1116:浮遊(中)
市場の時計が10時の鐘を告げる。
多くの人々が市場に集まるのを見計らって暗殺者たちはバーを一人ずつ出ていく。
一人一人がグスタフ3世を暗殺するという強い意志を持って行動を起こそうとしているのだ。
「いいか、失敗しても別の奴が狙えばいい。各自、それぞれ持ち場についていけ」
「了解」
「しくじっても誰かがそれを補えばいい。それで事は上手くいく」
全員は覚悟を決めており、暗殺に失敗すれば次の者が発砲し、さらにそれも失敗した場合には次の者が……という暗黙の了解を得ている。
その一人であるベルデロッチ男爵は呼吸を整えて足早に市場に向かっていく。
予定通りであればあと15分ぐらいで市場にグスタフ3世がやってくるという情報が入ってきているからだ。
(いよいよだ……弟はグスタフ3世の失政によって自ら命を絶ってしまった……弟が死んだのは奴が平民や農民共に権利を与えてしまったせいで力を付けたからなのだ。貴族による騎士の精神を持って統治することこそが本来必要とされていることなのに……今やスウェーデンに騎士道精神は形骸化した者に過ぎない。貴族という地位も名ばかりで、平民が実権を握るようなシステムとなっているのだ……)
ベルデロッチの家は元々今よりも格式の高い子爵であったが、反グスタフ派の貴族たちと行動を共にしていたことが災いし彼の爵位が降格された上に、彼の保有していた複数の会社で粉飾決算を行っていたことが発覚して会社の経営権を剥奪されたことで貧乏貴族に転落してしまったのである。
さらに彼にとって悲劇だったのは弟が反グスタフ派の主流な派閥に属しており、尚且つ暗殺未遂実行犯の友人であったことが災いしたのだ。
憲兵隊の尋問によって「国王陛下に対する不敬罪」を名目に、暗殺未遂犯と密接な関係であったと認定されて財産を全て没収された上に、爵位までも剥奪されたのである。
兄のベルデロッチは弟を庇い、家に身を寄せることを認めて部屋を貸していたが、弟は失意のあまり自分の首を刃物で斬りつけて自ら命を絶った。
これによって、ベルデロッチの精神は反グスタフとなり、機会があれば殺してやろうと計画していたのである。
だが、一人では失敗することは目に見えている。
複数人による同時攻撃による襲撃によって成功させようと企画し、反グスタフ派で貴族社会から追放や閑職に追いやられた者の中から不満を抱えている者を中心に密かに会社を作ったのである。
その会社の名前は『スカンジナビア同好会』であり、表向きは様々なアクセサリーや化粧品などを輸入代行して仲間内で購入する事業であり、経営としても合法的に設立したものであった。
粉飾決算をしていた事が発覚したこともあり、ベルデロッチ本人が経営権を持っていたわけではないが、平民の女性を誑かして多額の報酬金と引き換えに表向きの経営を委託し、その裏では非合法的なあくどい商売を手に付けていた。
まずベルデロッチが行っていたのはフランス製の有名化粧品などを輸入し、その化粧品の成分を水増しして販売していた事だ。
その商品自体は正規の輸入品であり、貿易公社からの検品が済んだ書類も同封されている正規品である。
その正規品の香水から一定の量を抜き取り、使用済みの化粧品の瓶に抜き取った分を入れて正規品と同程度の価格で販売していたのである。
この手法は古典的なやり方であったが、ベルデロッチが特質だったのは販売方法のやり方であった。
主に水増しした化粧品などに関しては『店頭限定品につき、一割引き』として懐に余裕のない女性をターゲットに販売し、抜き取った量を合わせた瓶に至っては『フランス限定化粧品につき、現品限り』の広告を打ち出して定価の3割増しで販売していたのである。
この販売手法によってスカンジナビア同好会に参加している富裕層のサロンではねずみ講のように紹介すれば正規品が格安で手に入るという噂を広めて、同好会は一時期2000人を超える人で溢れていた。
ねずみ講として作り上げた組織だけに、トップに立っているベルデロッチが莫大な利益を享受することになり、経営権なども平民の女性から売却という形で買い取って事業を継続するに至った。
これでうまくいくと思っていたが、その繁栄は長続きはしなかった。
スカンジナビア同好会に対して、フランスの化粧品メーカーが成分の効果が薄いという苦情を受けて内偵調査を行った結果、これらの化粧品が正規品に比べて質の劣るものであることが証明されてしまったのである。
それも、フランス政府側から『フランス製品を意図的に水増しなどをして不正に販売している事業者がいる』という抗議を受けて調査を受けたために、スカンジナビア同好会は事業を清算したのだ。
その時の利益は今回の暗殺を起こすために複数の銃火器を購入したり、暗殺事件が成功した暁には新聞社や政治家の一部を買収するために根回しをする資金源となったのだ。
また、ベルデロッチはこのスカンジナビア同好会の系列会社として高額なフランス製のアクセサリー品などを転売する営利目的の事業で生計を立てていたが、その事業も同じく内部告発によって資金規正法の対象になってしまったために営業が成り立たない状況になってしまったのである。
いずれにしてもベルデロッチは悪知恵が働いて様々な事業を展開して集金を行う能力に長けていた。
故に、その金を使ってグスタフ3世への暗殺のために動いているのである。
しかし、その暗殺を行う上で欠かせないのが銃を発砲する人間の選定であった。
ド素人にやらせるわけにはいかない上に、銃の存在をバラされてしまったら元も子もない。
計画が水の泡となってしまうため、スカンジナビア同好会でグスタフ3世への不満を周囲にぶちまけていた人物を中心に選定を行い、その中でも軍属経験がある者と射撃に関する心得がある者を5人集めて犯行を決意し、彼らには予め武器の発射訓練を狩猟場で実施したり、フリントロック式のマスケット銃の使い方に慣れてもらってから行うことにしたのである。
(ここまで長かった……グスタフ3世の権威は日に日に増大しており、今の貴族たちは奴の言葉に抑えられている。おまけに軍事面では軍隊を専属にしているような状態であり、貴族の言う事を聞くヤツは限られている。貴族が再び政治の世界を席巻するためにもグスタフ3世の存在は邪魔だ。ここでヤツを排除して我々が中心となってスウェーデンを取り戻すのだ)
政治的な目的の為に行われるテロの準備は整い、グスタフ3世がやってくるのを待つだけであった。
ある群衆がグスタフがやってきたと大声で叫び、群衆は大歓声の中でグスタフ3世を出迎えることになった。群衆をかき分けるようにグスタフ3世の乗っているであろう馬車に集まってきたのは先ほどまでバーで待機していた者達である。
ベルデロッチはこの時を待っていたのである。
ゆっくりとマスケット銃に手を掛けて馬車から降りるのを今か今かと待っていたのだ。
馬車のドアが開いた瞬間に、ベルデロッチ達は銃を向けて発砲したのである。




