第16話 告白(5)
結衣が、寝ていた。
それはもう、一切の警戒心もなく、スヤスヤと穏やかな寝息を立てて。
瑞樹と結衣は、特賞である『打ち上げ花火・屋上特等席チケット』を握りしめ、屋上への階段で警備にあたっていた先生にカードを誇らしげに見せた。少しの優越感に浸りながら夜の屋上へと足を運ぶと、そこには周囲の喧騒から隔離された、静かで涼しい風の吹く特別な空間が広がっていた。
特別に一つだけ設置されたカップル用のソファに並んで腰掛け、しばらくしてドゥンッ、と腹の底に響く音と共に、一発目の打ち上げ花火が夜空に上がった。
華やかで綺麗な大輪の花が、真っ暗なキャンバスに色鮮やかに咲き誇る。
二人は肩を寄せ合い、しばらく言葉もなく、ただその光のシャワーを見上げていたのだ。
雰囲気は、完璧だった。
いつのまにか、ソファの上で結衣の小さな手を握っていた。
ドンっ! と花火の重低音が空を揺らすたびに、結衣はビクッと肩を震わせ、その度に繋いだ手をギュッと強く握ってくる。
そのちょっとした無防備な動きでさえ途方もなく愛おしく感じてきて、この小さな体を今すぐ抱き締めたいと、瑞樹の心は激しく叫んでいた。
シチュエーションも、空気感も。本当に、完璧だったのだ。
瑞樹は、静かに意を決した。
一世一代の告白を、ここで決行する。
『――なぁ、結衣?』
震える声でそう問いかけると、結衣がコトン、と瑞樹の肩に自分の頭を乗せてきた。
『なあに?』という返事の代わりと解釈して、瑞樹の胸は早鐘のように激しく高鳴った。
そして、心の底から湧いてきた勇気と、結衣へのありったけの想いを、言葉にしてそのまま伝えた。
いつ惹かれたのか。なんで好きになったのか。
一緒に過ごした日々がどれだけ楽しかったのか。これから先、どんな楽しいことを二人で一緒にしたいのか。
オタク趣味はずっと隣で続けたいとか、こういう趣味はお互いに苦手だとか。
普段から口は達者な方だと思っていたけれど、いざ思いの丈をぶつけるとなると、中々上手いこと気の利いた台詞は言えなかった。
だけど、一度溢れ出した好きという感情は止めることができなくて、不器用ながらに、熱く、静かに語り続けた。
結衣は瑞樹の肩に頭を預けたまま、ずっと黙って聞いてくれていた。
どれだけの時間が経ったのか。
長々と語り終えてから、瑞樹はまだ決定的な言葉を伝えていないことに気付いた。
――結衣が好きだ。俺と、付き合ってください。
最後に、このシンプルな言葉を伝えよう。
これを口にすれば、二人の関係は確実に変わる。
瑞樹は大きく深呼吸をして、覚悟を決めて結衣の方を向いた。
そしたら。
結衣は、完全に寝ていたのだ。
感動的な返事を期待して見下ろした彼女の口から、すー、ぴー、と規則正しい小さな寝息が聞こえてくる。
花火の轟音に全く動じることなく、信じられないほど安らかな寝顔がそこにはあったのだ。
「……おいこれ、いつからだ?」
まさかとは思うが、瑞樹の問いかけに肩に頭を乗っけてきたあの時。
あれは瑞樹の言葉への甘えや返事などではなく、単純に睡魔に負けて首が落ちただけだったのか?
