38.噴水の朝
その日。
小鳥遊りりのスマートフォンに、一通のメッセージが届いた。
差出人は――ドレスティアの連絡網。
画面には短い文章が表示されている。
明日の朝、ピンクフリルを罠に掛ける。
確実に朝のジョギングに行くよう誘導せよ。
場所は公園の噴水。
確実性を上げるためジョギングに同行するもよし。
りりはその文章をしばらく見つめていた。
無表情。
数秒。
それから、ゆっくり指を動かす。
「了解」
短い返信。
送信。
画面が暗くなる。
りりはスマホをポケットにしまった。
「さてと……」
小さく呟く。
(どうしたものかな)
窓の外を見る。
夕方の空。
静かな住宅街。
頭の中には、さっきの文章が残っていた。
罠。
襲撃。
ピンクフリル。
つまり――こはる。
りりはため息をついた。
「……まあ」
「いっか」
数分後。
こはるの家の前。
ピンポーン♪
インターホンを押す。
中から声がした。
「はーい」
ドアが開く。
桃瀬こはる。
普段着姿。
髪はラフにまとめている。
りりを見ると、軽く笑った。
「あれ、りり?」
「どうしたの?」
りりは少しだけ真面目な顔をした。
「ちょっと、話があるんだけど」
こはるはあっさり答える。
「ん、そう?」
「じゃあ、中入って〜」
いつもの調子だった。
部屋に入る。
テーブル。
ソファ。
二人は向かい合って座る。
少し沈黙。
こはるが口を開いた。
「で?」
「どうしたの?」
りりは一瞬だけ迷った。
それから、まっすぐ言った。
「率直に言うと」
「明日の朝」
「ジョギングは中止して」
こはるが首を傾げる。
「どうしたの?」
「ヤブから棒に」
りりはスマホを軽く指で叩いた。
「さっき連絡があった」
「明日の朝」
「公園で襲撃するって」
部屋が少し静かになる。
こはるは驚かなかった。
少しだけ考える顔をした。
「……そうなんだ」
りりは真面目な顔のままだった。
「良いの?」
こはるが聞く。
「そんなこと教えて」
りりは肩をすくめた。
「良くは無いけど」
少しだけ笑う。
「こはるのほうが大事」
こはるは一瞬黙った。
それから困ったように笑う。
「それはうれしいけどさ」
「そんなこと教えたら」
「りりの立場が危ないじゃん」
こはるは腕を組んだ。
「私はそっちのほうが心配」
りりは少し驚いた顔をした。
「……え?」
こはるは真剣な顔だった。
「だってさ」
「りり、向こうの組織でしょ?」
「情報漏らしたら怒られるでしょ」
りりは少し笑った。
「まあ」
「怒られるかもね」
こはるはため息をついた。
「ほらやっぱり」
「危ないじゃん」
りりは静かに言う。
「でも」
「行くと」
「こはるが危険」
こはるは少し考えた。
「んーー……」
そしてゆっくり言った。
「でも」
「こうやって教えてくれただけでもありがたいよ」
りりが目を向ける。
こはるは続ける。
「前もって心積もりが出来るし」
「いざとなったら」
肩をすくめる。
「また逃げるよ」
りりは思わず笑った。
「それ」
「前も言ってた」
こはるも笑う。
「だって大事じゃん」
「命」
少し間。
こはるは真剣な顔で言った。
「でもさ」
「危険を冒して教えてくれて」
「ありがとう、りり」
その言葉はまっすぐだった。
りりは少しだけ目を逸らした。
「……別に」
「大したことじゃないし」
こはるは首を振る。
「大したことあるよ」
「普通は言えない」
少し沈黙。
そして、りりが言った。
「じゃあ」
「明日の朝」
「私も行く」
こはるが目を丸くする。
「え?」
りりは当然のように言った。
「何かの役に立てるかもしれないし」
こはるはすぐに首を振った。
「いやいや!」
「りりまで危ないじゃん!」
りりは落ち着いている。
「私は大丈夫」
「慣れてる」
こはるは腕を組む。
少し考える。
そして言った。
「……ありがとう」
りりが少し驚く。
こはるは続けた。
「でも」
「危ないようなら逃げてね」
「絶対」
りりは少し笑った。
「それ」
「こはるもね」
こはるは胸を張った。
「私は逃げるの得意だから!」
りりが吹き出した。
「威張ることじゃない」
二人は少し笑った。
静かな部屋。
夕方の光。
その中で。
二人は明日のことを考えていた。
公園。
噴水。
罠。
戦い。
でも。
それよりも。
今、この時間の方が大事だった。
りりはふと思った。
(なんでだろう)
敵のはずなのに。
こうして話していると。
ただの――
友達みたいだ。
こはるが言った。
「じゃあ」
「明日」
「朝早いね」
りりはうなずいた。
「うん」
「早起き」
こはるは立ち上がる。
「よし」
「今日は早く寝よ」
りりも立ち上がった。
ドアの前。
こはるが言う。
「りり」
りりが振り向く。
こはるは少し笑った。
「来てくれてありがとう」
りりも小さく笑った。
「……どういたしまして」
そして外に出る。
夜の空気。
静かな街。
りりは空を見上げた。
「……明日」
小さく呟く。
「うまくいくといいけど」
その言葉がどちらを指しているのか――
りり自身にも、まだ分からなかった。




