第17話 余韻
閉店間際の屋台で半額になっていた祭り飯を結衣の部屋の小さなローテーブルに広げながら、瑞樹は割り箸を片手に「うーん」と低く唸っていた。
パックに詰められた焼きそばに、たこ焼き。原色のブルーハワイのトロピカルジュースに、少し潰れたたい焼き。
お祭りの代名詞的なジャンクな食べ物たちを、手当たり次第に選んで買ってきたのだ。
「うーん……」
「どうしたの、瑞樹くん。美味しくない?」
結衣が自分の分の焼きそばをちゅるちゅると啜りながら、不思議そうに小首を傾げた。
「いや? 普通に美味いよ、普通に。……そう、ただひたすらに普通なんだよなぁ」
「あーね」
結衣は、瑞樹の言いたいことを即座に理解したように深く頷く。
「……わかるか?」
「わかるよ。『お祭りで食べる焼きそばって、なんでこんなに美味しいんだろー!』って、二次元の夏祭りパートで絶対に一度はある、ヒロインのお決まりの展開だもんね」
結衣はズズっと最後の一口を啜り、麦茶を一口飲んだ。
「でも、いざ祭りの熱狂的な会場を離れて、こうして静かな部屋で冷静に食べてみると、案外ただの普通の焼きそばなんだよね。なんなら、『なんでさっきまで、あんなにこれを美味しいと思ってたんだろう』って、魔法が解けた気分にもなるよね。その理由、わかるよ」
「ほう? ぜひご教授願いたい」
瑞樹は湿気った割り箸をプラスチックの容器の上に置く。
結衣は得意げに人差し指を立てて、解説を始めた。
「ズバリ、邪念の有無!」
「あー」
次は瑞樹が、なるほどと深く頷いた。
「祭りの会場は、音楽や人混みであちこちからいろんな音がしてうるさいし、炭火や綿飴とかのいろんな香りがしてくるし、隣で友達と馬鹿騒ぎして笑うし。とにかく、食べるという行為以外に、脳に入ってくる情報が多過ぎるの。だから、その情報過多な空間の熱気に当てられて、その食べ物自体のポテンシャルを高く誤認しちゃうんだよね」
頑張って美味しいものを届けようとしてくれている出店の人には悪いが、結衣の的確な説明に大いに納得してしまう。
要は、その場の雰囲気が味の評価を何倍にも引き上げているのだ。
「今は静かな部屋で食べることだけに集中してるから、この焼きそばの本来のポテンシャルを正確に捉えちゃってるんだな。よく考えたら、屋台の焼きそばなんて、ただの茹で麺に安い野菜とソースを絡めて鉄板で焼いただけだもんな。家で作ろうと思えば、いくらでも食べられる」
「ちょっと、そこまでは言ってないよ。焼きそばも立派な料理。これも、ソースの配合とかにこだわってるかもしれないし」
「いきなりの裏切り!? そこは『そうだね』って全肯定で返してくれるところだろ。……ちなみにこのソースの味は、完全な市販のやつだぞ。屋台の奥に、スーパーでよく見るパッケージの、業務用サイズのペットボトルがドンッと置いてあったからな」
「あはは、抜かり無いねー」
結衣は苦笑いして、プラスチックの舟に乗ったたこ焼きを爪楊枝で刺し、パクッと一口で頬張る。瑞樹も焼きそばに手をつけたまま、たこ焼きを一口で食べた。
温いどころか、完全に冷め切っている。
不味くは無いけど、決して美味しくも無い。
というか、そもそもソースとマヨネーズがケチられていて、ほとんど掛かっていないのだ。
「祭りじゃなくてもさ。極度の緊張とかでも、食事のポテンシャルを見失って味がわからなくなること、あるよな」
瑞樹の問いに結衣は視線を天井に上げて、少し考える仕草をする。
「例えば、『娘さんを僕に下さい!』の挨拶の時に、もし高級なすき焼きとか出されて一緒に食事したら、緊張で絶対何も味しなそう」
間違いない。そんな状況、緊張で肉が喉に通らなそうだ。味なんて確かめる余裕もなさそうだし。
とにかく両親からどう思われるかを気にして、粗相の無いように必死になりそうだ。
