異世界からの訪問者 11
<Asteria Side>
白い花――侍女に聞いたら教えてくれた、花の名。シロツメクサの絨毯の上に座り込んだ俺とリノ。
そんなつもりは無かったのに、何故か俺の話を聞いてほしくなった。
昨日、リノの慟哭を聞いてしまったからかもしれない。
この子の心の奥底にある、感情の泥濘を感じてしまったからだろうか。
俺の抱える思いを知って欲しかった。
それが例え、傷の舐め合いだとしても、きみは一人じゃないと伝える術になれたらいいなと思った。
そして伝えた俺の出自。
誓って恥ずかしいことではない。
俺は捨て子で、拾われた先が『蒼の疾風』の前隊長だった。そして彼は、子育てに向いている環境で生きてきた訳ではないし、彼自身も子育てに向いている気性でもなかった。
それでも、彼なりに俺を食わせ、育て、生きていく術を教えてくれたのだと思う。
最終的には、彼は俺を『蒼の疾風』に入隊させた。だが、決して、俺に隊長の座を継げとは言わなかった。
ただ、「恥ずべき生き方はするな」と俺に教え、俺が副隊長になったのを見届けて、この世を去った。
俺は、恵まれていたと思う。
だから、誰も恨んじゃいない。
ただ、羨ましいな、と思うことが無いわけではない。
働く両親の元、手伝いながら笑顔を絶やさない市井の子供たちを。
剣を握ることなく一生を終える、この世の中を平和で満ち溢れているのが当たり前だと思ってる人々を。
そして、両親の愛に包まれて、この世界最高峰の教育を受けて成長してきたシェニム様たちを。
幼い頃に両親を亡くしたが、血族だからと皇室に引き取られて育てられて、今や『祝福の女神』を伴侶としたラナディート隊長を。
決して、口にすることはない。
してはならないし、本気で羨んでいるわけでもない。
隊長やレーリア様が、俺の想像を超える苦労をしてきたことも、知っているつもりだ。
ただ、人にはもって生まれた宿命というものがどうにもあるらしく、それは足掻いてももがいても、どうしようもないものだと俺は思っている。
だから、リノに伝えたかった。
宿命からは、逃げられないかもしれない。
でも、運命は自分で切り開くことは出来る。
これから起き得る未来は、自分自身の行動次第で、どうにも変えることが出来るのだと。
そして、それは自分の思い、覚悟、それがあれば何とでもなるものなのだと。
そう、伝えたかった。
なのに。
リノは、俺の目をじっと見つめ、そして言った。
「本当のサーシャさんは、今のサーシャさんですか?」
何を、言っているんだろう、この子は……。
思わず目を見開いた。
「サーシャさん、もし。もし、私のためにそうして下さっているのなら、本当にごめんなさい。本当のサーシャさんが、今のサーシャさんだったら、私余計なことを言っています。許してください」
何で、そんな。申し訳なさそうな顔をするんだ。
何を言いたいのか、分からない。
思わず手を伸ばした俺の指先を掴む、小さな手。
その指先が俺の硬い手のひらをなぞり、一瞬ぞくりとしたけれど、それを顔に出さないよう努めていたら、リノの手のひらと俺の手のひらが重なり合い。
そして。
「サーシャさん、男の人でしょう?」
目の前が、ぐらりと揺れた。
なぜ。どうして。
俺の振る舞いは完璧だったはずだ。
なのに何故、リノに気付かれた。
ぐるぐると回る俺の思考にするりと入り込むように、リノは俺の目をじっと見つめて言った。
「とっても可愛いサーシャさんは、同性だと思っていて、私、安心して、優しくしてくれるお姉さんみたいで、嬉しくて」
リノの声色は、俺を否定するものではなく、むしろ薄っすらと笑みさえ浮かべていた。
それを、俺はどんな表情で見ているのだろう。
「多分、ですけど。私が昨日、この世界に来てしまって泣いてばかりいたから、私を支えてくれるために、サーシャさん女の子の振りをして下さったんですよね?」
「……」
何も言葉にならなかった。
いつ、気付いたのだろう。そしてどうして女の振りをしていた俺を、気持ち悪がらないのだろう。
正直、俺が女の振りをしていたことがバレたら、罵倒される覚悟もしていた。
きっとその頃には、侍女たちとも打ち解けて、レーリア様とも笑って話せるようになっているだろう。
俺が傍にいてやれなくても、きっとリノは上手くやっていける。
それまでの間だと、思っていた。
だから、それまでの間は、精一杯彼女に不安を与えないよう、全力でリノが安心できるよう、女の振りをし続けよう。
そう思っていたのに。
リノは、自身の指先と俺の指先とを絡めるように、俺の手を握りしめた。
