手放せないもの
翌朝。
二人は山頂付近の岩場を越え、反対側へと下り始めた。
高所特有の荒々しい景色は徐々に姿を消し、代わりに緑が増えていく。
山腹には木々が根を張り、所々には獣道らしき跡も見えた。
「やっと山らしくなってきたなー」
「じゃあ今までは何だったんだ」
そんな軽口を交わしながら、二人は遺跡を目指して歩みを進める。
さらに下って行くと、木々は深く生い茂り空を覆う。反対側とは、険しさも異なるように思えた。
「時間がわからなくなるな」
「腹が減ったら夜だよ」
「雑か」
だがわからないではない。湧き水を見つける時間もあるのだし、早めに野営の準備をしようとティファは足を止めた。
「…」
「どうした?」
トリューは何かを察知したかのように、木立の奥を見ていた。
「…なんかいるな」
「獲物か?」
「わからん。ついでに見てくる」
トリューが水を探しに行く間、ティファは双剣で草場を切り開き、焚き火を作る。
ついでに何か獲物でも見つけてくればいいが、と淡く期待しながら火を付けた。
──パチパチと音を立てる木の音が心地良い。
鍋の準備でもしておこうかと、鞄に手を掛ける。そこで、遠くから声が聞こえた。──トリューだ。
「──…!」
遠い。何か言っているが、聞き取れない。
さらに耳を澄ませると、慌ただしく走って来る音がする。
──何かを、壊しながら。
(魔物か!)
ティファは双剣を構えた。
破壊音は、すぐそこまで近づいている。
ドォン!
木立を突き破り、トリューと共に熊より巨大な魔物が現れる。
木屑が舞う。一瞬ティファを認めた魔物の視線を縫い、トリューが振り向き様に横腹を薙ぐ。
しかし、厚い毛皮に覆われた皮膚に刃は届かない。
「ふっ!」
ティファも回転撃を与えるが、ダメージは与えられないようだった。
「かったいな…!」
「こいつなんのウサギ!?」
「こんなでかいウサギいてたまるか!」
長い耳だけは妙にウサギに似ている。だが太く鋭い爪と牙は、獲物にするには凶暴過ぎる。
ティファはもう一度連撃をくわえようと踏み込むが、自分よりも早く魔物の爪がティファに迫っていた。
「ち…!」
毒づきながら後方へ飛び退く。その隙に、トリューは魔物の頭上へ飛んでいた。
──しかし。
「あだ!」
トリューは太く伸びた木の枝に激突した。
「なにやってんだ!」
「〜〜〜! 木ィ邪魔!」
文句を吐いたところで、木が避けてくれるわけでもなし。
炎で燃やせばあるいは──とも考えたが、山火事になったら取り返しがつかない。
ティファは急いで二人分の荷物を担ぎ、地を蹴った。
「トリュー! 走れ!」
ティファの声を聞き、トリューも走った。
魔物は、迷わず二人を追ってくる。
「どこ行くんだ!?」
「とりあえず広い場所!」
──正直、そんなものがあるかは怪しい。
しかし、足場も悪く木々に遮られる山中では、消耗戦になる。トリューの機動力も活かせない。
半ば、賭けだった。
ティファは記憶を頼りに、目的の村がある方角へ下った。
(既に中腹まで来てる…! 急げば…!)
山さえ降りれば。そう思い、必死に走った。
追って来る魔物の爪は、トリューがなんとか防いでいる。
だが、魔物は痺れを切らしたように咆哮を上げる。木々を薙ぐ腕は一層強まり、徐々に距離を詰められる。
「こんの…!」
迫る爪を槍で弾いた先。魔物はさらに間合いを詰めた。
──攻撃が、届く。
「トリュー!」
トリューは横方向に弾き飛ばされた。勢いは強く、激突した太い幹がへし折れる。
「いって…」
トリューは腹を押さえた。腕からは血が流れている。
「こいつ…!」
ティファはトリューの荷物を片手に、双剣を構える。
しかし、対峙する間もなくトリューは叫んだ。
「ダメだ! 走れ!」
魔物の腕が飛んでくる。爪は剣でガードしたものの、ティファも後方に吹き飛ばされた。
体勢を立て直したトリューはティファの襟を掴み、引き上げて走る。
「あいつゴーレムよりかてェ! 早ェし強ェし、まず逃げるぞ!」
「…わかった…!」
ティファもやられた脇腹を押さえ、必死に走る。
そのうち、前方の木々が不自然に途切れているのが見えた。
(開けた場所か…!)
