異世界からの訪問者 5
<Asteria Side>
レーリア様がリノに用意した部屋は、俺もちょっと驚くほど広々としていた。
だが、ワンフロアの中に、中央に木で作った中仕切りが設置してあって、奥の部屋と手前の部屋と分けて使えるようになっている。
だから、そんなに威圧感はないと思う。
覗いてみれば、手前にはソファセットが置いてあり、仕切りの向こうにはベッドが置いてあった。
きっと、奥には個人用の浴室もあるんだろうな。気遣い屋さんのレーリア様らしい。
恐らく、この部屋は他の領地から来た来客用とかなんだろう。
絶句しているリノの手を引き、中仕切りの奥に行ってみた。
大きな窓から、先ほどまでいた草原が見える。遥か彼方、下方ではあるけれど。
「ほら、見て。いい景色」
「本当ですね……。凄い……」
リノも、目を見開いて窓の外を見つめていた。
白い雲が、青空をゆっくりと流れている。
ピューイ、と鳴き声が聞こえる。
野鳥が、この大空を独り占めして満喫している声だろう。
じっと窓の外を凝視しているリノの隣に立ち、窓の枠に手を突きながら、俺もまた窓の外から景色を見やった。
「ねえ、リノ、あそこ、見える? こんもりしている森」
「え? うーんと……あっ、あそこですか?」
俺の伸ばした指先を、必死で追うリノ。
届くわけないのに、俺の指先を追って、背伸びしている。
何だか可愛いなあ、と思ってしまい、くすりと笑った。
「うん。あそこね、『魔女の館』っていうんだって」
「森が、ですか?」
「あたしも中に入ったことないから、詳しくは知らないんだけどね。魔女の一族が住んでいるから、あの森のこと、『魔女の館』っていうんだって」
「魔女、ですか……」
「凄いよね、魔力、あたしもないしね。未だに見ても、どういう仕組みで魔法使っているのか、さーっぱり分かんない」
ふふっと笑って見せると、リノも少し困ったように笑った。
「そうですね。私、魔法なんて見たことなかったです」
「そっか」
「はい。私のいた世界は、魔法使える人なんていないと思います。でも……」
「でも?」
窓枠に頬杖を突きながら、リノの言葉の先を待つ。
リノは、眉を寄せて、言葉を選んでいるようだった。
「さっき、レーリアさんが私に目隠しをしてくれたけれど。でも、ちらりと見えたのが、シェニムさんが書いた、不思議な模様だったんです」
「うん」
「で、隊長さんのマントの隙間から、光が揺れるのが見えました。そしたら、ここにいたんです」
ちょっと、驚いた。
それを見、感じた上で、あの反応で済んだのか。
あの時は、まだリノはここが異世界だと知らなかったからだろうか。
リノは、魔法が無い世界から来たと言った。
それなのに、今、初めて魔力を目の当たりにして、怯えて泣きわめく訳でもなく。
ただ、外を見つめて、ぽつりと噛み締めるように呟く。
その横顔を、俺はただ、見つめることしか出来なかった。
「リノ……」
「ねえ、サーシャさん」
リノが、ようやくこちらを見た。
黒い大きな瞳が、輝くように光っている。
ただそれは、希望に満ちた光ではなく。
きっと、多分。
この子の溜めた涙と、様々な想いが揺れる感情の放つ光なんだと思った。
それを、零させないようにしたいと、何故か思った。
「リノ」
伸ばした俺の指先は、今度はリノに向かっていて、それをリノの小さな手のひらが握った。
「サーシャさん。ここ、異世界、なんですね」
「……そう、だね……」
「私、まだ帰れないんですよね」
そうだね、とは言えなかった。そんなことないよ、とも言えない。
俺には彼女に告げるべき言葉を、何一つ持ち合わせてはいなかった。
だから。
「リノ、きっと、レーリア様やシェニム様が、きみを帰す方法を考えてくれるよ」
「……はい」
リノの俺を握った手のひらに、力が籠った。
俺は、もう片手をリノの手の上に、そっと載せた。
小さく震えている手。
少しでも、俺の体温で、安心してくれるといいな、と思いながら。
だって、リノ。
きみはとっても暖かい。
生きているよ。ここに、異世界に来てしまったけれど、でもここできみは今、生きている。
俺は、と言いそうになるのをぐっと堪えて、こつんとリノの額に俺の額を当てた。
間近で見つめる黒い瞳いは、まだ涙は零れていない。
それに、安堵した。