「ありがとうございました。サーシャさんのお陰で、私、怖くなかった。不安だったけれど、でも、怖くなかったんです」
そう言って微笑みと共に、ぽろりと零れた一滴の涙。
ああ、もう。
泣き虫だな、リノは。
俺は苦笑して、空いた手で、その涙の痕跡を消す様に、目元から頬に指を辿らせた。
「そっか。怖くなかったか」
「はい。……あの、隊長さんとシェニムさんは、ちょこっとだけ怖いですけど」
現在進行形かよ。
シェニム様はともかく、隊長も報われねえな。
彼なりに、頑張って気を遣っていただろうに。
思わず「くはっ」と笑い、涙をぬぐった指を、艶やかな黒髪の上に載せ、ポンポンと撫でた。
「じゃ、もうお姉さんは卒業でいいか?」
「そっちが本当のサーシャさんでしたら」
リノは笑みを浮かべて頷いたが、ハッとしたように目を見開き、俺と繋いだ手に目を向け、そして慌てて離そうとした。
無論、俺はその手を握って離してやらない。
ニヤニヤ笑っていると、リノは少し頬を膨らませた。その頬は真っ赤だ。
「手、離してください。あの、恥ずかしいので」
「あらー、リノから繋いでくれたのよー? もっと満喫させて?」
「サーシャさんの意地悪!」
そこまで言えるようになったのなら、少し安心かな。
俺は可哀そうになるほど真っ赤になったリノの頭部をもう一度ポン、と撫でてから繋いだ手を離してやった。
ああ。
男と認識されたのなら、もう繋ぐのは難しいかな。
一抹の寂しさを感じながら、惜しむように両手を身体の両脇に置き、顔を上げて空を見上げた。
ピューイ、と鳥が鳴きながら、大空を舞っている。
それをリノも一緒に見上げながら、彼女は膝を丸めて両腕で包んでいた。
そういった姿を見ると、やっぱり十七歳というよりももう少し幼く見える。
「ねえ、サーシャさん」
「ん?」
「私、両親と向き合いたい」
そっか……。
どういう理由で拗れているのか、昨夜のリノの話だと分からない単語が多すぎて理解出来てはいないけれど。
でも、そう思ったのならいいことだと思う。
「今まで、親の言いなりになってばかりいて、自分の不満ばかり募っていたけれど。でも、私、自分で自分の意見をちゃんと伝えたことが無い気がします」
「……うん」
「多分、私は自分で行動を起こすのすら怖かったんだと思います。きっと私の言うことなんて聞いてくれない。親なんて、何一つ私を見てくれない。そう思い込んでいたんだと思います」
リノの心の澱が、また一つ見えた気がした。
そういうことを口に出すだけでも、こんなにもこの子の表情が変わっていくものなのか。
徐々に、目の輝きが増している気がする。
元々綺麗な黒瞳ではあったけれど、もっと違う。
眩しい、輝き。
それを、『希望』っていうのだろうか。
思わず目を細めてしまった俺に、リノは美しい笑みを向けてくれた。
先ほど感じた、幼い雰囲気は微塵も感じないような、大人びた笑みだった。
「私には、戦える相手がいます。それから逃げないで、頑張ろうと思います」
そうだね、リノ。
オヤジさんとオフクロさんは、まだリノの中では敵なのかもしれないけれど。
きっと多分、きちんと話をしたらそれもまた変わるんだと俺は思うよ。
だってきみは、こんなにも大事に育てられてきた。
それが俺には分かる。
だから。だからね、リノ。
「サーシャさん、ご自身のお話、して下さってありがとうございました。私、親がいる。親がいるから、安心して安全に成長できた。そんな当たり前のこと、気付かなかった。教えてくださって、ありがとうございました」
そう頭を下げたリノが、本当に心から愛おしいな、と思った。
こんな素直な子が、両親から嫌われていることなんて、絶対ない。
俺が保証するよ。
「リノ。その気持ちがあれば、きっと親の道具になんてならないと俺は思う」
「……はい」
「地球に戻ったら、ちゃんと自分の意見を言うんだよ。絶対、伝わるから」
リノが頷いたのを見て、安堵して。
最後にもう一度、リノの小さな頭をポン、と撫でた。
ひらりと、白い花が零れ落ちてしまった。
先ほど、俺が刺してやった花。
だけれども、もうきみにはこれは必要ないだろう。
この花よりも、美しいものがきみの瞳の奥にあるから。
「地球に戻るまで、俺がリノを護るから。絶対、護るから」
「はい、ありがとう、サーシャさん」
この誓いは、絶対に。
微笑みあった俺とリノの間に、柔らかな風が吹き抜けた。
それは、俺たちの新しい始まりを祝福してくれているような気がした。
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