摺ってギルドへと向かった。
満月が近い。夜風が頬を撫で、噴水広場の水音が遠くに聞こえる。大樹の葉陰を縫って落ちる月光が、石畳に淡い影を落としていた。




