クイーンズ・サクリファイス
あれから、たくさん旅をした。長い年月を、共に過ごした。
最初はただの好奇心だった。エレノアに誘われ、魔法の知識も鍛冶師に必要だと、納得した。
エレノアと見る景色は、どれも新しく鮮やかだった。危険な冒険さえ、胸が踊った。
痛ましい光景も見た。人が争い、土地は枯れていた。エレノアはそんな土地を調べ、人と星が共生する道を模索していた。
一度、魔法で水を集めればいいじゃないかと言ったことがあった。エレノアは「そんなに簡単な話じゃないのよ」と呆れていた。
「例えば、ここは砂漠でしょ?」
「そうだな」
「なぜだと思う?」
「なんでだ」
「土属性と火属性が強い土地なのよ」
乾いた風が吹き抜け、地平線まで続く砂丘が金色に波打っていた。陽炎の向こうに霞む岩山だけが、この不毛の土地でひときわ存在感を放っている。
エレノアは砂を掬い上げた。それはさらさらと指をすり抜けて落ちていく。
「一見すれば、砂漠は作物が育たない不毛の土地よ。でもね、ガジ。貴方ならわかるはずだわ」
エレノアは遠く見える岩山を指差した。その先は夕日に照らされ、紅く燃え揺らめいている。
「あの下にはいくつもの鉱脈が息づいている。強い土地だからこそ、生まれる資源よ」
ガジウスは黙って岩山を見ていた。この強い土地が、自分の作る武器や防具の命の源なのだと、初めて実感した。
「私達は星に、生きる場所を借りているだけ。自分達の都合で星の営みを変えるなんて、傲慢が過ぎてよ」
「そりゃあそうだ!」
大きな笑いが溢れ出る。
──なんてちっぽけな世界で生きていたのだろう。山に籠り、強い武器を作ることに生涯を捧げる。それが鍛冶師として、唯一の生き方だと、信じて疑わなかった。
エレノアはもっと、遥か遠く。世界を見て、自分にできることをまだ探している。強い女だ。
ガジウスはもっと知りたくなった。世界のことを、エレノアのことを。
それからはずっと、自分の意思で行動を共にした。エレノアが危険に遇えば、命懸けで守った。気がつけば、互いに互いがなくてはならない存在になった。
遥か遠い東方の地で、二人は夫婦として結ばれた。
その後も冒険は続く。冒険者として、戦争への参加要請を受けることもあった。痛ましく、おぞましい争いだった。
戦後処理で町を歩いていた時、身寄りのない子供と出会った。子供はレンと名乗った。戦争で両親を亡くしたが、孤児院はもういっぱいで空きがなく、物乞いをしてその日暮らしをしているのだと言う。
戦後の町は奴隷商が横行していた。ガジウスとエレノアはレンを連れて旅をすることにした。
それからさらに数年が経った。レンも大きくなり、教えた工具の扱いも立派にこなせるようになった。飲み込みが早く、知識だけは一端になった。
「親方! 見てくださいこれ!」
「ほう。チタンか」
「工房借りて精製してみました! どうですか! しかもブルーです!」
「ムラがある。使えねえ」
「くーーだめかぁ」
「まだオメェには早えよ。鉄から打ってろ」
「えー」
レンはがっくりと肩を落とした。しかしその表情は明るく、出会った頃の虚ろさは微塵も感じさせない。腰に指したナイフを取り出し、蒼く澄んだ刀身を眺める。
「早く親方みたいになりたいのにな」
「ハッ。百年早えや」
レンはナイフをしまい、にっと笑ってガジウスに駆け寄る。
「今日はエレノアさん遅いんですね?」
「なんかギルドから要請が来てるって出掛けていったな」
テーブルの上には、エレノアがいつも使う空のティーカップが伏せて置かれたままだった。
