火を入れろ
──酒を煽る。無くなった瓶は投げ捨て、がちゃん、とぶつかる音がした。
額の傷が痛む。四年前に残った、負け犬の証だ。傷を押さえても、痛みはズキズキと増すばかり。
だが今は、その痛みだけが、エレノアとの繋がりを感じさせてくれる。
綺麗に手入れをした、エレノアの杖を撫でる。触れれば懐かしく、エレノアの笑顔が鮮明に甦る。
失った。護れなかった。自分にもう武器を作る資格などない。
あまりにも無力だった。気づけば自分を傷つける為の道具ばかり作っていた。眠れない日々を酒で誤魔化した。
それだけ溺れてもまだ、底は見えない。
「エレノア…」
祈るような声だけが、部屋に溶けた。
******
「俺は…あの日何があったのか知りません。二人は何日も帰って来なくて…ギルドに呼ばれて行ったら親方は重傷で…エレノアさんは亡くなっていて…」
レンは終始俯いたままだった。きゅっと服の裾を握り、絞り出すように言葉を紡いだ。
「ただ親方は…『護れなかった』と…。あの日があってから、この山に戻って…あんな生活に…」
そう言ってレンは口を閉じた。ティファとトリューは黙って最後まで話を聞いていた。トリューは複雑そうに眉をしかめている。
ティファは店を出て、工房を見た。煙突の煤。積み上がった鉱石。魔物の骨。──武器は作らない、と言っていた割に、最近まで稼働していた形跡がある。
「え、ティファさん?」
「オイオイ、勝手に──」
ティファはずかずかと工房に入り、中を見渡した。作りかけの拷問器具が置いてある。乱雑に、打ちっぱなしのままだ。
側にあったハンマーを手に取る。拷問器具と違って、煤一つついていない。丁寧に磨いてある。隣のやっとこもだ。
「これは、レンが手入れしてるのか?」
「え? 工具ですか? いえ…親方の道具には触らないよう言われてるので…」
「なるほど」
ティファは呆れたように溜め息を吐いた。
そしてくるりと反転すると、再び店へと向かう。無遠慮に、靴を鳴らして。不思議に思ったレンとトリューも、ひとまず後ろからついていく。
居間の扉が開かれる。二度目のご対面だ。
「…まだいやがったのか」
「武器を直してほしい。トリューの槍と、義眼の製作もだ」
「やらねえって言ったろ。とっとと帰れ」
「鍛冶師なんだろ」
「…もう違え」
ガジウスは振り向かず、相変わらず酒を煽っている。ティファは「ふう」と短く嘆息して、冷たい視線を向けた。
「失って、踞って、いじけて自分を傷つけて。あの世の奥方に格好はついたのか?」
「……あ?」
初めてガジウスの眼光がティファに向く。それは鋭く、怒りと殺意に満ちていた。
それをティファは、見下すように続けた。
「惨めだな」
次の瞬間、ガジウスの拳が飛んだ。顔面を直撃したティファの体は壁を突き破り、店の外まで吹っ飛んだ。
「いっ!?」
驚いたトリューが固まる。レンは初めて見るガジウスの形相に、恐怖していた。
「もういっぺん言ってみろ小娘! 俺ァ女だからって容赦しねえぞ!」
居間から現れたガジウスは衰えを微塵も感じさせない巨体を誇っていた。遠く飛ばされたティファががらがらと瓦礫をどけて起き上がる。
「なんだ。元気じゃん」
腫れ上がった右頬を擦りながら、にっと口角を上げる。もう一度立ち上がり、ガジウスに向き直る。
「武器を作ってくれ」
「しつけえぞ! 帰れって言ってんだ! まだ殴られてえのか!」
「好きにすればいい」
ティファはまた挑発的に笑った。その顔に激昂したガジウスは、もう一度ティファの顔面に拳を叩き込んだ。
「二度と来んじゃねえ!!」
そう吐き捨てて、ガジウスは穴の空いた部屋に戻って行った。
レンとトリューが駆け寄って来る。ティファは頬を押さえて起き上がった。
「だっ、大丈夫ですか!?」
「あーあー…あのオッサン…わざわざ顔面殴ることねえだろうに」
「いでで…いいよ治るから…」
治癒を試みるが、マナはここに来るまでにほとんど使い果たしてしまった。一度山を降りるしかない。
「あの…すみませんでした…親方は本当は女性を殴るような人じゃ…」
小さく正座したレンが、申し訳なさそうに呟いた。トリューはレンの頭をぽんぽんと撫でた。
「あれは喧嘩を売ったティファが悪い。気にすんな」
「この程度なら治るから大丈夫だよ」
それでもレンは申し訳なさそうにしていたが、問題はまだある。魔物が多い屍山では、夜営は難しい。食料もない。一度急いで山を降りなくてはならない。
「レンはこの山降りる時どうしてるんだ?」
「俺は、魔除けの香を全身に炊いてから降ります。魔物の苦手な匂いがつくので、道中は安全です」
「それ売ってくれるか」
「もちろんです!」
レンに香を炊いてもらったあと、既に夜道ではあったが急いで山を降りることにした。魔物の弊害もなく、一度通った道だったので半日もかからず村に到着した。
薬屋で治療を受け、宿屋では泥のように眠った。体力もマナも限界だった。
それでも一晩眠れば回復してしまうのだから、若者とは素晴らしい。
「今日持ってくのは携帯食料と水だけにする。他は邪魔だ」
「またあれ登んのか~」
「別に留守番しててもいいぞ」
「ここまで来たら付き合うよ」
ひょい、と長い棒を回し、大道芸のような遊びをしている。器用な奴だ。
「さっさと登ってあのおっさん口説き落とそう」
