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1106:公武神道(上)

★ ★ ★


1796年11月26日


日本 公武幕府直轄地域 江戸


かつて、百万人の人口を有していた江戸であるが、今はその20分の1の人口しかいない。

荒廃し廃棄された江戸城の天守閣が傾いており、すでに取壊しも決まっている中で、公武幕府の役人が京都から訪れて江戸の復興計画に関する進捗状況を伺っていた所である。


集まっているのは武家屋敷を改装した指揮所であり、この指揮所は東北地方で発生していた鉄門組による反乱時の関東鎮圧拠点としても使用されていた。

現在は、江戸の復興状況などを確認し建物の再建や区画整備などを行う重要な役割を果たす場所となっているのだ。現代でいう所の市役所ないし警察署の役割を果たしていたのである。


「して……浅草や日本橋の被害は今どうなっているか?少しは復興は進んでいるか?」

「はい、今現在日本橋周辺の復興を進めております。この日本橋周辺は薬問屋が多かった地区でもあり、物流の拠点ともいえる場所であります。この日本橋の復興と整備が完了次第、浅草方面に取り掛かる予定です。」

「うむ……浅草や葛飾の方は復興は進んでいないように見えるが……これはまだ人員が不足しているからなのか?」

「それもございますが、一番の要因は崩れたりした建物が道を塞いでしまっているのです。故に、大きな荷物を運んで浦安や船橋まで行くのには荒地となっているこれらの場所を通行するのは危険であり、陸路ではなく海路を使わなければなりません。それに加えて、鉄門組の者達がこの周辺で潜伏して幕府軍に対して徹底抗戦をしたことも相まって被害が拡大してしまったのです。故に、復興に時間を要しているのです」


鉄門組が徹底抗戦した影響もあり、江戸の中でも特に被害が大きかった浅草に関しては、復興状況の進捗が芳しくなかった。

これは比較的損害が軽微であった新宿や品川での復興状況が進んでいるのに対して、浅草や日本橋において鉄門組の配下に成り下がった武士団などが徹底抗戦を行い、幕府軍に対して少なからぬ損害を出したことで、幕府軍は江戸における鉄門組の殲滅を行うために陸と海から総攻撃をした。


フランスから輸入したグリボーバル砲やマイソールロケット砲による集中砲撃を敢行し、今現在でもその痕跡は生々しく残っているのが現状である。


故に、浅間山大噴火によって積もった火山灰と、それに伴って江戸に居座って幕府軍と交戦した鉄門組との戦乱によって浅草や日本橋、そして郊外において鉄門組の増援部隊と戦闘を繰り広げた葛飾周辺は廃墟や崩壊した建物が多く、これらの地域に存在していた武家屋敷の多くで鉄門組が保有し占領していたことも相まって、名だたる武家の家であっても例外なく破壊されたのだ。


これらの破壊された家の多くが復興物資として再利用されることにもなり、廃棄された木材などは木炭の原料として使われたり、復興作業に従事している労働者の炊き出しに使われたりしているのだ。

そして何よりも、復興に時間が掛かっている最大の要因は道路の拡張工事でもあった。


「復興に時間がかかるのはやむを得ないが……人数を増やして対処したほうがよいかね?」

「それも必要ですが、今のままの状態で復興を進めていくとなるとどうしても人手が足りません。現場を指揮する者の育成もさることながら、復興において大きな道路の確保と整備、さらに畏れ多くも陛下や上様の勅命で災害時に避難ができるようにせよとの指示を受けております。これまでの入り組んだ細い道路では災害時に避難が間に合わないと判断されたのでしょう」

「復興もさることながら、道路の拡張と整備を行うとは……京都の碁盤の目のように整った整備をするのもそれが所以か……」


復興で欠かせないのは都市の再建設であり、江戸は侵略を受けた際に進軍を阻む目的で徳川家康による江戸建設の際には道路が曲がっており、それが江戸時代を過ぎた明治時代以降も引き継がれることになった。


関東大震災や東京大空襲の後も、道路は原則として地図の通りに整備が行われた結果、今現在も東京の街並みで曲がりくねった道が多く残されているのだ。


その曲がりくねった道を廃止にする方針で調整が入ったのである。

特にこの決定を打ち出した公武幕府にとって、フランスから輸入したグリボーバル砲やマイソールロケット砲の威力に驚き、一斉掃射によって区画を更地にして都市の道路が多少入り組んでいたとしても、障壁となる建物などを更地にしてしまえば、入り組んだ道路なども役に立たなくなってしまうからだ。


現に、鉄門組が立てこもっていた日光周辺で行われた掃討作戦において、幕府軍が独自開発した可燃性の液体を散布し着火できるようにした砲弾による攻撃によって、鉄門組の強固な防御陣地を破壊しただけでなく日光の複数の寺院や神社が延焼によって焼失したことで、これまでの防衛体制を抜本的な見直しが必要とされるようになったのである。

これにより、災害時や戦乱時において直ぐに民を逃がすことが出来るようにする事を最優先事項にしたのである。


「新橋に品川、それに新宿までの道を円形に曲がる道路の建設とあるが……これも陛下や上様からの勅命であるのか?」

「はい、なんでもフランスで発明された鉄道という乗り物を敷設するのに使用するそうです。この鉄道という乗り物は決められた道を敷設しなければ走らないものだそうですが、円形に江戸城の周辺を回るように設計してみてはどうかという意見が出てきて、それを採択したとのことです」

「ふむ……ぐるりと円を描くようにしているのも一周していくからということなのだろうか……いずれにしても、新しい乗り物に必要な道路を敷設するというのであれば、大坂では既に建物が密集しているから厳しいという事でもあるのか……」

「はい、復興された住宅も多くあります。ここではまだ無人となっている地区や廃墟となって取り壊しが確定している家屋も多くあります。そこを潰した上で円形の道路を作り、開発することになるでしょう。環状道路といっても過言ではありません」


この世界では、史実よりも1世紀以上早く山手線の原型となる鉄道網が敷設することが決まったのである。

大坂ではすでに再開発と人口の流入によって多くの人たちが住んでいる影響もあり、大規模な開発が難しいと判断されたためである。


関西方面は過剰な人口を抑えるために分散までしていたほどであったことも相まって、関東への人口を回復させることは決して容易なことではない。

仙台藩などを踏まえても、幕府軍に投降した鉄門組曰く幕府からの救援物資が台風の影響で来なかったことも「幕府に見放された」という感情が東北地域の住民に強く残ってしまったことで、彼らは降伏後も公武幕府に対する警戒は説いていないという報告も挙がっている。


浅間山大噴火から10年以上経過してもなお、北日本地域が抱える問題は未解決のままであり、江戸の復興のために東北地方から出稼ぎ労働としてやってくる者達の多くが、そんな漠然としない不安と不満を抱えながら作業をしているのであった。

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― 新着の感想 ―
この時点だと江戸の北側には然程大きな町は無さそうだから、東京新橋品川新宿から先は飯田橋水道橋御茶ノ水の方を通って円形に結ぶ山手線になりそう。てか現実でもそうしてくれた方が色々と便利だった。
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