鍛治師と魔女
──十二年前。エレノアは『屍山』と呼ばれる山の調査に来ていた。
「なんて…登りにくいのかしら…っ」
長いスカートをたくしあげ、杖で枝を払う。革製の高級ブーツは泥まみれだ。丁寧に整えた巻き髪もとうに崩れた。エレノアは長い溜め息を吐いて、頂上を見上げる。
彼女は肩から下げた鞄から銀の器具を取り出した。蓋を開けると、針が異様に震えている。
「でも…確かにこの山のマナは異質ね」
地学者としての勘が、警告を鳴らす。やけに発達した魔物が多いのも、そのせいだろう。ギルドの調査隊すら手を出せず、対応に困っていた。凶暴なヌシがいるという話もある。
「いいわね…腕が鳴るというものよ…!」
エレノアは腕捲りをして、髪を束ね直した。
襲い来る魔物達は、エレノアの敵ではなかった。元々高位の魔導師だ。地学者として、危険な土地に調査に入ることも少なくなかった。
順調に山を登っていると、突然鉄球が飛んでくる。エレノアは咄嗟に防護魔法で攻撃を弾いた。──魔物ではない。
「なんでえ。人みてえな魔物だな」
攻撃の方向を見ると、木立の奥から身長二メートルを越える大男が鉄球の鎖を引き摺り現れた。
「いきなり何をするの!」
「まぁいいか。久々に骨がありそうだ。ちょっと試作に付き合え!」
男は太い鎖を引き寄せると、巨大な鉄球を振り回し始めた。木々は折れ、枝や木屑が風に舞う。
「ちょっと! 話を──…」
「オラ!」
男に聞く耳はないようだ。エレノアの言葉は届かず、鉄球は容赦なく襲い来る。
やがて防護魔法で弾き続けるエレノアのこめかみに青筋が浮かぶ。
「そう…痛い目に遭う覚悟はできているようね…!」
エレノアは杖を掲げ、反撃の魔法陣を描いた。
勝負は辛くも、エレノアの勝利に終わった。辺りはほとんど更地となり、木々が無惨にへし折れている。
その中心で、男は仰向けに倒れていた。
「ハァ…ハァ…っ、一体なんなの…!」
男の持っていた鉄球をなんとか破壊し、頑丈過ぎる男に何度も攻撃魔法を撃ち込み、エレノアは疲弊していた。
男の息を確認しようとした時、男は急に笑い出し、エレノアは肩を震わせた。
「ぶわっはっはっは! 強えな嬢ちゃん! 参ったぜ!」
──あれだけ魔法を撃ち込んだのに、けろりとしている。一体何者なのだろうか。
「悪かったな! 新種の魔物かと思ってよ! 詫びに飯でも食ってけや!」
「いえ…結構よ…」
「まぁそう言うな! いい温泉もあっからよ!」
温泉。その言葉につい後ろ髪を引かれる。
過酷な山登りで体は泥だらけ、汗まみれ。育ちのいいエレノアにとって、入浴は欠かせない身だしなみの一つだった。
「まぁ…少しくらいなら」
「おう! 遠慮すんな!」
男はガジウスと名乗った。聞けば、山の頂上付近に工房を建て、鍛冶師を営んでいるという。
「なぜこんな危険地帯に?」
「試し斬りにちょうどいいのがいっぱいいるからな」
「そんな理由なの?」
呆れた。エレノアは大きく溜め息を吐いた。
やがて到着した頂上には、小さな工房が建っていた。さらに奥に温泉がある、と案内され、エレノアは一晩世話になることにした。
湯浴みを終え、工房横の家に戻ったエレノアはガジウスに声をかける。
「あの…お風呂いただいたわ。ありがとう」
「おう! 肉も焼けるぞ! 食え食え!」
食卓には、シンプルなステーキが並んでいる。エレノアは小さくお礼を言って、一口含んだ。
「おいしい…火加減が絶妙だわ」
「おうよ。火を見るのが仕事だからな」
鍛冶師を名乗るだけの腕はあるようだ。確かに、持っていた鉄球も壊すのに苦労した。
「嬢ちゃんの杖もいいもんだな。見ていいか」
「エレノアよ。ええ、どうぞ」
はい、と杖を手渡す。ガジウスは受け取った杖を掲げて、まじまじと見ている。その視線は先程までの人懐っこい表情とは打って変わって職人のそれだ。
「霊金鉱か。魔力伝導率が高え割に脆い金属だ」
「ええ。それをマルエージングで補強してるの。おかげで壊れないわ」
「だがもったいねえな」
「え?」
ガジウスは両手で杖を持ち、先端の魔石を見つめる。
「このルベライト…お前さんの火力調整弁だろうが…マルエージングと相性が悪い。せっかくの火力も出しきれねえだろう」
エレノアは目を丸くした。「ありがとな」と手渡された杖を受け取り、ガジウスを見詰める。
「驚いた…そんなところまで見ているのね」
