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物語は大きく動きだす。
そして、世界史は大きなIFへと突入していくのであった。
★ ☆ ★
1771年9月20日
パチン、パチン……。
トマトの枝をハサミで切っております。
もうじき本格的な秋に入ろうとしている今日この頃。
夏野菜もそろそろ収穫が終わる時期ですわ。
私は王立農園試験場で採れた新鮮で赤いトマトを集めておりますの。
品種改良によって実が大きくなったトマトだけに、みずみずしくて生でも美味しいですし、種を取り出してスープで煮込むのもいいですわ。
万能野菜といってもいいぐらいですの。
トマトを一つ、また一つ籠の中に入れていきます。
トマトを収穫しているのには理由がありますの。
それは、サン=ドマングへの海軍の派兵が決定した翌日、オーギュスト様は熱を出してベッドで寝込んでしまいました。
原因は心労によるものだそうです。
宮廷お抱えの医師からは最低3日間は休ませるようにとの報告を受け取り、王妃である私はオーギュスト様の心労が癒されるように手料理を作ってあげようと思っておりますの。
美味しいものを食べて、少しでも気分も紛らわすことが出来ればいいと……。
先日のサン=ドマングで反乱騒ぎが起こって以来、国王である自分のせいではないかとご自身を責めてらっしゃっているのです。
私やハウザー氏など政府関係者が宥めても、オーギュスト様は首を横に振って寂しそうな顔で語ったのです。
「法整備なども進めてやってみたけど、やはり人々の意識が変わるには時間がまだ足りなかったようだ。そこを見極める事が出来なかったせいでサン=ドマングの情勢不安が起こってしまった。情報の徹底と議論を慎重にやらなかった俺の責任だ……」
黒人奴隷の解放について、オーギュスト様は先進的な結果を行う事で後世におけるフランスの優位性を確立するべく解放宣言に署名しました。
その解放宣言については私も国土管理局内で聞いております。
黒人奴隷を含めた奴隷の廃止と元奴隷に対する扱いについてもフランス領の植民地に呼び掛ける法律を今年の7月に施行しました。
国内における農奴制の廃止を決めたオーギュスト様は、海外で酷使されている黒人奴隷の事を聞いて心を痛めて解放したいと語っておりました。
彼らの待遇について、私も聞きましたが……予想以上に酷い扱いをされているとのことです。
全340ページに及ぶ1770年版のフランス領植民地状況の奴隷に関する項目では、プランテーション農園や奴隷商人が奴隷を道具として利用しており、満足な食事なども与えずに飼い殺す事案が各地で多発していると記されていたのです。
【1767年から去年の1770年8月までに毎年数万人単位でアフリカ大陸から連れてこられた奴隷のうち、全体の10パーセントが植民地への海上輸送中の環境下でストレスに晒されて死亡し、さらにその後の植民地での重労働下による環境で一年以内にもう10パーセントが死亡する。合計で2割強の奴隷が移動途中に死んでいき、劣悪な環境によって毎年多くの奴隷が死んでいる】
この項目を見たオーギュスト様は農奴制の廃止に続いて黒人や有色人種の奴隷廃止を取りまとめたのです。
無論、植民地における奴隷制度によって成り立っている経済状況についても話し合い、奴隷を廃止する代わりに平民階級の労働者として取り扱い、労働者への就業規則や乱暴や私刑などの身勝手な状態を見直すという事を盛り込んだ事項を取りまとめてサン=ドマングの公布人に受け渡しました。
しかし、どうやらここで重大な伝達ミスが起こったらしく、奴隷を廃止する部分だけがクローズアップされて現地でセンセーショナルに伝えられたようです。
【新しい法律によって今まで雇っていた奴隷達を解放しろだと?!ふざけるな!それじゃあどうやって農園を維持していけばいいんだ!俺は農園を続ける!だから奴隷は解放なんかするか!】
これに反発した現地の複数のプランテーション農園が奴隷制を継続すると宣言し、さらに奴隷継続を勝手に決めた農園側に対して元奴隷の人々が激怒し、奴隷制度継続派の農園を焼き討ちにしたことで現地では首都郊外で混乱状態が起こっているのです。
現地における治安の情勢を回復させるために、会議は深夜まで続いた結果、オーギュスト様は海軍の派兵を最終的に決定させました。
軍事介入は最小限にしておきたいと語ったそうですが、万が一サン=ドマング全土に飛び火した場合、最悪サン=ドマングの領土確保を目論むイギリスなどが介入して泥沼の内戦になる事を危惧したハウザー氏が、必要最大の戦力をもって治安維持に当たるべきだと論じた事で、海軍の大規模部隊の派兵が決定したのです。
会議が終わり、部屋に戻ってきたオーギュスト様は泣いておられました。
全員で取り決めて正しいと信じた行動が、このような少しのミスで大混乱を巻き起こしてしまった事へのプレッシャーが押し寄せたのでしょう。
私の胸元で大粒の涙を流しながら嗚咽をするほどに酷く悲しんでおりました。
「俺は肝心な時につまづいてしまう……全くもってダメなやつだ。迷惑をかけてごめんアントワネット……」
オーギュスト様がここまで酷く悲しんでいるのはおじいさまのルイ15世陛下が崩御なさって以来です。
私はオーギュスト様を抱きしめて、辛いお気持ちが静まるのを待ってから語りました。
「オーギュスト様のせいではございません。陛下は最善を尽くしております。私も、ハウザー氏も……皆様も……陛下……どうかご自身を責めないでください……」
「アントワネット……ありがとう……」
「ええ、大丈夫ですよ。一旦眠ってゆっくり致しましょう……」
……オーギュスト様が辛い時、傍で支えられるのは私しかおりません。
なので、心労を癒すために手料理を作ってみますの!
私ははりきってオーギュスト様の為に手料理を作る決心を致したのです。
少しでもオーギュスト様の支えになって、王妃としての責務を果たす時です。
美味しいものを食べて、栄養を取って……しっかりと休んで……いつものようにアイスティーに砂糖を入れて飲んだり、一緒に積み木崩しゲームで白熱するような元気な陛下に戻って欲しいと願いを込めながら、私は料理総長の手ほどきを受けながらトマト料理を作っていきました。
主人公、ストレスでぶっ倒れる…!(二度目)