六度目の春
雪解けの水が流れる。顔を出した土から草花が目覚め始めた。
山と積まれた衣服に、布。なめし皮の匂い。
その奥でノノアの母、アミルは機織りを続けている。
「ほら、動かない」
「動いてない」
「手を下げないの」
鹿を納品に来たティファを、ノノアが採寸している。両手を上げたままじっとしていると、カカシになった気分だ。
「これ、今必要?」
「必要よ」
「まだ背伸びるつもりだけど」
教会で過ごした1年で、随分背は伸びた。食べない期間も長かったので、まだ貧相といえるが。
「もちろん想定してるわよ。でも旅装って特別でしょ? 試作はしておかないと」
「無駄にならない?」
「ならない!」
寸法をメモしながら、ノノアはぴしゃりと言い放つ。
「別にいつものでいいのに…」
「あんたね、旅をなめちゃいけないよ」
機織りをしていたアミルも割って入る。
「森と家を往復するのとは訳が違うんだ。今までだって、よくそんな防具もなしに熊や猪を狩ってこれたもんだよ」
ノノアはうんうん、とアミルに同意している。
確かに、狩りに行くならと渡された胸当てなど、もったいなくて返してしまったが。
「そんなに?」
「そんなに」
機能性や耐性など、普段着とは比べ物にならない事を切々と語られる。大変そうだという事は理解したので、半分ほどは聞き流した。
「お、ティファじゃねえか」
からん、という音と共に店の扉が開く。工具屋のザウロだった。木屑の匂いが、開いた扉から流れ込む。
「鹿の角取りにきたぜ」
「ご苦労様。そこの棚においてあるわ」
ノノアは棚の木箱を指差す。ザウロは木箱の中を確認し、感嘆を漏らす。
「また立派なもん獲ってきたなぁ。助かるぜ、ティファ」
箱を抱えてにっと笑う。ティファは照れ臭くて、少し目を逸らした。
「これならいい弓が作れそうだ」
その言葉にティファは目を見開いた。
「最初は…厄介なガキ共が増えやがってとか思ってたけどよ。いい仕事にはいい仕事で返さねえとな」
ザウロは苦く笑って、頭をかいた。ノノアはくすくすと笑い、アミルは呆れたように嘆息している。
「シスターにも、ガキ共にも世話になった。いい弓作ってやるから、楽しみにしてろ」
じわり、じわりと胸が熱くなる。堪えていないと、涙が溢れそうだ。
「…ありがとう」
何度も、何度も折れかけた。凍りそうに痛む心臓に、世界は冷たい。
それでも、その度に胸を熱くしてくれる人がいる。
それは、蝋燭に火を灯すように。
ティファが帰宅した後も、ノノアは大忙しだった。
作業台に座り、紙を広げる。ランプの灯りが、書きかけの図案をぼんやり照らしていた。
「基本は…丈夫な混紡布ね。洗濯もしやすいわ。あの子は寒がりだから…マントも必要ね。雨の日でもティファを守れるような…」
あれやこれやと、デザインを描き散らす。素材の厳選も、抜かりない。
「靴は…悩むわね。猪は丈夫だけど重いし…やっぱり鹿かしら。でも…山羊も悪くないわね」
あの子は絶対に水場にもそのまま入るわ。
ティファの性格を考え、思い出し、笑みが零れる。
元気なティファが、未知の土地を駆け回る。きっと、仲間にも出会う。運命の人だって、見つけるかもしれない。
そんな未来が、たまらなく嬉しかった。
「おっと。これは外せないわね」
紙にひとつ、デザインを描き足す。パールがティファを守ってくれたように、きっとティファを守ると願いを込めて。
──そして、六回目の春。
「支度はできた?」
「うん」
旅装に着替えたティファが、教会の扉を開ける。柔らかな春の光が、白銀の髪を淡く縁取っていた。
美しく伸びた白銀の髪。鍛え続けたしなやかな体。
もう誰も守れないと泣いていた小さな子供はいない。立派に成人したティファの姿がそこにあった。
「良かった、よく似合ってるわ」
「驚くほどぴったり」
「ふふん、プロだもの」
鼻を高々にノノアは胸を張る。ティファは「そうだな」と困ったように返した。
そしてどちらからともなく、歩き始める。踏みしめる土は柔らかく、若草の匂いが足元から立ち上った。
「…ねえティファ。ヤドリギの話、覚えてる?」
「ああ、アンナが言ってたやつ」
「ヤドリギの下で交わした約束は、神様でも破れないって」
「…うん」
花々が揺れる。風が遊んで、祝福のよう。
「マントの襟、見てみて」
「?」
襟をめくって裏を見る。そこにはヤドリギの刺繍が刻まれていた。
「これ…」
「本物じゃないけど、お守りよ」
ノノアがふわりと笑う。赤茶色の髪が風になびく。
ノノアはそれ以上、何も言わなかった。
墓前に着いて、二人で手を合わせる。
シスター、パチャ、ルキ、カイル、アンナ。皆安らかに眠っている。
墓石の前に置かれた花が、風に揺れて首を傾げた。ティファは深く風を吸い込む。
ノノアと顔を合わせて、ティファは歩き出した。
「いってきます」
「いってらっしゃい!」
さぁ、旅を始めよう。
小さく芽吹いた火を、胸に宿して。
託された答えを探して。