「魔法はそこまで詳しくねえけどな」
ガジウスはそう笑って、豪快にステーキを頬張った。
食事が終わると、エレノアはガジウスの工房を見せてもらったり、魔法について教えたりした。そんな他愛のない話をしているうちに、すっかり夜は更けていった。
そして、翌朝。
「じゃあ、お世話になったわ」
「おう! また来いよ!」
「気が向いたらね」
そう言って、エレノアは山を降りた。後日ギルドへの報告書には、『屍山の頂上におかしな鍛冶師が住んでいる』と書かれていた。
******
屍山を去って、数ヵ月が過ぎようとしていた。エレノアは街の魔法店に来ている。
「修理できそうかしら」
自慢の杖に、ヒビが入っている。強力な金属で補強してあったはずだが、エレノア自身の火力に耐えきれず破損してしまった。
魔法店の店主は、杖のヒビを見て眼鏡の位置を正す。
「うーむ…これは修理するより、買い直した方がよろしいでしょうなぁ」
「そう…」
エレノアは裕福な家の出身だ。所持金に困ったことはない。買い直すこと自体は問題ではないが、手に馴染む魔道具を探すのは一苦労だ。
魔法店を後にしたエレノアはふと空を見上げる。そういえば、あの変わり者の鍛冶師はどうしているだろうか。
「久しぶりに…温泉でも入りに行こうかしら…」
エレノアは再び、屍山へと向かった。
数ヵ月振りに会ったガジウスは、喜んでエレノアを歓迎した。武器製作依頼とあれば、なおのことだ。
「できそうかしら」
「任せろ。いいもん作ってやらぁ」
ガジウスは豪快な外見に反し、非常に丁寧な仕事振りを見せた。
エレノアの手や身長までも測り、最も使いやすいサイズと重さを割り出した。頑丈さだけに拘らず、魔物の骨や角も惜しみなく使用し、エレノアの最大火力を引き出す素材を厳選した。
一方でエレノアも、ガジウスの知らない魔法学の知識で製作をサポートした。
「待って、ガルムンドの角は属性攻撃に強いけど牙はそうでもないわよ?」
「そうなのか。じゃあ角だけにするか」
「知らなかったの?」
「魔法はよくわからねえ」
「鍛冶師にとっても必要な知識なのではなくて?」
「むぅん…」
唸るガジウスを見て、エレノアはくすりと笑う。
「知っていることでよければ、教えてあげるわ」
完成までの二週間、二人は充実した時を過ごした。
そして完成した新しい杖は、惚れ惚れするような美しい輝きを放っていた。
「素敵…どうもありがとう」
「おうよ! 我ながらいい出来だ!」
エレノアは杖を手に、うっとりとした表情を浮かべた。初めて持つのに、まるで長年の相棒のように手に馴染む。
「また壊れたら来いよ。いつでも修理してやるからよ」
ガジウスの言葉に、きゅっと胸が詰まった。──別れの時だ。
ふと、過去を思い返した。エレノアは群れを好まない。昔から、単独行動が多かった。裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ち、魔法も勉学も優秀な成績で学校を卒業した。
それを、妬まれることも多かった。地学者になった後も、結局は金持ちの道楽と謗られた。──その過程にある血の滲むような努力は、見られることなく。
杖を握る手に、きゅっと力がこもる。
「もし…もしもの話なのだけれど」
「おん?」
ガジウスは今まで出会った誰とも違った。エレノアの強さを認め、一人の人間として扱い、鍛冶師として向き合ってくれた。
ここで何も言わなければ、後悔するかもしれない。その一心で、エレノアは言葉を紡いだ。
「もしも貴方が…魔法について知識を深めたいというのなら…! 護衛として、連れて行ってあげてもよくってよ…!」
言い切って、そっぽを向いた。顔は見られなかった。おかしな言い方になってしまったが、これがエレノアの精一杯だった。
ガジウスは少し考えたあと、きょとんとした顔で口を開く。
「なんだ。ついてきてほしいのか」
「違います!」
つい声を荒げてしまった。自分でもわかるほど、顔に熱が集まっている。ガジウスは相変わらず、首を傾げたままエレノアを見ている。
「べ、別に…無理にとは…!」
「いいぞ。面白そうだ。この山の魔物にも飽きてきたところだしな!」
ガジウスは「はっはっはっは」と腰に手を当てて大きく笑った。
エレノアとガジウス。二人の旅は、ここから始まる。




