シグネチャーカクテル
いつものバーに行くと、開店直後にもかかわらず先客がいた。
バリッとしたオーダーメイドのスーツを着て金時計を手首につけ、足元はピカピカの革靴。いかにも金持ちそうな若者だ。
「このバーのオリジナルのカクテルってないんすか。ほら、シグネチャーカクテルってやつ」
「と、おっしゃいましても、せいぜいがアレンジ程度でして、カクテルコンペで入賞するようなレベルの物はとてもとても」
何か、ハイレベルなカクテルを求められているようだ。これが有名ブロガーだったりすると、下手に口に合わない物を出したら散々な書かれようになる。マスターも警戒しているようだ。
マスターは「失礼します」と言うと、私の前に移動した。
「いらっしゃいませ。何になさいます」
「いつものマティーニで」
「かしこまりました」
ヘンドリクス・ジンが五、ノイリープラットが一、シェイクじゃなくてステア。これが、自分が見つけた至高のマティーニだ。
よく冷やしたパラライカグラスにミキシンググラスで混合したお酒をそそぎ、レモンピールを下から上に一振り。ピックに刺したオリーブを入れて仕上がり。
「マティーニでございます」
マスターは、私のお気に入りの一杯を出す。
そして、ピック入れのショットグラスと共にチャームのミックスナッツも。
隣りの若者は、その手際に興味津々だ。
マスターは、若者の接客に戻る。
「次は決まりましたか」
「だから、この店のオリジナルカクテルを飲みたいんですよ。ね、お願い!」
全国のバーを飲み歩いている、と言っている。
やっかいな客だ。
私は、マティーニを飲み干すと、次のカクテルを頼むことにした。
「マスター、ちょっと飲んでみたいカクテルがあるんだけど、いいかな」
「はい、何なりと」
「そうだな」
テレビではちょうど、世界遺産の映像が流れていた。 元朝の上都遺跡だ。
「『東方見聞録』には、こう書かれている。大理石の宮殿があり、中は金で塗られ、鳥獣花木の絵が描かれている」と字幕が出ている。
説明は続く。ヨーロッパでは「ザナドゥ」として理想郷の象徴となった、などなど。
「ザナドゥ、ってカクテル、あったよね。ラム、パイナップルジュース、パッソア、ガリアーノ…… 材料はそんなところだっけ」
「はい。ただ、定番のレシピというわけではありませんので、アレンジになりますが、それでよければ」
私はうなずく。
マスターは材料をシェイクしてシャンパングラスに注ぐ。
みごとな腕前だ。
若者は、目をまん丸にしている。
「うーん、うまい!」
「恐縮です」
若者も、私と同じ物を注文した。
「うまい! これをシグネチャーカクテルにしたらどうかなぁ」
「いえ、これはあちらのお客様のレシピですから、私のものにすることはできません」
「そりゃそっか。……やっぱ、オリジナルカクテルを作るのって難しいんすか」
「皆さん、ご苦労なさっていますよ」
やんわりとかわすマスター。
「じゃあさ、『マルコ・ポーロ』をイメージしたカクテルってできる?」
「はあ……」
マスターは渋い顔だ。
即興でカクテルを作るのは難しい。大抵は既存のカクテルのアレンジになる。だが、それでは全国のバーを飲み歩いているような人には通用しないだろう。
……よし、ここは私の出番だ!
マスターを呼ぶ。
「ちょっと試作してみたいカクテルがあるんだけど、どうかな」
ごにょごにょ。
「はあ、それはまた奇抜な……」
若者がトイレに立ったので私は思いついたレシピを伝えた。
「マスターにも一杯。そうだ、彼にも一杯おごろう。ボトルは隠して」
私はニヤリとする。マスターは不安そうだ。
このカクテルの特徴は、コショウの粉をグラスの縁につけた演出だ。これをスノウスタイルと言う。
「あんまりつけすぎないように注意して。市販のテーブルコショウがいいな」
「はい」
スノウスタイルのグラスの準備を終えたマスターは、ボストンシェイカーを使って材料を混ぜ始めた。
そして、三つのグラスにカクテルをそそぐ。
「マルコ・ポーロでございます」
若者の前にもグラスを差し出す。
「あちらのお客様からのおごりです」
「えっ!? あっ、ありがとうございます」
急に礼儀正しくなった。
「では、マルコ・ポーロに乾杯!」
……なかなか不思議な味のカクテルが出来あがった。
コショウのピリ辛感の上を、苦みと甘みの混じった混成酒が乗り越えていく。
私は、若者に言った。
「オリジナルのカクテルです。今、思いついたんです」
「えっ!?」
若者は心底驚いたようだった。
「これは、カンパリ、なのはわかります。この香りは、桂花陳酒? あと、何だろうな。ウィスキー?」
「おみごと。正解です」
飲み歩いていると言うだけのことはあって、味覚と嗅覚は確かなようだ。
「種明かしをしましょう。マルコ・ポーロはイタリアの出身です」
マスターが、カンパリのボトルをカウンターに出して見せる。
「彼が向かったのは中国」
桂花陳酒のボトルが出てくる。
「途中に通ったのはインド」
インドのウイスキー、アムリタが出てくる。
「交易したのは香辛料」
小さなテーブルコショーの入れ物が出てきた。
「……というストーリーで組み立ててみました。どうでしょう」
「す、すごい」
若者は呆然としている。
そして、新作の「マルコポーロ」を味わっている。
カランコロン、とドアベルが鳴った。
「今晩は」
AI氏だった。私にも会釈する。
「マスター、今日こそは『遠心力』の完成版を頼みますよ」
「はい。お手柔らかに」
AI氏はAI氏で何か面白いカクテルを考えているらしい。
若者の興味がそちらに向く。
またしてもドアベルが鳴った。
サラリーマンの一団だ。
「こんばんはー」
どかどかと入ってきてテーブル席に坐る。たまに見かける常連さんだ。
「注文、いいですかー」
「ちょっとお待ちいただけますか」
「あ、『六本松』六人分で」
にわかに慌ただしくなってきた。
マスターは六人分のビールをジョッキに注ぐと、トレイにショットグラスを十二個を並べてイチゴのリキュールとブルーキュラソーを入れ、ビールと共にテーブル席に運ぶ。
「爆弾解体、爆弾解体、きみーが赤なら」
「ぼくは青ー いえーっ!」
サラリーマンたちはショットグラスをジョッキに沈めると乾杯をした。
若者は眼を白黒している。
その後、若者はおとなしくなった。サイドカーやガルフストリームを頼んでいるようだった。
後日、私はネットでたまたまその若者のブログを発見した。
そこでは店の名前は伏せてこう記されていていた。
「超一流のバーともなると、お店にはシグネチャーカクテルは存在ない。お客さん一人一人がシグネチャーカクテルを持っているのだ」
六本松……元ネタはアニメの『エクセルサーガ』です。