「あたしは、リノが帰るその日まで、ずっと傍にいる。約束する」
「サーシャさん……」
「だから、リノ。このアステリアのこと、教えるから。だから、少しでも好きになってね」
きみが帰る、その日には。
アステリアのことが大好きになって、また来たいな、なんて笑いながら。
笑顔で手を振り、地球に帰る姿がみたい。
この小さく儚く、だけれども真っ直ぐに俺を見つめるこの瞳を。
曇らせないように、力を尽くそう。
そう、密かに誓った。
*-*-*-*-*-*‐*
少しでも一人でいたいだろうと思って、席を外そうとしたけれど、リノは俺が部屋から出るのを嫌がった。
一人だと、怖いのだという。
「ごめんなさい、子供じゃないのに、甘えてしまって」
恐縮するように言うリノが、何だか可笑しかった。
ソファで彼女の前に座り、剣を隣に置いて、俺は軽く足を組んで笑った。
「あらぁ、十七歳なんでしょう? あたしからしたら、まだまだ子供よぉ? もっと甘えていいのよぉ」
そうからかうように言うと、リノははっとしたように目を見開き、そして取り繕うように苦笑した。
「そういうサーシャさんは、おいくつなんですか?」
これは困った。実は、俺は自分の本当の年齢をしらない。
多分これくらいかな、と思うのは、隊長の五個くらい下かなあ、ということだ。
でもそれを正直に言ってもな、と思い直し、ふふっと悪戯っぽく笑みを漏らした。
「あらやだ、女性に年齢を聞くものじゃなくてよぉ?」
「ずるいですよ、サーシャさんったら」
そう笑うリノは、さらに緊張が解れてきたようだ。顔色も、随分といい。
他愛のない話をしていると、部屋の扉がノックされた。
夕食の準備が出来たという。
ちょっと身体を強張らせたリノを覗き込むと、不安で瞳が揺れている。
まあ、それもそうか。
少し、落ち着かせようか。
「ここはねえ、アステリア城って教えたでしょ?」
「はい……」
「レーリア様とシェニム様はね、皇帝陛下のお子様なの」
「え、王子様と、王女様ってことですか?」
まあ、そうっちゃそうなんだけど。
レーリア様が王女様はともかく、シェニム様が王子様って違和感あるな。
そしてさらに、その王子様がもう一人いるんだけど。もっと王子様の肩書が似合わないお人が。
「それでねー。うちの隊長、いたでしょ。あのおっかない顔したあたしの上司」
「は、はい。あの、レーリアさんの……」
「そそ。あの人、レーリア様の旦那さん。てか、お婿さん」
それは違和感無かったのか、「へぇー」と呟くリノに、緊張を解すであろう爆弾を投げつけた。
「あの人ねえ、子供のころねえ、すんごい泣き虫だったんだって」
「へえー……え!?」
「突っついてもギャン泣きするくらい、弱虫だったらしいわよぉ」
意外そうな顔をしているリノ。そりゃそうだよな。あんないつも生真面目そうな、表情筋が死んでるような男が泣き虫だったって、とっておきのネタだろ?
「シェニム様に会えば勉強やら魔力やらに関する質問攻めに合うし、もう一人の王子様に会えば、修行と称したいじめに合うし。いっつも泣かされて、泣きついた先がレーリア様だったんだってさ」
『また泣かされたの? ラディがすぐに泣くから、面白がるのよ、兄さまは。困ったものね』
そう言って、幼いレーリア様は、二つ年上の幼馴染に自身で編んだ花の冠を載せて、笑う。
『ラディ、大きくなったら、わたしを迎えに来てね』
この話は、まだリノには早いだろうか。
もう少し、この世界を知ってから。
そして、レーリア様の口から、異世界へと自ら旅立った話をしてから。
全てはそこからだ。
だから。
「ね、あんなおっかない兄さんでもさ、子供のころがあったのよ。だから、ビビることなんてないわぁ?」
「ふふっ、そうですね。何だか可愛い」
そう笑ったリノに安堵して、手を差し伸べた。
「さあ、行こっか」
「はい!」
リノの手を引き、扉を開いた。
ふいに、大時計の時を知らせる鐘がなる。
そうだ。
リノと俺、二人の時は、刻み始めたばかり。
まだ、何も分からないことだらけだけど、でも。
この繋いだ暖かい温もりは、何となく俺の手の中に納まっていて欲しいな、と思った。
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