生還
重い瞼をこじ開ける。
──左眼に強い違和感があった。視界の左側が真っ暗で、距離感が掴めない。
木造の天井に覚えがある。宿屋だ、と気づいたのは、しばらく経ってからだった。
「ほうほう、目が覚めておったか」
声のするほうに顔を向ける。左半面が覆われていて、視野が抜け落ちている。
ぼんやりと、マハトだということはわかった。
「全く…トリュー君も大概じゃが、おんしも大した回復力じゃの」
トリュー。その名前で遺跡での出来事が蘇る。
「トリュー…トリューは無事なのか…?」
ティファは痛む体を起こし、マハトに問う。マハトはまぁまぁ、とティファを宥めている。
「安心せい。三日前に回復して、今は薬草の採集を手伝ってくれておるよ。後遺症の心配もない」
そっか、とティファは胸を撫で下ろした。
──生きてた。その事実は、何よりもティファを安堵させた。
「しかし…すまなんだの。君らが太刀打ちできんほどの化け物が潜んでいようとは…迂闊じゃった」
「いや…私が弱かっただけだ。山で会った魔物だって…結局逃げただけだし」
ティファはきゅっと胸を押さえた。
──自分は、弱い。改めて、それを痛感した。
「なんにせよ、調査は中止じゃ。番人か守り人かはわからんが…そんな危険人物がいるかもしれん場所に、易々と入れんからの」
「…悪いな」
「なに、この件は『鎖魄衆』に一任するつもりじゃ。奴らには専門家も多いでな」
「さはくしゅう…?」
初めて聞く単語に、ティファは首を傾げた。耳馴染みのない言葉だ。
「あらゆるジャンルの専門家が集う秘密結社、といったところかの。まぁ、おんしが冒険者として名を上げたなら、いずれ出会うことになるじゃろ」
マハトはそう結んで、薬草の調合を始めた。──苦い匂いが鼻を刺した。
ふと、ドアの向こうから聞き慣れた足音が聞こえてきた。
「マハトー、言われた薬草採ってき──」
トリューはティファを見て、一瞬固まった。その後すぐに表情を崩し、駆け寄る。
「ティファ! よかった…! 起きたんだな!」
トリューはティファの手を握った。
温度を確かめるように。生きていることを、実感するように。
「もう起きて大丈夫なのか?」
「うん。心配かけてごめん」
「ほんとだよ…このやろう」
涙を堪えるような笑顔で、トリューは笑った。
「ほっほ、若いモン同士、積もる話もあるじゃろ」
マハトはくすくすと笑って、調剤器具を手に部屋を後にした。
椅子に腰掛けたトリューは、ティファの手を握り続ける。顔は俯き、包帯が巻かれたティファの腕をじっと見ていた。
「…体、なんか変わったとこねえか?」
トリューの眼が、どこか切羽詰まったようにティファの全身を走る。
「うーん…痛い」
「いやそうだろうけど! そうじゃなくて! なんか…いつもと違った感じとかねえか!?」
「…? 別に…ないな」
はぁー、とトリューは大きく溜め息を吐いた。
「なんも変わってねえなら…よかった」
トリューはもう一つ息を吐いて、安堵の表情を浮かべた。
意図はわからないが、変わったところ…と自分の体を探し、ひとつ気になった箇所を口に出した。
「強いて言えば…片眼がないの不便だな」
「ああ…それはマハト達でも治せなかったらしい。失くなった人体の再生はできねえって…カーバンクルももういねえし」
トリューは残念そうにティファの顔を見た。顔の左半分は、未だ厚い包帯に覆われている。
「まぁ…あれだけの化け物と対峙して五体満足なら、十分以上だろ」
命もある。そう続けて、ティファはぼすん、とベッドに横たわった。
トリューは握っていたティファの手を外し、今度は自分の両手を握り込んだ。
口元をきゅっと結んで、何か言いたそうに難しい顔をしている。
ティファはじっと、トリューの言葉を待った。
そして、ぽつり、ぽつりとトリューは言葉を紡ぐ。
「俺が…言えたことじゃねえんだけどさ…」
弱々しい。掠れた声だった。
「俺…お前の『どうなってもいい』みたいな戦い方…きらいだ」
拳を握る手が強くなる。ぎゅっと、堪えるような顔だ。
「助けられた俺が言えることじゃねえのはわかってんだけど…! お前は、もっと…自分が生き残ることも考えろよ…!」
泣きそうな、震えるような声だった。
ティファは黙ってトリューの言葉を聞いていた。
──生き残る。あのときは確かに、そんなこと微塵も考えていなかった。
崖から落ちた時もそうだった。落ちた。そう理解した瞬間に、生きることを諦めていた。
トリューはずっと、自分を生かし続けてくれていたのに。
トリューだけじゃない。シスターも、ノノアも。みんな自分を生かそうとしてくれていた。
「──うん。わかった」
ティファは小さく頷いた。暖かい何かが、胸に灯った気がした。
その言葉を聞いて安心したのか、トリューは脱力して腕を伸ばした。
「まぁ、あんなバケモンには今後二度と会わねえだろうけどな」
「会うよ」
ティファは間髪入れずに返した。
トリューは「へ?」と目を丸くしている。
自分でもなぜそう思ったのかはわからない。だが、確信に近い感覚をティファは持っていた。
「あーいう奴は、必ずまた会う」
「…絶対?」
「絶対」
古びた天井に、男の姿が浮かぶ。
黒い衣、波立った漆黒の髪。暗く、色のない瞳。
できれば二度と会いたくない。
だが、ティファの勘──前世の影響だろうか。それは、確かにティファに告げていた。
「あーいうのは因縁の相手になるって、相場が決まってる」
次は負けない。
生きて、勝たなくてはならない。
ティファの旅に、明確な目標ができた。
強くなる。
胸の炎が、一段濃く燃え上がった。