「エレノアさん一級魔導師ですもんね。Sランクの冒険者試験にも合格したんでしょ? 親方も受ければいいのに」
「あいつがいるからいいんだ」
ガジウスはそう言って工具の手入れを続けた。宿屋の外は暗く、雲がのし掛かっている。もうじき雨が降る。
室内はランプの灯りが橙色に揺れ、暖炉の熾火がぱちりと爆ぜる音だけが静かに響いていた。
「ただいま。遅くなってしまったわ」
エレノアが帰宅したのは、すっかり日が落ちてレンが寝静まった後だった。雨に降られたらしく、濡れた髪を絞っている。
「随分遅かったな。面倒事か」
布を手渡し、濡れた服を着替えさせる。エレノアの目元は暗く、唇はきゅっと結ばれていた。
「ええ…かなりね」
エレノアは服を着替えると、眠っているレンの側に顔を近づけた。ふ、と微笑んで、髪を撫でる。続けて、レンが抱いているナイフのケースにも指を這わせた。
「大事そうに持っているわね。眠る時くらい、置いておけばいいのに」
くすくす。そんな声が静かな部屋に響く。ランプの明かりが二人を暖かく揺らしている。
「いい出来になったからな。お守り代わりだ」
晩酌のウイスキーを傾け、エレノアにも注ぐ。エレノアはガジウスの手を取り、そっと両手で包んだ。エレノアの手は、とても小さい。
「ねえガジ。私、貴方の手、好きよ」
「どうした、急に」
「この手が作る武器が、防具が──これからもたくさんの人を護るのだわ」
祈るような仕草で、エレノアはガジウスの手に額を寄せた。なんだか照れ臭くなったが、エレノアの手はとても暖かかった。
エレノアは椅子に腰掛けると、グラスを手に取る。からん、と氷が弾ける音がした。エレノアの目元に、暗い影が落ちる。
「…危険な任務に行くことになったわ」
「俺も行く」
「ええ…」
「怖いのか」
「ええ…そうね。なぜかしら」
「昔はそんなじゃなかったろ。どこでも勝手に飛び出してよ」
「そうね…随分無茶もしたわ。でも…今はレンがいるのよ。あの子に『ただいま』と言えなくなることが…とても恐ろしい」
そう言ってグラスに口をつける。僅かに手が震えている。今までの比ではないほどの、危険な任務であろうことが窺い知れた。
ガジウスは一気にグラスを空け、次を注いだ。そしてエレノアの前に突き出す。
「心配すんな。俺が護る」
エレノアは表情を崩し、微笑んだ。
「頼りにしてるわ」
キン、とグラスが鳴る。それはまるで、二人の祝福のように。
それから、レンは宿屋に残して現地へと出立した。
見送るレンの声が、いつまでも耳に残っていた。「いってらっしゃい」──その何気ない一言が、まさかこれほど重い意味を持つとは、その時はまだ知らなかった。
その後のことは、あまり覚えていない。なにがどうなって、今ここにいるのか。
鉄と土の匂いが濃く鼻を突く。耳鳴りがひどい。視界の端がやけに眩しく、白く滲んでいる。
遠くで何かが崩れる音がしている気がしたが、それすらも定かではなかった。
なぜ、血まみれのエレノアを抱えているのか。
「エレ…ノア…」
頭部から落ちる血がエレノアと混じる。頬が冷たい。氷のようだ。
いつも柔らかかった手が、今はぴくりとも動かない。
視界の隅で、何かが弾けるように光り、粒となって崩れていくのが見えた。
「エレノア…っ、おい…しっかりしろ…! エレノア!」
いくら呼んでも、エレノアは何も答えない。胸を裂かれた傷だけが、生々しく血を流している。
ガジウスは悟った。自分は、庇われた。護るべき相手に。一番護りたかった人を、護れなかった。
その事実だけが、冷たい感触となって腕に残る。
「ウオオォォアアア!!!」
咆哮は遠く、虚しく。