「そのシチュは想像しただけで伝わってくるな。祭りほど周囲の邪念は少ないはずなのに。……味覚を狂わせる邪念は、情報の量ではなくて、感情の大きさとか重要さなのかも。……それで言ったら、大好きな人と二人きりでいる時に食べるご飯とかは、どう?」
恋愛モノのアニメや漫画でもよくあるシチュエーションだ。
二人で向かい合って食べる手作りお弁当。緊張し過ぎて、味が全くわからなくなるやつだ。顔を真っ赤にする初々しい主人公とヒロインの姿が目に浮かぶ。
「瑞樹くんはさ。今、そのたこ焼き、味する?」
「……いや、全然」
「――ふふっ」
結衣が、ニタァと小悪魔的な悪い笑みを浮かべる。
面白いおもちゃを見つけたように、結衣はニヤニヤしながら対面の席から立ち上がり、自分の椅子を持って移動してきて、瑞樹のすぐ隣に座った。
「……なんだよ、急に」
不審がって瑞樹が訊ねると、結衣が瑞樹のほっぺを、細い人差し指でツンとつつく。
「私と一緒に食べるたこ焼きの味がしないってことはー。……本当は、私のことが大好きで緊張してるんだ、瑞樹くん。へー? ふーん?」
――やられた。
揚げ足取りの達人である結衣に、見事な誘導尋問で隙を見せてしまった。
口喧嘩で勝てる気はしないが、真っ向から挑戦されたら受けて立つしかない。
「うっ」
瑞樹は負けじと手を伸ばし、結衣の柔らかいほっぺをムニッと摘む。タコのような口になった結衣が、「ふぇっ?」と目をパチクリさせる。
「たこ焼きの味がしなかったのは、単にソースがほとんど掛かってなかったからですー! 結衣の方こそ、俺のこと好きなんじゃないのー? あの時俺にキ――」
キスまでしてきて。
そう言い掛けて、瑞樹はハッとして口を噤んだ。
これは、冗談めかして言っていいやつなのか、わからなかったからだ。むしろ、あの時の結衣の行動は、軽々しくイジってはいけないデリケートなものだったのではないか。
いや、それ以上に。
言葉を止めた瑞樹を至近距離で見つめてくる結衣の、その茶色い瞳がすごく真剣で、吸い込まれるように見惚れてしまったからだ。
「……なによー」
瑞樹がそっと手を離すと、結衣は赤い頬をさすりながら、ジト目で真っ直ぐに見つめ返してくる。
「……なんでもない。俺の負けです」
瑞樹は両手を挙げて降参のポーズをする。
すると、ふっと鼻で笑った結衣が立ち上がり、キッチンの冷蔵庫からソースとマヨネーズ、戸棚から鰹節を持ってきた。
そして、それらを慣れた手つきで、冷め切った瑞樹のたこ焼きにたっぷりと追いがけしていく。
「はい。これでソースたっぷり。おいしーよ」
「……ありがとう」
結衣がニコッと笑って、瑞樹の食べかけの焼きそばの容器を指差す。
「これ、少しもらってもいい?」
「いいけど、俺の食べかけだぞ?」
「いいの。私、屋台の焼きそば好きなんだよね」
「結衣が嫌じゃないなら、全然。どうぞ」
結衣は「やったー」と無邪気に喜んで、瑞樹が使っていた割り箸をそのまま使い、躊躇なく焼きそばを啜る。
――ドクンっ。
瑞樹の心臓が、大きく鳴った。
何故かは、わからない。
ただ、冷めてソースも足りないあまり美味しくないたこ焼きを、文句も言わずに「これで美味しいよ」と手を加えてくれて。
ただ、自分が箸をつけた食べかけの焼きそばでも、一切の躊躇なく、美味しそうに食べてくれて。
そんな、何気ない、日常の些細でなんてことないことを、なんてことない風にやってくれる結衣が。
狂おしいほどに、愛おしくてたまらなくなったのだ。
たった、それだけ。
たったそれだけの光景で。
夜の屋上の花火の下で必死に考えていた、長ったらしいキザなセリフも。
むず痒くなりそうなドラマチックな愛の言葉も。
全部が瑞樹にとって、不必要で無駄なことのように思えた。
自分の本心を飾り立てるだけの、味を誤認させる邪念のように、思えた。
気付いたら、瑞樹の口は、自然と動いていた。
「――好きだよ、結衣」




