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やどりび  作者: ファット爺
第一章
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冬の終わり

 剣を振る。

 右へ、左へ。縦へ、横へ。

 剣を振る。

 前へ。後ろへ。右へ、左へ。

 思考も感覚も、とうにない。

 あるのはいつかの、約束だけ。

「旅をしてみない?」

 優しい声だけ、ずっと覚えてる。

「いいなー俺も行きてー」

「カイルはダメよ、迷子になるもの」

 そんな事ないと思うよ。カイルは頼りになる。アンナは、カイルと離れたくなかったんだろ。

「ティファ、とおくにいっちゃうの?」

 行かないよルキ。ミィデもずっと側にいる。

「ティファのかみは、とってもきれいね」

 ありがとうパチャ。おかげで自分の髪が好きになれたよ。

 からん、と何かが落ちる音がした。視界が揺らぐ。耳鳴りが酷い。

 次に落ちたのは自分だった。目の前には床が見える。落ちている手は、骨と皮のようだ。

 遠くから足音が駆けてくる。たぶんノノアだ。

 まだ、諦めないのだろうか。なぜノノアは、自分を生かそうとするのだろう。

 途切れ途切れの意識の中で、ノノアが世話を焼いている。

 粥を食べさせようとするが、もう何も受け付けない。口に含んでは胃液ごと吐いた。

 混濁する意識の中で、ノノアの声だけが聞こえた。ノノアが何かを握らせている。

「お願い…シスター…ティファを守って…!」

 祈るように握られた手が熱い。その温もりを、知っている気がした。

 死んだのか、夢を見ているのか。それとも幻覚か。

 ティファは見たこともない場所に立っていた。

 ──美しい景色だった。

 巨大な、それは巨大な樹。辺りは湖に囲まれ、花々が浮いている。遥かな空は、蒼く澄み切っている。梢を渡る風が、鈴のような音を立てて花弁を揺らしていた。

「世界はもっと美しい」

 シスターの言葉が過ぎる。きっと、こんな景色をいくつも見たのだろう。

『驚いた? これで若木なんですって』

 楽しそうな声に振りむくと、若い女性が笑っていた。シスターに、似ている。

『どうだかな』

『ふふっ。嘘ばっかり』

 自分が発した声に驚いた。男の声だった。

 ──これは、私じゃない。双剣の先代の持ち主。パールの記憶の断片だ。

『原初の樹が滅んでなお、星は巡っている。この若木が何千年、何万年もの後、きっと世界を照らすのだわ』

 わくわくするわね。若いシスターは無邪気に笑っている。

『…そうなったら争いも起きるだろうよ』

 シスターと違って、先代は現実主義のようだった。

 大きな力、恵み、光。それらは影ももたらすと、未来を憂いている。

『大丈夫よ。どんな時代でも、子供は生まれてくるもの』

『ガキに押し付けようってのか』

『ふふっ、まさか。私達は十年、百年先の未来を次に託せればお役御免よ。その後は、また次の世代。そうして繋いで行ったら、また戦う子達が現れる。私達がそうだったように』

 シスターは遠い若木を見つめている。いつか見た、きらきらした瞳だった。

『…お前の理屈は勝手過ぎる』

『ふふ。でも守ってくれるんでしょ?』

『…死なれたら夢見が悪いからな』

 シスターは最後まで、楽しそうに笑っていた。

 記憶はそこで途切れた。目を開けると、ノノアが泣きそうな顔で自分を覗き込んでいた。

「ティファ…! 良かった…もうダメかと…!」

 ノノアは自分の手を強く握って、泣き崩れた。手には、やはりパールが握らされていた。

 先程の記憶を思い返し、胸が詰まる。ティファはゆっくり上体を起こした。

「ティファ…お願いだからまだ…!」

「ノノア…」

 いつぶりかの発声は、酷く掠れていた。ノノアはじっと耳を傾ける。

「シスター…笑ってた」

「…うん」

「旦那さん…強い人なんだ」

「うん…」

 弱々しく、でも確かに、ノノアの手を握る。

「なのに…」

 握る手に力がこもる。

「守って…くれなかった…」

 胸が焼ける。喉の奥が熱い。

「あんなに…強い人なのに…!」

 涙がぼたぼたと零れる。何へ向けたらいいのかわからない無力感、悲嘆、憤怒。

 理不尽なのは自分だとわかっていても、怨嗟は口を突く。

「守ってくれなかった…!」

 わかっている。シスターの旦那は悪くない。

 誰も悪くない。そんな事は、とっくにわかっている。

 それでも。それでも悔しかった。

 炎に包まれたあの日の、黒い騎士。マルコおじさんと、ニーナおばさん。シスターと家族。

 今は、ノノアにも。

 なぜ彼らは、何度もこんな自分を助けてくれる。

 自分が一番救われてほしい人達に、なぜ彼らがいない。

 嗚咽は痛哭となり、ティファを暴いた。

 それでもノノアは手を離さなかった。

「だったら、強くなりなさい」

 透き通る声。一切の迷いを、打ち払うような。

「こんな破滅的な方法じゃなくて」

 ノノアの赤茶色の瞳が、ティファを捉えて離さない。

「今度は、あなたが守りなさい」

 また一層、涙が溢れる。抱きしめられた体が温かい。血が巡る。止まった時間が動きだすように。

 雪が止む。どこかで雫の落ちる音がした。

 長い冬が終わろうとしていた。


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