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1098:北へ……

☆ ☆ ☆


1796年11月2日


ヴェルサイユ宮殿 執務室


ヴェルサイユ宮殿の執務室において、デオンとサンソンから渡されたのは現在北米大陸で戦っているフランス軍将兵たちの強毒性インフルエンザに罹患、ならびに死亡した人数のリストであった。

このリストは旗振り通信システムなどを使って判明したのが10月23日であり、今現在の感染者・死亡者数の変動はあるかもしれないが、インフルエンザ治療にある程度効力のある葛根湯やハーブなどを輸送して前線や後方支援の都市に送った結果、死亡者数の速度は比較的緩やかな傾向になっている。

それでも、決して無視はできない数に膨れているのは現状である。


「これが今朝までに報告されている流感の感染者ならびに死亡者数となっております。フランス軍内部ではまだ感染者数と死亡者数は抑えられておりますが、それでも後方の兵站確保に向けて陣地内での転換などが行われており、今現在までにフランス軍の感染者数は4300名……うち死者は380名となっております。一個師団規模の感染者が出ておりますが、それでも徹底した消毒と予防策を講じているため、新規の感染者数と死亡者数は減っております」

「それはいいニュースではあるが……全体としてフランス軍だけでなく、スペイン軍やポルトガル軍……ならびに各地の民間人の感染者数と死亡者数が増えているのはあまり芳しくない傾向にはあるな……」


特に、北米大陸を含めてヨーロッパ諸国もそうだが、キリスト教圏は土葬が主流であるため宗派によって火葬は『罪人が受ける葬儀』というイメージがあったようで、やはり熱心な信者のいる家では身内が強毒性インフルエンザに罹患しても、火葬にされるのが恐ろしいという理由で外に出さなかった結果、遺体が腐敗した挙句、身内も全員強毒性インフルエンザに罹患して死亡していたという痛ましい事案が複数あったようだ。


故に、宗派の指導者に御触書を出した上で『火葬でも牧師や神父が祈りを捧げて遺体をイエス様のいる天国に連れていってくれるように保障する』と語ってようやく遺体を引き渡した事例もある。

民間人の感染状況は落ち着いてきているとはいえ、それでも右肩上がりのままだ。


「はい……仰る通りです。現在までに15万人以上が感染しており、うち死亡者数は1万2千人を超えており、感染症対策マニュアルに従って火葬による処理を行っておりますが、臨時の火葬場も足りていないため、集団火葬を行ってから遺族に遺骨を引き渡す作業を行っております」

「また、様々な宗派の指導者に事情を説明した上で、今回の流感は強毒性であり感染拡大を防ぐための処置と個人の名誉が守られる形で火葬を執り行うも、墓などは政府が負担する旨も伝えております」


感染拡大が起こっているものの、2か月前の感染スピードと比べて若干ではあるが下がっている。

10月の最初の報告では感染者数が10万人を超えたと話していたことから、それから一か月後に15万人であれば、5万人の感染増加で済んだということになる。

この時代の衛生環境のことを考慮しても、だいぶ感染者数は抑えてきていると思う。


現に、感染者のペースは鈍くなっており、主に集団環境で生活している軍人や家族経由で感染するケースが多く、そのほとんどにおいては手洗いやマスクの着用をしていないケースが多いようだ。

サンソンが衛生保健省を主導して北米大陸に感染症対策班を送り込んでおり、フロリダにおいてはこの時代において世界最高水準の知識を有している感染症対策のプロフェッショナルが、軍の宿舎や要塞、そして病棟の代わりとなっている教会などに対して感染症対策指導を執り行った結果ともいえる。


元々ペストの流行を想定して作られた感染症対策を、この強毒性インフルエンザに適応することで、感染者数の増加を抑え込むことに一定の成果が上がっているのは確かだろう。

まずは良かった……。

感染爆発が起こって死者が激増して重症者も救えなくなる展開が一番怖いのだ。


強毒性インフルエンザの種類までは分からないが、ここまでの毒性を持っている上に致死率5%越えをしているということは……鳥インフルエンザ系列のウイルスの可能性が高い。

H5N1型は致死率が高かったはずだが、それよりも致死率が低めの奴であれば十分に考えられる。

インフルエンザに関してはロシア風邪やスペイン風邪といった具合に数百年に一度大流行を起こして多くの死者を出すウイルスだ。

新型コロナウイルスも、当初中国で流行した型は強毒性であり、基礎疾患の人は致死率が大きくなるという話だったはずだ。


最も、百年周期で感染症が流行しているような状態であっても、まずは国家の基盤固めもさることながら、占領地域においてのフランス軍や市民の感染者を抑えること。

何よりも、治療を優先して行うべきだろう。


「多くの地域で感染者の治療が開始されたと聞いているが……葛根湯の効き目はどうかね?」

「ある程度の効果は上がってきております。軽症者の多くて喉の痛みや咳の緩和などの効果が見られており、若年層に対しての治療の効果があると判断し、本土で生産された分も送っている所です」

「それは何よりだ……漢方薬は身体の内側から効力を発揮する薬だ。無論、全ての病気に効果があるわけではないけど、軽症者の症状緩和に役立ったのであれば生産を増やすべきかな」

「ええ、葛根湯や麻黄湯で使われている薬草などをヨーロッパでも作れる土地を探して増産できる体制で行くべきでしょう……少なくとも、あと来年まではこの流感が北米大陸で流行する恐れがあります」

「葛根湯や麻黄湯の原料もヨーロッパで生産できるものはこちらで作らないとな……ただ、葛根湯の語源となっている葛は繁殖力が強いからな……あまり無作為にやってしまうと今度はこちらにも被害が生じてしまうから自生しているものに限定するべきだ」


葛根湯の語録となり主成分でもあるクズは、余すところなく根や花も生薬として用いることが出来るうえに、江戸時代においては「とりあえず葛根湯呑ませておけばだいたい治る」という認識が広がっており、明らかに葛根湯では治癒できないような病にも葛根湯を処方させることもあったことからこうした葛根湯ばかり処方させるような医者のことを「葛根湯医者」と呼び、それがやぶ医者の語録の元になったとも言われている。


この時代の日本でも落語に使われているはずなので広く知れ渡っているはずだ。


それから葛根湯の原料でもヨーロッパで代用できるものは生産し、足りない分は白蓮教が支配をしている中国やマイソール王国統治下の南部インド地域から輸入をする方針となったが、白蓮教が支配をしている中国でも白蓮教の支配に反発している組織などがいるらしく、台湾の青龍に亡命した者曰く、宗教に頼り切った政治体制となっているため、この宗派がどこまで本気で執り行うかによっては今後の中国の白蓮教支配地域での安定度が変わってくるらしい。


インドではマイソール王国とフランスが同盟を結んでいるため、マイソール王国に葛根湯や麻黄湯の原料となる薬草や果実の原料を輸入することで、一先ずは貿易リスクを回避するべきだろう。

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