ティファの夢
用紙を受け取ったシグネはにこやかに頷いた。
「うん! 今度こそバッチリだ。私はこのまま登録を済ませてこよう。少し時間が掛かるから、その間にカフェでお茶でもしておいで。特にベリーセムラは一度は食べてほしいね!」
そう言って、軽やかに奥へと去って行った。艶やかな尻尾が、並んだ机の向こうでひらりと揺れて消える。隣のトリュー、次いでガジと顔を見合わせた。
「じゃあ下で待つか」
「ベリーセムラって何だろうな」
「食ってみりゃあいい」
ガジが歩き出した後ろを、揃って着いていく。階下は変わらず賑わっていて、甘い香りが漂っている。菓子や飲み物を乗せたトレーを運ぶ店員は、卓の間を縫うように駆け回っている。
「席ある…?」
「ガジもう少し縮めよ」
「無茶言うな」
混雑した店内で困っていると、給仕らしい女性に声を掛けられた。
「いらっしゃいませ! 三名様でしょうか?」
「はい」
「今お席ご用意しますね!」
忙しそうでも笑顔が眩しい。プロだなぁ、と心の中で呟いた。
席はすぐに用意され、テーブルに着く。窓際の席からは、大樹の枝葉越しに柔らかな光が落ちていた。木漏れ日がテーブルの上で、ゆらゆらと揺れている。
三人共シグネが言っていたベリーセムラというものと、適当な飲み物を注文した。ガジは体格より小さい椅子で少し狭そうにしている。
「シグネと話さなくてよかったのか?」
壁に槍を立て掛けたトリューがガジに尋ねた。ティファも気になってはいたが、トリューは直球だなとやや感心した。
「まぁ別に後でもいい」
「昔の知り合い?」
「正確にはエレノアの友人だ。あいつが死んだ時も──レンに連絡をしたのはシグネだ」
「…そっか。悪ィ」
「なんで謝る」
申し訳なさそうに眉を下げたトリューに、ガジは笑って返した。ちゃんと立ち直ってくれているようで、ティファは少し安心した。
「なぁ、魔法検定ってどんなことするんだ?」
今度はティファが尋ねる。資格取得の試験なら、できるだけ前情報がほしい。
「俺ァ魔法が使えねえから、よくは知らねえ。技能の方なら、作った物を鑑定に出しゃいい」
「ガジは資格取ったの?」
「昔な」
「どういう資格?」
「鍛冶師一級だ」
「一級」
「おおーすげえ」
トリューと揃って手を叩いた。一流という腕前は折り紙付きだったわけだ。
「どうやって受験すんだろ」
「シグネに任せときゃいい。あれでも有能だ」
あれでも、という評価に僅かな照れ隠しを感じた。シグネはどう見ても有能なギルド職員だった。
そこで注文が運ばれてくる。テーブルに並べられたのは、粉砂糖を被った丸いパン。その蓋の下から、鮮やかなベリークリームと白い生クリームが溢れ出している。
「うまそー!」
「久しぶりに食うな」
「…これどうやって食べるんだ?」
フォークを手に持ってみるが、一口で頬張れるサイズではない。ナイフで切り分けるのだろうか、と困っていると、目の前の二人は手掴みで食べ始めていた。
「あまっ」
「結構腹に溜まるんだこれ」
口元にクリームをつけた二人は、どんどん食べ進めている。ティファはもういいか、と二人に倣って手掴みで頬張った。
「んま…ッ」
ベリーの酸味と生クリームの甘さが口いっぱいに広がる。なかなか味わえない甘味の多幸感に、しばし目を閉じて酔いしれた。
「ティファもそんな顔すんだな」
「すっげえ幸せそう」
何か言われている気がするがどうでもいい。それほどに甘いものは心を満たしてくれる。疲労回復効果もあるしいいことずくめである。
結局一つでは足りず二つ目を注文した。
至福の時を終えて香りの良い紅茶を楽しんでいると、トリューが「おー」と手を上げた。振り返ると、シグネがパタパタと駆け寄って来る。
