冬の終わり
剣を振る。
右へ、左へ。縦へ、横へ。
剣を振る。
前へ。後ろへ。右へ、左へ。
思考も感覚も、とうにない。
あるのはいつかの、約束だけ。
「旅をしてみない?」
優しい声だけ、ずっと覚えてる。
「いいなー俺も行きてー」
「カイルはダメよ、迷子になるもの」
そんな事ないと思うよ。カイルは頼りになる。アンナは、カイルと離れたくなかったんだろ。
「ティファ、とおくにいっちゃうの?」
行かないよルキ。ミィデもずっと側にいる。
「ティファのかみは、とってもきれいね」
ありがとうパチャ。おかげで自分の髪が好きになれたよ。
からん、と何かが落ちる音がした。視界が揺らぐ。耳鳴りが酷い。
次に落ちたのは自分だった。目の前には床が見える。落ちている手は、骨と皮のようだ。
遠くから足音が駆けてくる。たぶんノノアだ。
まだ、諦めないのだろうか。なぜノノアは、自分を生かそうとするのだろう。
途切れ途切れの意識の中で、ノノアが世話を焼いている。
粥を食べさせようとするが、もう何も受け付けない。口に含んでは胃液ごと吐いた。
混濁する意識の中で、ノノアの声だけが聞こえた。ノノアが何かを握らせている。
「お願い…シスター…ティファを守って…!」
祈るように握られた手が熱い。その温もりを、知っている気がした。
死んだのか、夢を見ているのか。それとも幻覚か。
ティファは見たこともない場所に立っていた。
──美しい景色だった。
巨大な、それは巨大な樹。辺りは湖に囲まれ、花々が浮いている。遥かな空は、蒼く澄み切っている。梢を渡る風が、鈴のような音を立てて花弁を揺らしていた。
「世界はもっと美しい」
シスターの言葉が過ぎる。きっと、こんな景色をいくつも見たのだろう。
『驚いた? これで若木なんですって』
楽しそうな声に振りむくと、若い女性が笑っていた。シスターに、似ている。
『どうだかな』
『ふふっ。嘘ばっかり』
自分が発した声に驚いた。男の声だった。
──これは、私じゃない。双剣の先代の持ち主。パールの記憶の断片だ。
『原初の樹が滅んでなお、星は巡っている。この若木が何千年、何万年もの後、きっと世界を照らすのだわ』
わくわくするわね。若いシスターは無邪気に笑っている。
『…そうなったら争いも起きるだろうよ』
シスターと違って、先代は現実主義のようだった。
大きな力、恵み、光。それらは影ももたらすと、未来を憂いている。
『大丈夫よ。どんな時代でも、子供は生まれてくるもの』
『ガキに押し付けようってのか』
『ふふっ、まさか。私達は十年、百年先の未来を次に託せればお役御免よ。その後は、また次の世代。そうして繋いで行ったら、また戦う子達が現れる。私達がそうだったように』
シスターは遠い若木を見つめている。いつか見た、きらきらした瞳だった。
『…お前の理屈は勝手過ぎる』
『ふふ。でも守ってくれるんでしょ?』
『…死なれたら夢見が悪いからな』
シスターは最後まで、楽しそうに笑っていた。
記憶はそこで途切れた。目を開けると、ノノアが泣きそうな顔で自分を覗き込んでいた。
「ティファ…! 良かった…もうダメかと…!」
ノノアは自分の手を強く握って、泣き崩れた。手には、やはりパールが握らされていた。
先程の記憶を思い返し、胸が詰まる。ティファはゆっくり上体を起こした。
「ティファ…お願いだからまだ…!」
「ノノア…」
いつぶりかの発声は、酷く掠れていた。ノノアはじっと耳を傾ける。
「シスター…笑ってた」
「…うん」
「旦那さん…強い人なんだ」
「うん…」
弱々しく、でも確かに、ノノアの手を握る。
「なのに…」
握る手に力がこもる。
「守って…くれなかった…」
胸が焼ける。喉の奥が熱い。
「あんなに…強い人なのに…!」
涙がぼたぼたと零れる。何へ向けたらいいのかわからない無力感、悲嘆、憤怒。
理不尽なのは自分だとわかっていても、怨嗟は口を突く。
「守ってくれなかった…!」
わかっている。シスターの旦那は悪くない。
誰も悪くない。そんな事は、とっくにわかっている。
それでも。それでも悔しかった。
炎に包まれたあの日の、黒い騎士。マルコおじさんと、ニーナおばさん。シスターと家族。
今は、ノノアにも。
なぜ彼らは、何度もこんな自分を助けてくれる。
自分が一番救われてほしい人達に、なぜ彼らがいない。
嗚咽は痛哭となり、ティファを暴いた。
それでもノノアは手を離さなかった。
「だったら、強くなりなさい」
透き通る声。一切の迷いを、打ち払うような。
「こんな破滅的な方法じゃなくて」
ノノアの赤茶色の瞳が、ティファを捉えて離さない。
「今度は、あなたが守りなさい」
また一層、涙が溢れる。抱きしめられた体が温かい。血が巡る。止まった時間が動きだすように。
雪が止む。どこかで雫の落ちる音がした。
長い冬が終わろうとしていた。




