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1097:蒼(下)

男はすでに村を巡回、警備していた兵士を見つけた。

とはいえ、直ぐに殺すような愚行はしなかった。

何故なら兵士は単独ではなく複数名で行動していたからだ。

マスケット銃を持った者と、急ぎであったためかサーベルのみを付けていた者。

2名のみで他の兵士は見当たらなかったのである。

歩哨の兵士であった。


「あれは……基地に配属されている監査兵の連中か……嫌な連中だ」


監査兵……。

それは他国軍において憲兵隊と言われている軍や地域の治安を維持する部隊であり、企業国家であるこの国においては監査部が強い権限を行使しているため、彼らも独自の兵士を擁立しており、それが監査兵であった。

監査兵は赤地に白色の刺繍が施された軍服を着用している。


暗い夜中にランタンの灯りが灯されているのは実に眩しいほどであった。

故に、灯りが消えたら怪しまれるため、ランタンの持っていないサーベルを持っている兵士が離れるまでじっと草むらで待機し、物置の傍に置いてあった斧を取り出してジッと待っていたのである。

そして待つこと20分程度、サーベルを身に着けていた監査兵が寒そうに身体を震わせていた。


「うー……すこし用を足したくなってきたな……すまんがこの場所を見張っていてくれるか?」

「分かりました上等兵殿」

「すまん、すぐに戻る」


上等兵の監査兵はそういうと、小川の流れている場所まできて用を足そうとしていた。

そのチャンスを男は見逃さなかった。

男は背後から近づいてから頭を斧で叩きつけたのである。

ベギィという音と共に斧が頭蓋骨を貫通し、頭部に甚大なダメージがもたらされた。


「あ……」


痛みを感じる前に、脳の機能が急速に停止をしていく。

いきなり鋭利かつ重たいもので叩かれた監査兵は、自分の頭に何が起こったのか理解できず、視界がぼやけて身体の力が入らなくなって倒れる。


「まずは一人……そこまでデカい音じゃないな……すぐにコイツからサーベルと軍服を拝借しよう……それから、この忌々しいプレートも付けてやろうじゃないか」


男の名前であった「B棟066番」というナンバー。

これが三等市民に降格された男に名付けられた名前であり、工場では基本としてこの番号で呼ばれることになる。

元々、男は兵士であった。

北米連合軍時代には曹長まで上り詰めたが、北米複合産業共同体になってからは軍部内部での権力闘争に巻き込まれた上に、汚職の汚名まで着せられたのである。

汚職の罪状は金20ドルを横領した罪であったが、これは全くの冤罪であり、権力闘争を仕掛けてきた相手側のでっち上げたものであった。


男の弁明虚しく、二等市民から三等市民に降格と私財を全て没収され、朝から晩まで働かされる日々となった。

白人種であった男だが、三等市民に降格させられた白人の待遇は悲惨であり、まだ周りの有色人種は同じグループ同士で固まっており、白人種でもグループが形成されたが、その白人種のグループからも仲間はずれなどをされていた為、彼の居場所は何処にもなかったのである。


「もうどうなってもいい。これで捕まったら確実に捕殺されるか、引きずりまわされてからの死刑確定だ。なら、とことんやってやろうじゃないか」


男の怒りは上等兵の兵士を殺しても治まる気配はない。

むしろ捕まらないためならどんな手段を使っても生き延びてやるという決意に変わったのだ。

人は危機に陥った時に変わるというが、男の場合は身体を蝕んでいた病魔と脳の本能的な部分に触発され、そしてインフルエンザを起因とする異常行動が「怒り」と「生き延びる」ことにシフトしたのである。


これまでの男は三等市民に降格させられたその日から、ずっと隅で生きていたのだ。

生き延びるために、どんなに理不尽な欲求をされても反撃を抑えて耐えてきたのである。

耐えて、耐えて、耐えて……そして今、強毒性インフルエンザという病魔が脳に到達したことで、彼の耐えていた脳の一部が決壊したのである。


「ここまで俺を陥れた連中を殺して、殺して、殺して、殺して……そして、俺は這い上がってやる。沢山殺してやろう。今はヨーロッパの連中と戦争をしているからな……そうだ。戦争、これは()()()()なんだ……ハハハ……」


決壊によって、男にとっての「理性」……そして「抑制」という言葉は消失した。

姑息な手段を講じているよりも大胆かつ、欲求不満をぶつけて発散できるようにすればいい。

そして、監査兵を小川に投げ捨てるまえに服をすぐに脱がしてサーベルを抜きとってから、自分の身に着けていた服を被せる。


「少なくとも、これで俺の身分は上等兵になった……悪いが、もう一人の方も消さないといけないな……他の巡回兵と出会ったら辻褄が合わなくなる。殺すしかない」


残っているもう一人の監査兵を殺すことに決めたのである。

まだ用に行っているといっても不審に思われない頃合いであり、男は再び草むらに身を隠した。

一分、二分、三分……。

時間が経つにつれて、次第に上官が帰ってこないことを不審に思った監査兵がランタンを照らしながら小川の方に近づいていく。


「上等兵殿?上等兵殿まだですか?」

「生憎、もう上等兵殿は浮かんでこないよ」

「え……」


ランタンを小川の近くに近づけた監査兵が次の言葉を発することはなかった。

心臓の部位をサーベルで突き刺されたのである。

一回だけでなく、二回、三回、心臓のみならず肺にまで傷は達し、直ぐに血で溺れて呼吸ができなくなる。

声を発する間もなく、兵士は息絶えていく。

背中に担いでいたマスケット銃とランタンを奪い取り、この二等兵もまた小川に投げ捨てた。


男がやるべきことは『平然と上等兵を装う事』であった。

幸い、今は夜でありランタンの灯りが無ければ周囲でも暗く、馴染みの深い相手でもなければ素性がバレることはない。

先ほど殺害した上等兵の身分証明書をランタンの灯りで今一度確認する。


【ロバート・デリンジャー】


それが上等兵の名前であった。

ロバートという名前は、かつて男を冤罪で三等市民に突き落とした男の名前と被っていたのがいけ好かないのが難儀であったが、ここは贅沢を言っている場合ではない。

息を呑んでから男はロバート上等兵に成りすまし、捜索隊のふりをして北上をすることにしたのである。


欧州協定機構軍に投降するのもやぶさかではないのだが、男にとって復讐したい人物であるロバートやその仲間たちはニューヨークにいるのである。

ニューヨークでは強毒性インフルエンザが大流行しており、その死者数もうなぎ上りで増えている中で男はあえて危険な場所に向かうことにしたのである。

近くに紐で繋がれて停留されていた軍馬を盗みだし、ニューヨークに向けて走り出す。


「いよいよこれで俺は自由……いや、制約はあるが……しばらくは大丈夫だな。あとは軍票の改ざんと身分をすり替えておく必要があるな……この名前で監査兵の真似をするのも悪くはない。いい地位を貰ったものだ」


暗闇に紛れて、ロバートは消えていく。

そして彼もまた無名の犯罪者ではなく、歴史において重要な役割を果たすことになる事は、本人とて知る由も無かった。

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