雨の宿屋で
レフテオの村を出立した夜。
森を抜けて街道に出た二人は、次の中継地点を目指していた。
目的地である『屍山』には、安全なルートでおよそ五日はかかる。
現状、武器は自分の弓しかない。矢も限られている。
野営を避けたい一心で、ティファはトリューを急かした。
なんとか村に辿り着いた頃、すっかり夜は更けて民家の明かりも消え始めていた。
宿を見つけて部屋を確保した二人は、早々に眠りに就こうとするが、ティファは体に不調を感じ始めていた。
(これは…まずいかもしれない…)
だんだんと頭痛がしてきた。トリューは既に眠っている。
ティファは下腹部を押さえ、鞄から布を取り出し、来たる『痛み』に備えてベッドに入った。
******
翌朝、雨の音で目が覚めた。
トリューはひとつ欠伸をして、隣のベッドでうずくまるティファを見た。
「おはよー」
「……」
返事がない。トリューはベッドを降りると、窓の外を見た。
「結構降ってんなー」
今まで天候には割と恵まれていた。トリュー自身は移動中が雨でも気にしないが、ティファはどうするのだろう。
布団に深く潜り込んだティファは、まだ起きる様子がない。
「ティファー朝だぞー」
「……」
やはり返事をしない。
トリューがベッドを覗き込むと、ティファは青い顔で眉間に皺を寄せていた。
「具合悪りぃのか?」
「……」
ティファは答えない。起きてはいるようだ。
風邪だろうか、と額を触ってみるが、熱はないようだ。
「動けねえの?」
「……」
ティファは弱々しく、小さく頷いた。
──体に変化が起き始めたのだろうか。それとも、怪我の後遺症だろうか。
マハトは、後遺症の心配はないと言っていたはずだが。
トリューは急に不安になった。
「大丈夫? 医者呼ぶ?」
「……」
ティファはふるふると横に首を振った。
しかし、声も出せないほど弱っているのは心配だ。
トリューがどうしようかと悩んでいると、ティファは布団からもぞりと顔を出した。
「…ただの…生理だから…だいじょうぶ…」
「せー…なんて?」
トリューは疑問符を浮かべた。聞いたことがない単語だった。
「なにそれ…病気?」
「ちがう…説明めんどい…」
ティファはそう言って、再び布団に潜ってしまった。
つらそうだが、病気ではないらしい。
「なんか食える? 食堂から持って来ようか?」
「いい…食欲ない…」
ティファは「勝手に治るから」と言って、その後は何も答えなかった。
トリューは仕方なくティファを置いて階下に降り、酒場兼食堂で朝食を摂ることにした。
「おや。アンタ一人かい。連れの娘っ子はどうしたんだい」
テーブルに着いてパンを頬張っていると、宿屋の女将に声を掛けられた。恰幅の良い中年の女性だった。
「なんか具合悪りいんだって。せーり? とか言ってた」
そう言って続きを頬張ろうとした時、上から女将の拳骨が降って来た。パンは死守した。
「いってえ!?」
「呆れた子だね! 気遣いってもんがないのかい!」
「なに!? なんのこと!?」
女将の拳骨は痛かった。頭がひりひりする。
それ以上に、なぜ怒られたのかがわからない。
「アンタねえ、女の体ってのは男が思ってるよりずっと繊細なんだよ。一緒に旅するんなら、ちゃんと気遣ってやんな」
「わかってるけど…」
「わかってない!」
ぴしゃり、と女将に言い放たれる。その剣幕には逆らえない圧があった。
「いいかい、よくお聞き。生理ってのはね、毎月お腹の中で内臓を破裂させて出血させてるようなもんなんだよ」
「…え」
ぽとり。パンに挟んだ具が落ちる。
トリューの血の気が引いていく。
「毎月毎月、子宮が絞られるような激痛に襲われるし、酷いと吐き気や腰の痛みで一歩も動けなくなるんだ」
──痛い。考えただけで痛い。
自分に子宮は存在しないが、内臓を捻られるような激痛だということは理解した。
「あの子は今、出血しながらその激痛に耐えてんだよ! 食欲なんてあるわけないだろうが!」
トリューは青ざめた。
ティファが。体を燃やしてでも戦っていたあのティファが。動けないほどの激痛。
「それが…毎月…?」
「そうだよ。男と違って、毎月毎月命を育む為の大仕事をしてるのさ」
女将はふん、と鼻を鳴らして、腰に手を当てた。
──考えたことがなかった。
ティファはいつも冷静で、強くて、頼もしくて。
なんなら口も悪いから、異性として扱ったことさえないし、そのつもりもない。
だが、体の違いだけはどうしようもない。
トリューはだん、と机を叩いて立ち上がった。
「おばちゃん! 俺どうすればいい!?」
女将は目を細め、口元の笑い皺を深くした。
「なんだい、いい子じゃないか。温かいスープと薬草を煎じてやるから、持って行っておやり」
「うん!」
******
トリューが部屋に戻っても、ティファはぐったりとベッドに沈んでいた。
後ろ手で静かにドアを閉め、ベッド脇の棚にスープと薬茶が乗ったトレーを置く。
「ティファ…大丈夫?」
返事はない。布団から覗く顔はまだ青く、つらそうだった。
「これな、おばちゃんが作ってくれた。薬茶は痛み止めだって」
飲めそう? と、顔を近づけると、ティファはもぞもぞと布団から顔を出した。
「あー…ありがと…」
「んーん…俺、知らなくてごめんな」
ぽす、とティファの頭に手を置く。ティファの髪は、思っていたより柔らかかった。
「なんで謝る…」
ティファは怠そうに起き上がり、スープに手を伸ばした。トリューは器を取ってティファに手渡す。
「おばちゃんに怒られた。一緒に旅してんなら気遣えって」
そらそうだよな、とトリューは肩を竦める。
ティファは一瞬目を丸くし、ふ、と笑った。
「あの女将さんか。強そうだったな」
「すげーゲンコツだった」
まだいてえ、と頭をさする。ティファは気が紛れたのか、くつくつと喉を鳴らして笑っている。
「まぁ、私の場合…激痛は三日くらいで引くから気にするな」
「ええ…三日も痛いの…?」
女って、大変だ。
再び顔から血の気が引く感覚がした。内臓を捻られる痛みを想像して、心臓がぎゅっとした。
「足止めして悪いな」
「それはいいよ…どうせ雨だし」
窓の外を指差す。雨はしとしとと降り続いている。
「じゃあ…まぁいいか」
「うん。ゆっくり休んでろ」
ティファが食べ終わった食器を受け取る。
まだ顔色は優れないが、表情は和らいだように見えた。
「ティファが寝てる間は、宿の手伝いでもしてるよ」
「うん…よろしく」
ティファは薬茶を飲み干すと、苦そうに舌を出した。
その顔が面白くて、笑いが零れる。
トリューは空のコップを受け取り、トレーを持って立ち上がった。
「それとさ」
「ん?」
ティファは布団を被り、猫のように丸くなっている。
「なんかあったら言えよ。まぁ…今はメシ運ぶくらいしかできねえけど」
それだけ伝えて、ドアに向かう。
後ろから、くすりとした声が聞こえた。
「十分。ありがとう、トリュー」
「おう」
ティファの険しい眉間の皺はなくなっていた。
階段を降りる音は、今朝よりも軽やかだった。




