ティファ・キルメリア
「おい。見えてきたぞ」
荷馬車に揺られて、微睡んだ瞼を開ける。雲の切れ間から差し込む光が眩しい。ティファは目を眇めながら上を向く。荷車の縁に腰掛けるトリューが、前方の景色に目を輝かせている。
荷台に積まれた麻袋に手を掛ける。荷物の隅に狭そうに腰掛けたガジが、顎で前方を指した。
視界が開ける。その先には、雲を貫くほどの巨大な大樹が天へと伸びていた。
「すっげー。距離感バグるな」
「あれがヴァルモンス?」
「そうだ。あの樹を囲うように、街が並んでる」
その樹はあまりに大きく、並んでいるであろう街はまだ豆粒のようだ。徐々に近づいているのだろうが、実感はまだ湧かない。地平線から突き出たそれは、まるで空を支える柱のようにも見えた。
早く、早くと柄にもなく好奇心が胸を急かす。
初めての大きな街。初めての中心都市。きっとノノアへの手紙に、事欠きはしないだろう。
そして、ようやく街の入り口に辿り着く。遠いと思っていた大樹は、街の中心で静かに佇んでいる。四方に伸びる枝葉は、街を守るように覆っていた。
石や煉瓦で造られた建物に、蔦が這っている。整えられた石畳は、行き交う人々の足音を楽しそうに鳴らしている。
「すっげー!」
「人ってこんなにいたんだ…」
辺境では考えられない人混みに、つい圧倒されてしまう。トリューと同じようにきょろきょろと辺りを見渡し、感嘆を吐く。
前回立ち寄った町でも見掛けたウーレ族、サマラ族、ドライアド族…さらにはまだ見たこともない種族まで入り交じって、目を回しそうだ。
実際に少し眩暈がして額を押さえると、ガジから「こっちだ」と声を掛けられた。人混みでも目立つその大きい背中に、はぐれないようついていく。
そこで、ふと疑問が湧いた。
「私って何族なんだろう」
疑問はそのまま声に出た。聞こえたらしい二人が、目を丸くしてこちらを見ている。
「何族って…ミッドウィルダーだろ」
「そうなの?」
「知らなかったのかお前…」
「知らなかった…」
トリューでさえ驚いて呆れている。
しかし現に、今まで自分と同じ外見の種族としか関わってこなかった。転生──と言って正しいのかもはやわからないが、この肉体の両親も知らない。
それは心に留めたまま、仕方がないだろ、と口を尖らせた。
「ガジは? なんか普通よりデケェけど」
「俺か。俺はグリウスの民だ」
「ぐりうすのたみ?」
グリウスとは、ガジのファミリーネームではないのだろうか。本人から直接名乗られてはいないが、ロッカルプの店主がそう言っていたのを覚えている。
二人が疑問に思っているのを察したのか、ガジは続ける。
「グリウス地方の巨人族だ。俺はハーフだがな。母親がミッドウィルダーだ」
「へー!」
「巨人族」
ガジが巨体であることが腑に落ちた。加えてハーフであるのなら、純血はもっと大きいのだろう。
「なぁなぁ、グリウス地方ってどこ? 父ちゃんはもっとでっけぇの?」
「今度ゆっくり話してやる。まずは登録だ」
仔犬のように好奇心を剥き出したトリューを軽くあしらい、ガジは「ほら」と一際大きな建物を指差した。樹木の根が絡まった、古めかしい建物だ。看板には『緑の木馬亭』と書かれている。
ガジは大きな両開きの扉を押し開ける。古い蝶番がギィと鳴いた。甘酸っぱいベリーの香りが鼻を擽る。中は丸いテーブルが所狭しと並べられ、大層賑わっていた。談笑する声と食器の触れ合う音が、絶えず低く響いている。
「一階はカフェだ。上に行くぞ」
「「はーい」」
行儀よく返事をして、ガジの後ろをついて歩く。カルガモの子供にでもなった気分だ。
階段を登りきると、一階とは変わって事務所風の内装が目に入った。同業者であろう風体の人間が何人もいる。ガジは真っ直ぐ受付と思しき番台に足を進めて行く。
「ガジ…? お前、ガジウスじゃないか!?」
声がした方を見る。そこには制服らしい服装に身を包んだ、ウーレ族の女性が立っていた。馬──だろうか。耳を忙しなく震わせ、丸い眼鏡の奥に涙が溜まっている。
「おう。久しぶりだな」
「お前…ッ、久しぶりなんてもんじゃ…っ!」
女性は眼鏡を外し、涙を拭うように目を擦った。旧知の仲であろうことは、聞かなくてもわかった。
積もる話が始まるだろうかと、トリューと顔を見合わせて待つ。
しかし、ガジはティファ達を気遣ったのか先に用件を伝えた。
「悪いなシグネ。こいつらの登録頼む」
『シグネ』と呼ばれた女性は眼鏡を掛け直し、一つ鼻を啜ってティファ達を見た。瞳に二人を映すと、彼女はすぐに笑顔を取り戻し、姿勢を正した。
「やあ、こんにちは! みっともないところをすまないね…新人さんかい?」
シグネは赤くなった目元で、少し照れ臭そうに頬を掻いた。
「ド素人だ。色々教えてやってくれ」
その言葉にトリューと揃ってむっとするが、事実なので何も返せなかった。シグネはガジの言葉に、喜びを隠せない様子だった。
「そうか、お前が…! なら責任を持って預かろう! さあ、こっちにおいで!」
艶々に手入れをされた尻尾が、嬉しそうに揺れている。シグネは満面の笑みで二人を番台へと案内した。
「よし、それじゃあまず、これに必要事項を記入してくれ! わからないところは何でも聞いてね!」
