叛逆の火種
ティファは静かに立ち上がる。外は雨の音がする。幌を打つ雨粒が、途切れることなく続いていた。
「…私は逃げる。お前達はどうする」
カイルが驚いて顔を上げる。
「逃げるってお前…どうやって! 相手は大人だぞ!?」
「殺して馬を奪う。木の破片でも…紐でも何でも使う」
温度のないティファの眼に、カイルはゾッとした。
「待って…私も行く…!」
名乗りを上げたのはアンナだった。
「馬は引けるか」
「うん…! 農家だったから…大丈夫!」
「馬が暴れ始めたら大人しくさせてくれ」
「わ、わかった…!」
パチャ達は目を丸くしている。そのうち、カイルが諦めたように頭を掻いた。
「ああああもう! わかったよ! 俺もやるよ!」
「パチャ」
ティファはパチャの肩に手を置く。パチャは真っ直ぐにティファを見ている。
「ルキとミィデを守れ。できるな?」
抱き合う兄妹を見た後、パチャはゆっくり頷いた。
ああ、やっぱりこの子は賢い。
「よし、いこう」
ティファは尖った木片と縄を手に取り、荷馬車の幕を開ける。雨と風で視界が悪い。冷たい飛沫が頬を叩く。だが幸いにも、今は雨音が味方をしてくれる。
幕を伝い、御者席に忍び寄る。──二人いる。
一人は、確実に、一撃で。狙うなら、首。
(失敗したら皆死ぬ)
震える手を抑え、位置を確認する。迷っても、躊躇してもいけない。
心音で耳が痛む。呼吸が乱れる。
(殺す…ちゃんと殺す…!)
でないと誰も助からない。言い聞かせるうち、怒りは冷たい殺意になった。
雷が落ちる。稲光が一瞬、御者の背中を白く浮かび上がらせた。同時にティファが飛び出す。
木片は商人の首深くに突き刺さり、血飛沫を上げて崩れた。生温かい飛沫が雨と混ざって頬を伝う。
「は…? おい!」
狼狽えたもう一人も、すかさず馬車から突き落とす。
「このガキ…いつの間に…ッ」
首に縄を掛けようとしたが突き飛ばされた。体格では勝てない。ナイフを取り出した男はティファににじり寄る。
「せっかくの商品だったのに…!」
失敗。今度こそ死ぬ。
男は腕を振り上げる。──避けられない。
そう思った瞬間、鈍い音と共に男はぐらついた。
後ろには岩を持ったカイルがいた。
思考の間もなく、ティファは男の首に縄を掛ける。まだ死んでない。確実に、殺さなくては。
「ゼェ…ハァ…ハァ…!」
死んだだろうか。本当に。起きて来ないだろうか。
手の震えが止まらない。寒い。雨に打たれ続けた体は、とうに感覚が薄れかけていた。
「──…ファ! ティファ!」
ああ。自分の名前だ。呼んでいたのはカイルだった。
「おい、大丈夫か!?」
「馬もなんとか…ティファ、平気…?」
馬を引いたアンナも声を掛ける。雨はまだ止まない。
「だい…じょうぶ…荷馬車の幕剥がせるか?」
「できると思うけど…」
「追っ手が来るかもしれない。森に入ってテント代わりにしよう」
カイルは急いで幕を剥がし、担いだ。幼い子供は馬に乗せ、アンナが引く。ティファは商人の遺体からナイフを持ち出し、先頭を歩いた。
森の中で雨宿りに適した場所など、そうそう都合良くは見つからない。獣道で疲弊する前に、木の枝に幕を掛けて簡易テントを作った。
「ねえティファ…これから…どこにいくの?」
パチャが不安そうに尋ねる。
「…わからない」
行く当てなどない。でも奴隷になるよりはマシだと信じたい。
だが雨は残酷にも子供達の体力を奪っていく。身を寄せ合っても寒さを凌ぎきれない。血が固まっていく。
(血…)
例えば、指先から血が滴るように。
それを、もっと、強く。吹き出すように。
「…カイル」
「…なんだ?」
「まだ動けるか?」
濡れていない枝、落ち葉、この際服でも何でもいい。何か、とにかく燃やせる物を。
何とか集めた燃料を石で囲う。そこに手を翳してみる。
「なにするの?」
ルキが不思議そうに見ている。ミィデはぐったりしている。早くしないと危ない。
(手から…指から…血が吹き出すように…)
冷たい。血が巡っていないのはわかる。だがマナとは血液とも神経とも違うらしい。
どれだ。どこだ。
心音が聞こえる。雨音に混じって妙に静かだった。その奥で小さく弾けた音がした。
指先の奥で何かが脈打った。
(ああ…これだ)
ボッ
「わあ!」
「火だぁ!」
「ティファ魔法使えたの!?」
子供達は大喜びだった。小さな炎が濡れた顔を橙色に照らし出す。言いたい事は色々あるが、とにかく疲れた。
「悪い…ちょっと寝る…」
雨はいつの間にか止んでいた。




