第16話 告白(4)
「どーお? 怖かった?」
無邪気に笑う不動産屋スーツの朱音に、瑞樹は興奮冷めやらぬ様子で握手を求める。
「いや、マジですごかった! アパートの一室みたいなセットの雰囲気はもちろんだけど、視線誘導と思い込み、間の取り方と脅かすタイミング、全部が完璧に合わさって最高のホラーだった! めっちゃ楽しかったぞ!」
自分のアドバイスが見事に昇華されていたことに、瑞樹はオタクとして大絶賛する。
朱音は嬉しそうに微笑み握手を返すが、すぐに瑞樹の腕にしがみついている結衣を心配そうに見つめた。
「結衣さん、大丈夫……?」
「……」
結衣はブルブルと首を振り、生気が完全に抜けた顔で瑞樹の腕をギュッと掴んで離さない。
「すごい疲れた……。あれを楽しかったって目を輝かせて豪語する瑞樹くんの感性が、本当に信じられない……」
ガックリと肩を落とし、涙目で怨嗟の声を漏らす結衣。その対照的な様子を二人は微笑ましく笑いながら、朱音は「あ、ところで」と何やら手書きのホワイトボードを取り出した。
そこには、マジックで『男の死の真相は!?』と書かれていた。
瑞樹は、名探偵のように得意げに鼻を鳴らす。
「男の浮気が原因で、彼女が恨んで殺害したんだな。強盗は偽装だ」
瑞樹が自信満々にそう答えると、朱音は大きな声で「せいかーい!」とパチパチと拍手した。
「よくわかったねー。さすが瑞樹くん、ちゃんとあの真っ暗な中で文章見つけたね」
「当然さ」
朱音は、次に受付の机の下から小さな四角い抽選箱を取り出した。
「じゃあ、この中にクジがあるから、好きなの一つ引いてねー。見事正解したお二人への、豪華特典です!」
「よし、結衣が引きな」
瑞樹が促すと、結衣は心ここに在らずといった様子で、ふらふらと右手を伸ばして箱の中に入れると、中から一枚の折りたたまれた紙を取り出した。
それを朱音に手渡し、朱音はペラっとめくる。
「――お、おおー。特賞だ……」
朱音は若干顔を歪め、少し悔しそうに名刺サイズのラミネートカードを渡してきた。
『打ち上げ花火・屋上特等席チケット』
カードには、豪華な金文字でそう書かれている。
「ほお?」
「……」
瑞樹が不思議そうに朱音に向くと、朱音が大きな瞳を小刻みに震わせながら、悔しそうに説明してくれた。
「今日の夜八時から開催のフィナーレの打ち上げ花火なんだけど。特賞のこのカードを持ってたら、一般開放されてない校舎の屋上の特別エリアで、二人きりで見ることができるんだ……。……くっそー! よりにもよって、瑞樹くんたちがこれ引いちゃうなんて!」
「うわああ悔し〜っ!」と、朱音はその場で頭を抱えて地団駄を踏んで悶える。
「二人きり……」
結衣は、手渡されたそのプラチナカードをジッと見つめながら、ボソッと呟いた。
その虚ろだった瞳に、少しだけ生気が戻り、微かな熱が帯びているのがわかる。
朱音は悔しそうに口を尖らせながらも、瑞樹と結衣の肩をポンっと軽く叩いた。
「……まぁ、せっかくの特等席だから、楽しんでおいでよ……トホホ。次のお客さん入れたいから、もう出てってねー……」
そう言われて、二人は出口のカーテンへと向かった。
***
事故物件という名の二組の教室を出て。改めて瑞樹は廊下から教室の外観の窓際を見てみると、そこであの『謎』の正体に気が付いた。
「……なるほどな」
中に入った時、人が壁の中に消えたり、突然背後から出てきたりしたトリックがわかった。
あの事故物件の部屋が、教室を丸々使った作りだと思い込んでいたが、実は一回り小さかったのだ。
廊下のある黒板側と、窓際のスペースを除いたセットの外側L字型に、演者が移動するための裏通路の空間を作っていたのだ。そして、壁の所々に隠し扉を作り、自由に出入り出来るようにしていた。
だから、行き止まりの風呂場で姿を消し、リビングや玄関に瞬時に現れることができたのだ。
教室の限られたスペースと資材を駆使した、実によく考えられたアナログなトリックだ。
「凄いな二組……」と一人でうんうんと感心して頷く瑞樹に、結衣がトンっと全体重を預けるように寄りかかってきた。
「……瑞樹くんに、一つ命令があります」
教室の外の明るい廊下に出て少し落ち着いたのか、いつもの小悪魔的な様子を取り戻した結衣が、瑞樹を下からジッと見上げてくる。
「……命令? お願いじゃなくて、命令?」
「命令。絶対王者からの、断れない宣告」
結衣がギュッと瑞樹の腕を強く掴む。
「……今日は、うちに泊まって」
「えっ」
「もう今夜一人で寝るとか絶対無理怖い瑞樹くんのせい責任取って私が寝るまで横で起きてて」
早口で一気に捲し立てて、結衣は瞳を潤ませる。
本当に、芯から怖かったのだろう。
「わ、わかったから、とりあえず今は離れろ」
「なんで」
「暑い。人目も多い」
「別にいつものことなのに。……あっ、ふーん?」
結衣は、ニヤッと悪い笑みを浮かべる。
「クラスの友達とか、知り合いに見られるのが恥ずかしいんだ?」
結衣は瑞樹の「離れろ」と言う言葉を完全に無視して、更にギュッと密着してくっついてくる。
確かに、この密着度と歩き難さ、そして体温の暑さは結衣との慣れ親しんだ日常で、心地良いはずだ。
だけど、今は結衣の言う通り、見知った同級生がわんさかいるホームグラウンド。
あとでクラスの連中に冷やかされるのも面倒だ。
「そうだ。だから頼む、今は少し離れてくれ」
「やっ」
結衣は短く拒絶して、腕に抱き付きながら、指も絡めてきた。
いわゆる恋人繋ぎだ。
もう完全にアウトな距離感だ。
瑞樹が額に冷や汗を滲ませて結衣の顔を見ると、結衣は勝ち誇ったような悪い笑みを浮かべている。
「瑞樹くん、好きー」
結衣がわざと大きな声でそう言いながら、スリスリと瑞樹の腕に頬擦りして甘えてくる。
「お前っ……!」
すれ違う周りのカップルや学生たちが、ヒソヒソと瑞樹たちを見ながら「ラブラブだねー」と微笑ましい顔を向けてくる。
完全に、廊下の羞恥の的になった。
誰にも見えない死角で、結衣はペロっと舌を出して小悪魔ムーブをかましてくる。
(クソ可愛いっ……! なんだこの生き物)
「あはは。楽しいねー、瑞樹くん」
「……それは結衣だけだ。クッソ」
あははと楽しそうに笑う結衣。
結衣が楽しいならそれに越したことはないが、オタクとしてやられっぱなしはどうしても悔しい瑞樹。
諦め半分で廊下をラブラブバカップルのように闊歩して、気付けば廊下の一番端まで辿り着いていた。二階へと続く少し薄暗い階段があり、どういうわけか、偶然にも周りの人の流れが途切れている。
(今だ!)