足場の悪い山中よりは戦いやすいはず。信じて足を走らせた。
しかし、あと一歩のところで魔物の爪がティファを襲った。
ティファは吹き飛ぶ。投げ出された体は木々を抜け、広い場所への着地を待つ。
──はずだった。
「──やば」
眼下の地面は、遥か遠く。深い森のせいで、土さえ見えない。
ティファは、崖から放り出されていた。
「ティファ!!!」
トリューが叫ぶ。しかし、ティファの体は重力に逆らうことなく、落下していく。
(これは…死ぬな)
妙に冷えた頭だった。
無重力。風を切る音。どれも穏やかで、心地良くさえあった。
(なんか…覚えがあるな)
なんだったか。霞がかった脳裏に映像が過ぎる。
冷たいアスファルト。曇った空。サイレンの音。
──そう、そうだ。私は前にも、死んでいる。
疲れた。そう、疲れたんだ。生きることに。
『いつか、あなたの答えを聞かせてちょうだい』
──ごめんシスター。約束、守れそうにない。
ティファは静かに目を閉じる。
死は、優しい。
神様いるんなら、もう地獄には堕とさないでくれ。
「──…!」
声がする。私はこの声を、知っている。
「ティファ!!!」
ティファは目を見開いた。トリューが一緒に、落ちてきている。
「トリュー…!」
トリューはティファを抱えると、崖に向かって槍を突き刺した。
槍の先端は、大きな音を立てて岩肌を削っていく。落下速度は、変わらない。
「止まれ…この…!」
トリューは一段強く、力を込める。
しかし飛び出た岩に槍が弾かれ、二人はそのまま崖下の大樹へと叩き落とされた。
視界が反転する直前、トリューが強くティファを抱き寄せ、自らの背中を地面へと向けたのを最後に、ティファの意識は途絶えた。
「──ファ! ティファ! おい! 生きてるよな!?」
ティファが目覚めると、トリューが顔を覗き込んで名前を呼んでいた。
「…生きてるな」
「良かったーー! びっくりしたまじでー!」
トリューはどさ、と後ろに手を突き、脱力した。
どのくらい気を失っていたのだろうか。もう辺りはすっかり暗くなっている。
起き上がると、体に鈍い痛みが走った。
「…どうやって助かった?」
「さあ? 運が良かったんじゃね」
トリューは何でもない様子で、けらけらと笑っている。
──そんなはずはない。
「背中見せろ」
「え」
「いいから見せろ」
「おわっ」
トリューの肩を掴み、無理矢理体を捻る。──トリューの背中は服が裂け、血まみれだった。
「…」
ティファはほとんど無傷だった。なのに、どこかもわからない場所が痛む。
(私を…庇ったんだな…)
傷を見ても、何も言えない。言葉が見つからなかった。
トリューは気まずそうに、背中を丸めている。
ティファはトリューの背中に手を当て、マナを集中させる。
優しい光は、少しずつ傷を塞いでいく。
「…ごめん」
ぽつり。零れるような声だった。梟の鳴き声が静けさを際立たせる。
──言わないほうがいい。トリューはそんなこと思わない。
短い付き合いだが、それくらいはわかる。
心臓がちくりとする。棘が刺さったような痛みだ。
それでも、腹に居座った燻りが口を突く。
「私は…ついてこないほうが良かったな…」
元々、自分にとって〝便利〟だったから同行したようなものだ。
利用した。結果、救われた。そして、失いかけた。
──強くなったつもりでいた。守れるようになったつもりでいた。
自分は、あの雪の日から、何一つ変わっていないのかもしれない。
俯き、トリューの傷を見る。痛々しい。
ふと、視線に気づく。トリューは首を傾げ、こちらを見ていた。
「なんで?」
トリューは眉を曲げ、心底「わからない」という顔をしていた。
「いや…私が一緒じゃなければトリューは…」
「俺ティファと一緒じゃなかったら、炭鉱で死んでたと思うぞ?」
きっぱりと。迷いのない声でトリューは述べた。
「俺虫嫌いだし、地図も読めねえし、あのゴーレムは一人じゃきついだろー」
あと飯も宿も奢ってくれたし、とティファの行動を指折り数える。
「それにほら、今も怪我治してくれるし」
トリューはにっと笑った。背中の傷は、とりあえず塞ぎきった。
「…腕もだよな」
「おー、ありがとー」
トリューは無邪気に血に濡れた腕を差し出した。──骨は痛んでいないようだ。
「俺は頑丈なほうだけど、怪我は治せねえし。俺ができねえこといっぱいできるティファがいてくれると助かる」
鍋も持ってるしなーと笑いながら、トリューは続けた。
ティファはふ、と眉を下げる。
──なんだか、悩んでいるのが馬鹿らしくなってくるな。
「じゃあ、村に着いたらトリューの皿も買うか」
「お、いいの?」
「売ってたらな」
夜が更ける。血は止まった。
どうやら、棘も外れたようだ。