いや、もうそれはどうでもいい。
いずれにしても、瑞樹が必死に勇気を出して語った感動的な告白のすべては、誰の耳にも届くことなく、夜空の花火の音に紛れた『ただの痛い独り言』に終わったのだ。
「……んん……」
不意に、結衣が起きた。
「……あれ……? わっ、ご、ごめん! 私、寝ちゃってた……」
「知ってる」
結衣は目を擦りながら瑞樹の顔を見て、ハッと事態を把握したように焦って姿勢を正すと、本当に申し訳なさそうに、潤んだ上目遣いで瑞樹の顔色を窺ってきた。
「ご、ごめんね……っ。せっかくの花火なのに……怒ってる……?」
自分の情けなさに呆れていた瑞樹の表情が、結衣には寝ていたことに怒っているように見えたのだろう。
結衣が半泣きになりながら、両手を合わせて何度も謝ってきた。
普段の小悪魔的な余裕はどこへやら。そのあまりに見慣れない必死な顔と真剣さに、なんだか瑞樹は自分の空回り具合が急に面白くなってしまって、思わず「ぶっ」と吹き出した。
「あははっ! なんだよ、その顔。別に怒ってないって」
「ほ、ほんと……?」
「ほんとだよ」
ヒュルルルル……と、一際甲高い風切り音が鳴り、二人は空へと視線を向ける。
最後の打ち上げ花火が、天高く昇って行った。
どぉオン!!
鼓膜を揺らす轟音と共に、これまでで一番大きくて、一番派手な黄金の大輪が咲き乱れ、夜空を眩い光で埋め尽くした。
「わぁ……きれーい……!」
結衣が、光を反射するキラキラとした瞳で空を見上げる。
(……今日は、もういいか)
決して、興が醒めたわけではない。
告白する勇気がなくなったわけでも、彼女への想いが消えたわけでもない。
ただなんとなく、今はこのまま、言わない方がいいと直感的に思っただけだ。
曖昧な関係の清算がまた先延ばしになってしまうけれど、自分が自己嫌悪する期間が少しだけ延びるだけの話だ。今は、この温かい空気のままで終わらせたかった。
光のシャワーが消え去った後、結衣がトントンと瑞樹の肩を叩いてきた。
「ねえ、瑞樹くん。下から『これで本日のプログラムは終了です』ってアナウンス流れてるけど。……もしかして、東高の打ち上げ花火って、今の一発だけなの?」
――まさか。
本当に、ソファに座った直後から爆睡していたのか。
「……今ので百発目だ。たっぷり一時間くらい寝てたんだな、結衣」
「えええっ!? うそっ、ほんとにごめん……! 起こしてくれて良かったのに!」
「いいよ。一番大きくて綺麗なやつを、最後に一緒に見れたしな」
うん。
告白は、今日じゃない。
結衣が再びぴったりと体をすり寄せてきて、瑞樹の大きな右手をギュッと握りしめた。
そのまま、コトンと頭を瑞樹の肩に乗せる。
さっきまでと全く同じ体勢。違うのは、結衣にしっかりと意識があるということだけだ。
結衣は、瑞樹の肩に顔を埋めながら、控え目に小さく呟いた。
「……あとちょっとだけ、こうしてていい?」
「結衣の貴重な甘えモードだ。心ゆくまでどうぞ」
「えー、私、結構いつも甘えてるつもりなんだけど」
心外だなーと結衣は不満そうに唇を尖らせるが、瑞樹は優しく笑って返す。
「そうかなー? いつもいいように手玉に取られて、からかわれてる気がするけど」
「ふふっ。然るべき時にしか、私はからかってないもーん」
その言葉を聞いて、瑞樹の脳裏に先ほどの階段下の暗がりでの出来事がフラッシュバックする。
視界は確かに手で塞がれていた。何も見えなかった。
だけど、あの時瑞樹の唇に触れたあの柔らかい感触は、間違いなく、結衣の――。
あれは、ただのからかいだったのだろうか。
それとも。
チラリと肩の結衣を見ると、結衣は瑞樹の視線に気づき、ペロッと舌を出して悪戯っぽく笑った。
(……結衣は、本当にわからない生き物だ)
風に乗って、火薬の微かな残り香が漂ってくる。
星が瞬き始めた秋の夜空を見上げながら、瑞樹はただ静かに、心底幸せそうに微笑んだ。