瑞樹は突然、結衣の腕を強く引き、階段下の暗い用具入れのあるデッドスペースに結衣を強引に連れ込んだ。
ここは階段の影になり、廊下を歩く人からも完全に死角になる奥まった場所だ。
瑞樹は結衣をコンクリートの壁際に押しやり、その両手首を持って壁に押し付けて固定する。
「……み、瑞樹くん?」
少し焦っている結衣。
予想外の瑞樹の大胆な行動に、頭が回っていなそうだった。
「俺のこと『好き』って言ったよなー? じゃあ、ここで俺に何されても文句は言えないよな?」
「っ……!」
形勢逆転。
結衣はポッと頬を赤くして、逃げようともがくが、男である瑞樹の力に勝てるわけもない。
瑞樹は悪い顔を作って、結衣の顔にギリギリまで近づき追い詰める。
「さっき一花のとこで結衣、自分の涎を飲ませるって言っただろ? ほら、誰も見てないし、ここでやってみてくれよ?」
「は、はぁ? ……ここじゃ、やだ」
……いや、なんだその『涎を飲ませること自体はオッケーだけど、場所が悪い』みたいな言い方は。
「なっ、に……」
動揺して言い淀んだ瑞樹の心の隙を、結衣が見逃すはずがなかった。
更に、大逆転が起こる。
結衣がサッと瑞樹の緩んだ押さえつけから脱出し、そのまま瑞樹の胸をドンッと押して、逆に瑞樹を壁際に押し倒したのだ。
バランスを崩して座り込んだ瑞樹の太ももの上に、結衣が跨るように乗り、上から瑞樹をジッと見下ろす。
「……やっぱり、ここでいいよ、瑞樹くん。ほら、口開けて?」
「……ごめんなさい、俺が悪かったです」
「ダメだよ。瑞樹くんが自分から言い出したんだから」
結衣が、妖艶な笑みを浮かべて顔を近づけてくる。
鼻と鼻がくっつく距離。一気に結衣の甘いシャンプーの匂いが全身を駆け巡る。
(……やばい、口がつくぞ、これ。おい!?)
少しでも動けば、結衣の柔らかい唇とキスしてしまいそうな距離。
「ちょっ……」
「口、開けて。瑞樹くん」
甘く囁く結衣。
これは、いろいろとヤバイ。
後ろにも横にも逃げられない。何より動けば絶対に口に触れてしまう。
どうする。
「えっ」
瑞樹の視界が、突然真っ暗になる。
結衣が片手で、瑞樹の両目を塞いだのだ。
「なっ……」
と、驚いて瑞樹がわずかに口を開けた瞬間。
するりと、何か液体のようなものが、口の中に流れ込んできた。
背筋が粟立つような甘美な痺れが、喉の奥から全身へと広がっていく。
そしてほんの少しだけ、柔らかい何かが、瑞樹の唇に触れてしまった気がする。
「……っ」
ゴクリと、反射的に何かを飲み込む。
結衣の手がどき、視界が戻る。
結衣が耳まで顔を真っ赤にして、だけど必死に作った小悪魔の悪い顔で瑞樹を見下ろしている。
「……ど、どうだった?」
「ヨク、ワカリマセンデシタ」
瑞樹が思考停止のカタコトで返すと、結衣はプクッと頬を膨らまし、瑞樹の上から降りた。
「私の勝ちね」
結衣がジト目で瑞樹を見下ろしながら、手を伸ばす。
瑞樹はその手を取って、フラフラとゆっくり立ち上がった。
「あの、もう俺……お前に勝てる気がしない」
そう言って瑞樹が結衣の顔を見る。
パチリと目があった二人は、お互いの顔の赤さに気づき、咄嗟に恥ずかしそうに視線を逸らした。
――とっくの間に越えてる一線の、更に深い先を、今越えてしまった気がする。
(友達……なんだよな? これ)
瑞樹はまた結衣に視線を向けると、こちらをチラチラと見ていた結衣が、またサッと視線を逸らした。
……結衣が、好きだ。
(絶対に。絶対に今日、花火の時に告白する)
瑞樹は、この曖昧な関係に終止符を打つ決意を、自分の中でさらに強固に固めたのだった。




