旅の理由
炭鉱村を出た二人は、北西の山に向かって歩き出す。
ティファは鞄から地図を取り出し、距離を確認した。
「これは…四日はかかりそうだな」
「えっ、そんなに?」
ティファはじろりとトリューを見る。本当に計画性のない奴だな。
「夜も歩く気だったのか?」
「まぁ…疲れるまでは」
「疲れた時に都合よく食糧と寝床は確保できるのか?」
「うーん…雪山に比べたら獣多いしなぁ」
凍死の心配もないし。トリューはそう続けた。
なるほど。危機感の薄さは、育った環境が過酷だったせいでもあるのか。
それはそれとして、不用心なのは考えものだ。
「休める時には休んだほうがいい。いつ強力な魔物が出るかもわからないんだ」
「ティファは心配性だなぁ」
槍に下げた包みを揺らし、けらけらと笑う。呑気な声が静かな街道に響く。
遠く見える山まで、笑っている気がした。
山麓に着く頃には、昼を回っていた。この調子だと、山腹付近で野営をすることになりそうだ。
川で水を汲み、水分を備える。ふと、ティファはトリューの煮込み料理を思い出した。
「また湧き水でもあればいいな」
「どっかにあるだろー」
能天気な返事だが、トリューの五感は信頼している。少なくとも、脱水で困ることはなくなりそうだ。
中腹まで整えられた山道を登り、看板を頼りに現在地を確認していく。この作業にも慣れたものだ。
「ティファがいると道に迷わなくて助かる」
「…このくらいは自分でやってほしいもんだけどな」
そう言いながら、ティファは少し俯く。
トリューなら、例え自分がいなくても、運と勘だけで山など突破できそうだ。実際、そうしてきたのだろう。
超人的な身体能力、五感、人柄。どれも自分にはない。
自分がついてくるほど、トリューに私は必要なかったかもしれない。
前を歩くトリューを見ながら、そんな考えが過ぎった。
「お、ティファ。見ろ見ろ」
声を掛けられ、トリューが指差す方へ目を向ける。
その指の先には、箱庭のような炭鉱村があった。
「遠くまで来たなー」
「…そう…だな」
──小さい。ティファの胸がきゅっと狭くなった。教会も、ノノアがいるキルメリアの村も、もうとうに見えない。
思ったよりも遠くまで来てしまった。
まだ旅は始まったばかりだというのに、濡れた寂しさが込み上げた。
「もうそろそろ日暮れかなー。なんか獲れるといいなー」
ティファは軽く首を振って、再び歩みを進めた。
前を歩くトリューの背中が少し頼もしく見えたのは、ホームシックのせいだ。
夜が更け、山の中腹で焚き火を囲う。
獲物は難なく仕留められ、湧き水も見つけた。今日の食事はウサギだ。
トリューはティファの鍋を借り、採った香草や木の実と一緒に煮込んでいる。
その様子を、ティファはぼんやりと眺めていた。
「…トリューはさ」
「んー?」
「なんで旅してるんだ?」
探し物をしている、とは聞いている。その探し物が、竜の眼であることも。
ただ、少し知りたくなった。トリューのことを、何も知らないから。
「あー…竜の眼をさ。探して来いって言われてんだ」
「欲しいんじゃないのか?」
「いらねー。俺のじゃないし」
「ふうん…」
竜の眼、と聞けば誰でも欲しがりそうな逸品だが。
しかし、自分も要るかと聞かれれば欲しいとは思わない。
「試験かなんか?」
「まぁ、そんなとこ」
できた、とトリューは木杓子を上げる。「皿貸して」とティファから皿を受け取り、器に盛っている。
「ティファは? なんで旅してんの?」
鍋ごと豪快に頬張るトリューが同じことを尋ねる。
ティファは一瞬考えて、ぽつりと口を開いた。
「約束…だから」
「約束?」
「うん。世界を見て来いって」
ティファは空を見上げた。細い月が星闇にぶら下がっている。
満月じゃなくても、シスターとの思い出は鮮明に思い出される。
「宿題…みたいなもんかな」
「へー…」
トリューはティファの表情に、何かを察したようだった。それ以上、何も聞かなかった。
焚き火を消し、翌日に備えて眠りに就こうとティファは毛布を取り出す。包まって横になるが、夜の山はみるみる冷えていく。
一方で、トリューは袖なしの黒い上衣に使い古して所々破れた肩掛けを首に巻いているだけ。
「寒くないのかお前…」
ついには震え出したティファが呆れと驚嘆と込めて呟いた。
「ん? まぁ別に。雪国出身だし」
「そう…」
今より寒い地方など、絶対に住みたくない。可能なら滞在もしたくない。
旅の目的地は決めていないが、北だけは避けようとティファは心に決めた。
到底眠れそうにない寒さに、目を閉じて耐える。
すると、上から声が降ってくる。片目を開けると、トリューが覗き込んでいた。
「めっちゃ震えてんじゃん」
寒いんだよと言いたいが、唇まで震えて声に出せそうになかった。
「ほら、こっちこい」
トリューは横に座り、ぽんぽんと膝を叩く。ティファが首を傾げていると、トリューは腕を掴む。
「あーもう」
「なん…ッ」
そのまま引き摺られて膝に乗せられる。
「なにする…」
「風邪引くだろーが」
震える体を、温めるようにさすられる。──あたたかい。トリューの体温が移って血が巡っていく。
「…ありがと」
「いいよ。こないだベッド取っちゃった詫び」
そういえばそんなこともあったな。ティファは宿屋での一件を思い出した。
食事の件で帳消しにしたつもりだったが、詫びというなら素直に受け取ろう。
なによりもう動きたくない。
温まった体は、急速に眠気を催した。
ティファはその日、深く眠りに就いた。