溌剌とした声が耳に心地好い。渡された紙の項目をざっと確認し、一つずつ埋めていく。ガジは二人の後ろで腕組みをしている。
名前…ティファ。年齢…十六。性別…女。種族…さっき聞いておいて良かった。ミッドウィルダー。使用武器…双剣、弓。資格…なし。魔法・技能検定受験を希望する………
「…希望?」
「何かわからないところあるかい?」
「これ…」
最後のチェック項目を指差す。シグネはうんうんとにこやかに頷いた。次いでトリューにも視線を向ける。
「キミもかな?」
「検定ってなに?」
同じところでつまづいたらしいトリューも顔を上げた。ついでに記入欄を覗き込むと、随分と乱雑な字が紙面に踊っていた。
「お前十九歳だったのか」
「そうだよ」
「同じくらいだと思ってた」
「あれ? ティファいくつ?」
「十六」
「年下じゃん。お兄ちゃんって呼んでいいぞ」
「嫌だよ」
「さっさと書け。受験すんのかしねえのか」
ガジに急かされ前に向き直ると、シグネは特に気に留めてもいない様子で笑っていた。
「仲がいいねえ。お姉さんは嬉しいよ。さて、本題の魔法・技能受験だが、キミ達魔法は使えるかな?」
「炎と、回復を少し」
「氷がちょっと」
「うんうん。なら、受験することをお勧めするよ。できることが多ければ、依頼の質も量もぐんと上がるからね。それに、ギルドとしても魔法を使える人間は把握しておきたい」
その言葉で、ティファはすぐにピンときた。わからない様子のトリューは首を傾げている。察したシグネはこくこくと頷き、人差し指を立てる。
「例えばトリュー君。キミは氷魔法を使えるね?」
「うん」
「資格を持たないキミが、戦闘中に地面を凍らせたとしよう。その地面は自然に溶けるまで、凍ったままだ。さて、知らずにその上を歩いた一般人はどうなるかな?」
「あー…転ぶ?」
「その通り。この場合、意図せずともキミは加害者になってしまう。そういう事故を防ぐ為にも、是非受験をお勧めしたい。それにね」
シグネは少し困ったように肩を竦めた。笑顔に反して、耳は後ろに伏せられている。
「魔法を使える人間は、キミ達のような善人ばかりじゃないんだ。我々も痕跡を追って調査をするが、いつの時代も人手はいくらあっても足りないくらいだ」
参ったね、とシグネは短い髪を撫でた。
──大きな都市だ。犯罪もさぞ多いことだろう。民間事業のギルドが手を焼いている辺り、国としての情勢が少し気になったが、今は自分の用事を済ませることに意識を向けた。
「さて、記入事項はこれで全部──と、あれ? ティファちゃん、ファミリーネームはないのかい?」
「ない」
強いて言えばマルコ夫妻の姓なのだろうが、一度売られた身だ。教会でも誰も姓を使わなかったし、困ることもなかった。
視界の端に写ったトリューの表情が少し気になったが、見なかったことにした。シグネはさすがプロといったところか、一切表情を崩さずに続ける。
「そうかそうか。では、一応セカンドネームを考えておいてくれるかな。同じ名前の登録者がいると、照合に手間取っちゃうからね」
「なるほど」
「私は一度、このまま登録できるか照合してこよう。少し待っていてくれ」
そう言って、シグネは番台の奥へと歩いて行った。向こう側には、積み上がった書類や魔道具のような器材が並んでいる。
「セカンドネームかぁ…」
なんだろうな、と腕を組んで天井を見上げた。そもそも『ティファ』という名前も、恐らくはマルコ夫妻の亡くなった娘の名前だ。確認してはいないが、ずっとそう呼ばれていたのでそのまま使っている。
そっと目を閉じ、改めて自分の名前について考えた。瞼の裏に浮かんだのは、ローブの男達に攫われたあの日。
雨の匂い、荷馬車の軋む音、幼い声。──自分の未来を選んだ夜に、思考は静かに沈んでいく。
『ねえ、おねえちゃんのおなまえは?』
『……』
『ないの?』
『…ティファ』
『きれいななまえ』
『…私もそう思う』
懐かしいな、と思った。売られて絶望していたのに。初めて人を殺した夜だったのに。
ミィデを失い、学ぶことにしがみついていなければ潰れてしまいそうだった。自分の身勝手にパチャ達の未来まで巻き込んだ責任を、果たそうと必死だった。
『いつか、あなたの答えを聞かせてちょうだい』
白い髪を、誇りに思う。シスターと同じ色ではなくとも、シスターが愛してくれた色。
未来を、自由を、生き方を。自分で選んでいいのだと、教えてくれた。貰った全てで、私は今歩いている。
失くした痛みは未だ鋭く、心臓に噛みつく。それでも乗り越えさせてくれた人がいた。私を生かそうと、戦ってくれた。
『本物じゃないけど、お守りよ』
赤茶色の髪が揺れている。いつでも鮮明に思い出せるほど、瞼に焼きついている。
そっとマントの襟を撫でた。裏に刺された、ヤドリギの刺繍。
──ここだ。私が生まれて、帰る場所だ。
「やあ、お待たせ。すまないね、同じ名前が何人か登録されていたよ。セカンドネームは決まったかな?」
「キルメリア」
戻ってきたシグネに、そう告げた。眼差しは強く、迷いない。
「ティファ・キルメリア。それが私の名前だ」
あの日生まれた火を、もう一度。この名に宿して、灯し続ける。




