モクテル
その日は朝から雨で、骨に染み入るような寒さが続いていた。
いつものバーに駆け込むと、マスターが穏やかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
「やあ、こんばんは。寒いねー」
コート掛けにハーフコートを掛けてカウンターにすわる。
「何になさいますか」
「そうだなあ。今日は、ホットバタード・ラム・カウで始めようかな」
「承知いたしました」
マスターは、ずんぐりとした厚手のグラスに角砂糖を一個入れると、小さなパンで暖めた牛乳を注いでステアする。そこにラム酒を入れて再度軽くステア。最後にシナモンパウダーを一振りしてバターを一切れ入れる。これで、ホットバタード・ラム・カウの完成だ。ちなみに、牛乳ではなくお湯を使ってシナモンパウダーを入れなければ、ホットバタード・ラムという別のカクテルになる。
ドアベルが鳴った。
常連の誰かが来たのかと思って振り返ると、そこにはベージュ色のレインコートを着た若い女性、そして赤いレインコートを着た可愛い女の子がいた。
「すみません。本当はいけないとは分かっているのですけど。追われているんです。かくまって下さい」
女の人は恐縮している。
バーに子供が入るのは御法度だ。法律でそう決まっているというわけではない。けど、不文律として酒主体の店に子供を連れては入ることはよくないこととされている。
「何か注文していただけるのなら、大丈夫ですよ」とマスター。
「えっと、それじゃ何かモクテルを下さい」
モクテルというのはノンアルコールのカクテルのことだ。日本で「モクテル」という言い方が広まったのが二〇一〇年代の後半から。一般化したのは二〇二〇年代のことで、日本の酒文化ではかなり新しい言葉だ。
ちなみに、私は「モクテル」という言い方は大嫌いだ。「モック」すなわち「模倣」「模型」の意味の言葉と「カクテル」を組み合わせた言葉で、いかにもノンアルカクテルを見下した感じがする。どんな大酒飲みでも状況によってはアルコールが飲めない時はあるのだし、ノンアルカクテルだってバーテンダーの技術が発揮される立派なカクテルだ。
「お子様の分もお作りしてよろしいでしょうか」
「はい」
マスターは、棚に並んだモナンのシロップをしばしながめる。
そして、選んだのはハーシーのキャラメルシロップとCIMAのチョコレートシロップだった。
二種類のシロップを混ぜ合わせて暖めた牛乳を注ぐ。そして、ステアする。
二人分のカクテルが出上がった。それを分厚いグラスで提供する。
「どうぞ。オリジナルのモクテルでございます」
チャームは出していない。席料を取るのは忍びないと思ったのだろう。
「おいしい」
女の子の顔に笑みが広がった。
「かわった香りがします」
女性の顔にも安堵の表情が浮かぶ。
「マスター、私にもそれを」
私は、たまらずつられた。バーでよくある「誰かが頼んだカクテルを皆が頼む」現象だ。
「かしこまりました」
しばらくすると親子連れはバーを出ていった。きつちりと二人分のカクテル代を支払って。
マスターはただ穏やかな笑みを浮かべて二人を見送るのだった。