「やあ、お待たせ。二人の登録が終わったよ。これがキミ達の冒険者カードだ!」
はい、と手渡された鈍色の金属板。名前、性別、種族…そして数字の羅列が刻まれている。トリューのカードと見比べると、数字が連番になっている。登録番号だろうか。
「これは特殊な金属でできていてね。中の情報は専用の魔具を通して照合する。失くしても再発行は可能だが、手数料がかかるから気をつけてくれ!」
「だってさ」
「なにが」
「失くすなよ」
「失くさない」
「本当だろうな」
「失くさない」
そう言ってトリューがカードをポケットにしまうところまでを見届けた。ティファもベルトのポーチにカードを収める。
「では、このまま魔法検定の説明をしようか。と言っても、今日このまま受験できるわけじゃないし、私は試験の担当はできないから、ざっくりと流れだけを説明させてもらうよ」
「頼む」
「試験会場は後で地図を渡そう。一番近い試験日だと、三日後だ。試験と言っても、担当員に実際にどんな魔法がどのくらい使えるのかを見せればいい」
「なんだ、簡単じゃん」
「ペーパーテストとかあるのかと思った」
「ふふふ。特殊な事例を除いて、魔法が使える時点でおおよその基礎は習得しているものとみなされるからね。その後、等級別に講習が行われる。キミ達には初回講習にも参加してもらうことになるね」
「げえ」
トリューはあからさまに嫌そうな顔で身を引いた。確かに勉学とは無縁そうだが、氷を扱えるのなら基礎は修めただろうに。
そんなトリューを見て、シグネは「ふふ」と耳を揺らして笑った。
「まぁ、初回だけだと思って耐えてくれ。その代わり、取得すればこちらが紹介できる依頼も増えて大助かりだ」
シグネはパン、と手を叩いて、ティファとトリューを交互に見た。
「さて、私からの説明は以上だ。何か質問はあるかな?」
「ううん。丁寧にありがとう」
「あ、俺ある!」
はい、とトリューは元気よく手を挙げた。
「ギルドっていっぱい情報集まるんだろ? 竜の眼って知らない?」
「竜の眼か…」
シグネはとん、と顎に手を当て、思案の様子を見せた。「うーん」と目を閉じ、思考を巡らせている。
「危険度が高い代物だから難しいかもしれないが…せっかくガジが連れて来た子達だ。私も手を尽くそう。可能な限り情報を集めてみるよ」
「ほんとか! ありがとう!」
パッと顔を明るくし、トリューは礼を述べた。シグネの手を取り、ぶんぶんと上下に振り回している。シグネは終始嬉しそうに笑っていた。
シグネとはそこで一旦別れ、店を出て街を回ることにした。宿も確保しなければならない。ティファは別の目的も忘れてはいない。
「魔法収納具ってどこだ…」
三人で雑踏を歩きながら、辺りを見回す。店らしい建物も見えるが、なにせ街そのものが大きい。広すぎて探し切れない。
「ガジ…」
「市場に行きゃああるだろ」
「市場ってどこ…」
「こっちだ」
経験者は、こういう時頼りになる。周りに夢中になっているトリューは置いて行こうかとも思ったが、後で探す方が面倒なので引き摺ることにした。
街の中央にそびえる大樹に向かって歩いて行くと、緑に囲まれた広場に出た。中心の池からは水が噴き上がり、四方へ小川に似た水路が伸びている。喧騒は遠のき、水の跳ねる音と静かな葉擦れの音だけが、風と一緒に歌っていた。
「この広場を目印にしろ。あの樹を目指しゃ大概迷わねえ」
「うん、わかった」
でも一応地図は欲しいな、と考え、見つけたら買うことにした。ガジは広場から円状に複数伸びる道の中から一本を選び、進んで行く。枝葉のアーチを抜けると、ギルド前よりもさらに活気ある喧騒が鼓膜を震わせた。