「口説いてたの? 喧嘩売ってたんじゃなくて?」
トリューは「俺ちょっとティファがわからない」と呆れていた。
その日も、その翌日もティファとトリューは山に登った。ガジウスに会い、武器の製作を依頼しては殴られて帰る。その繰り返しだった。
その次も、その次の日も、そのまた次の日も。
「よっ!」
マナで包んだ木の枝で魔物を払い、二人同時に蹴りを撃ち込む。戦い方もかなり安定してきた。
「お前今蹴った? 剣士の癖に」
「お前だって蹴ったろ」
「足のほうが早かったから」
「私もだ」
内包するマナ量が増えたのか、マナの出力制御が上手くなったのか。当初ほど疲れなくなってきた。登山スピードも上がり、今では半日で往復できる。
その分ガジウスに殴られる回数も多くなったせいか、ティファは特に損傷が酷い右頬を擦った。
「そろそろ治りにくくなってきたな…顔ぱんぱん」
「骨折れてんじゃねえか? ちゃんとくっつけないと顔ボコボコになんぞ」
「それは嫌だなぁ」
「ちゃんと診てもらえー」
「そうする」
そして今日も山頂に到着した。いつものようにガジウスに声をかける。
「修理依頼だ」
「何度も何度も…ッ!」
ガジウスは心底苛立った様子で、ティファの元へ近づいて来る。しかし、今日は拳を握り締めたまま動かない。いつもと様子が違った。
そしてキッと視線がトリューに向く。
「オイ小僧!」
「えっ、俺?」
「てめぇなんでいつも突っ立って見てやがる! 男なら女を護るのが筋ってもんじゃねえのかよ! なんでいつも黙ってる!」
トリューは「うーん」と考えて、腕を組んだ。
「だって俺、おっさんのこと知らねえし」
迷いのない声だった。トリューはいつもそうだ。
「レンから話聞いたけど、俺におっさんの悲しみと苦しみなんてわからん。ついでにティファが何考えてるかもわかんねえ」
トリューの瞳は少しも揺らがない。じっと、まっすぐにガジウスを見ている。
「でも、ティファがおっさんの拳を受け止めるってんなら、俺は邪魔しない」
ティファの口角が僅かに上がる。
トリューの言葉を受けたガジウスは、揺らいでいたようだった。握った拳が震えている。
ティファは一歩前に出て、砕けた双剣を置いた。
「先代の遺品だ。あんたなら、どれほどのもんかわかるだろ」
そう言って踵を返した。「あと、槍と義眼な」とだけ付け加えて、その日は山を降りた。
ガジウスはしばらく、その場に立ち尽くしていた。西日が、砕けた刀身を橙色に染めていた。
******
どれだけの時間が経っただろうか。夜風は冷え、霧が立ち込めている。
ガジウスは未だ、砕けた双剣を前に一歩も動けずにいた。
(どうしろってんだよ…いまさら…)
双剣に手を伸ばす。すると額の傷が鋭く痛んだ。同時に、エレノアの死に顔が甦る。
──またこれだ。武器を手に取ろうとするたび、過去が足を掴む。お前は無力だと。何も護れやしないのだと。
座り込んで頭を抱えた。あの小娘の言う通りだ。
何も護れないから、傷つける物ばかり作った。酒に溺れた。どうしようもなく惨めだった。
「俺は…なんて弱えんだろうな…エレノア…」
自分の両手を見る。マメだらけの手だ。火傷や傷も、昔は勲章であったはずなのに。もうなんの役にも立たない手になってしまった。
『ねえ、ガジ。私、貴方の手、好きよ』
雲が途切れた。顔を出した月が双剣を照らす。
エレノアの声が響く。今でも鮮明に憶えている。優しい声だ。
『貴方の作る武器が、防具が──これからもたくさんの人を護るのだわ』
夢を、見ているのだろうか。エレノアの手が、感触が、今この手にある。
「エレ──」
声を掛けきる前に、幻は消えてしまった。だが、不思議なことに手の温もりは、しっかりとこの手に残っている。
ガジウスは意を決して、双剣の柄を手に取った。持った瞬間に、理解した。
──とんでもねえバケモンだ。
元はタングステン…だが最小限だ。マナ伝導率の高い星水鉱を網目状に張り巡らせてやがる…どんな技術だ。火力は出るが少しでもマナ操作を誤れば暴発する。
こんな武器、下手したら持ち主が…
「……!」
砕けた刀身を手に持った。刀身の重さが違う。この刀身なら手元側に重心を寄せるのが定石。俺でもそうする。だがこれは、あとから削って、切っ先側に重心を直している。
この持ち主は…この危険な武器を、あえて攻撃中心の戦闘スタイルに持っていったのか。
ぞくりと背筋が粟立った。これは──持ち主と鍛冶師の喧嘩だ。
情熱が伝わる。鍛冶師が最高傑作として仕上げた品を、持ち主がさらに昇華する。それが幾度も繰り返された、まさに神器。
ぐっと、柄を握る。あの生意気な小娘の顔が浮かんだ。
『大切なものなんだ』
ああ、そうだろうよ。若造にはもったいねえほどの神器だ。──よく手入れしてある。
ガジウスは立ち上がった。月は静かに、山頂を照らしている。
工房の物音に気づいたレンが扉を開けると、ガジウスは乱れた髪を束ねエプロンを着用していた。
「えっ…親方…?」
「おう。まだ起きてたか」
なんでもない様子で、ガジウスは準備を進める。レンは胸の高まりを堪えきれずにいた。
「火を入れろ。仕事だ」
「……ッッ! はいっ!!」
炉に火が宿る。かつて絶えていた鎚音が、静かな山頂に響き始めた。止まった時間が、動き出した。