石畳の広い通りには天幕がひしめき、香辛料の匂いが流れてくる。果物や野菜の山の隣では、色鮮やかな布地が所狭しと積まれている。人の波は視界を阻み、通りの果ては見渡せない。
「うひゃー! さっきよりすげえ!」
「人ってこんなにいるんだなぁ…」
二度目の驚嘆が漏れる。トリューは手を額に翳して遠くまで見渡している。
「トリュー、槍貸せ。今だけ持っててやる」
「なんで?」
「思ったより人が多い。剥き出しじゃ危ねえ」
「そりゃそうだ」
トリューは素直に「はい」と槍を手渡した。ガジは首飾りに手を当て、槍は一瞬の光となって消え去った。
「ほんと便利だなー」
「欲しい…」
物欲は少ない方だと自認しているが、これは欲しい。見つけたら逃すまい、と心に決めて市場の散策を始めた。
「ティファ! あれ欲しい!」
「嫌だ。まず魔法収納具」
「えー」
「オメェ自分の金持ってねえのか」
「ティファに全部渡したまんま」
「元々金持ってなかったよこいつは」
思い返せば、どこに行っても絶対に必要のない物ばかり欲しがっていた。渡したら渡したでどうせ無駄遣いするのだから、金銭はこのまま自分が管理でいい。
「ティファ、あったぞ」
ガジに声を掛けられ、指差す先を見る。看板には〝魔法雑貨〟と書かれている。ティファは眉を上げ、目を輝かせた。足早に店に入ると、乾燥した薬草と古い革の匂いが鼻先を掠めた。薄暗い店内の棚には一目では使い道のわからない品が並び、隅の石が呼吸するように淡く明滅している。
次いでガジとトリューも店に入り、品を物色している。奥のカウンターでは、白く長い髭を蓄えたサマラ族が静かに腰掛けていた。
「おう、これだ」
「どれっ」
ガジの声に反応し、駆け寄る。ガジの前の棚には、様々な形の鞄やアクセサリーが並んでいる。
「これ全部?」
「そうだな」
「すごい…」
鞄まであるのか。一体どれほどの荷物を持ち運べるようになるのだろう。
期待に胸を膨らませ、鞄を一つ手に取る。ノノアに貰った鞄を手放すのは惜しいが、きっとガジなら鞄も有効に再利用してくれるに違いない。
そう思い、ぶら下がった値札を裏返す。
「………」
「どうした」
「……金貨二十枚?」
「高えって言ったろ」
「高いとは聞いてない…」
「俺だって昔苦労して買ったんだ」
「……」
夢が音を立てて崩れていく。寒い夜に薄い毛布一枚に縮こまる日々とおさらばできると思っていたのに。ティファは目元に暗い影を落とし、項垂れた。
「あれ? 炭鉱の報酬で結構貰ってなかったっけ?」
ティファの様子に気がついたトリューが声を掛ける。しかしティファは顔を上げない。
「ほとんどレンに渡したよ…」
「じゃあガジが持ってんじゃん」
「タダで武器が作れると思うなよ。レンの生活費だってあるんだ。ほとんど置いて来た」
諦め切れないティファはペラペラと値札をひっくり返す。しかし何度見ても値段が変わることはない。
「もう白金貨二枚って書けよ…ッ!」
「八つ当たりすんな」
ガジに宥められ、ようやく鞄を手放す。他の鞄やアクセサリーも見てみるが、値段はどれも大差なかった。
「ちなみに今いくらあんの?」
トリューに聞かれ、鞄から財布を取り出す。──嫌な予感がする。厚手の麻袋をひっくり返すと、中から出てきたのは銀貨が二枚、銅貨が五枚。
「少な」
「こんなに無かったっけ…」
節約したつもりではあったのだが。考えてみれば、炭鉱の報酬にかまけてクエストもこなしていなかった。
「俺もあんまり持って来てねえからな。依頼こなすしかねえだろ」
このままでは、街での滞在費も怪しい。
金欠という危機に直面した一行は、依頼を探す為にギルドに舞い戻ることになった。
テントや暖かい布団を持ち運ぶという夢を砕かれたティファだけが、終始長い後ろ髪を引かれていた。




