第16話 告白(3)
一年一組のコンカフェの教室を出てすぐ、隣の二組の入り口の前に立てられた看板を見て、瑞樹はピタリと足を止めた。
『事故物件ですが、内見者募集中』
白い背景に黒文字で簡素に書かれた、A型のスタンド看板。
学校祭によくあるような、お化け屋敷らしい血文字や不気味なイラストの装飾は一切ない。ただ、町中の不動産屋の店先や、役所の事務的な説明会の案内の様にポツンと立てられているその質素さが、文化祭の作り物感を消し去り、逆に奇妙なリアリティを感じさせていた。
素晴らしい出来だ。
ホラーにおける本質の怖さとは、こうした日常に潜む現実味から生まれるのだ。
「……瑞樹くん」
結衣が、急に不安そうな顔で瑞樹を見上げてくる。
「もしかして、次、ここに入ろうとしてる……?」
「もちろんだ。ここが朱音のクラスのお化け屋敷。……『事故物件』だ」
「えぇ〜……ちょっと待ってよ……」
結衣はあからさまに顔を歪めて、瑞樹の右腕をギュッと掴んだ。
結衣は、アニメや漫画で恋愛モノやラブコメをこよなく好む一方で、ホラーやスプラッター系、心霊モノは完全に苦手な分野なのだ。
ホラーアニメですら、一人では観れないほど。
文化祭でよくあるような、暗闇でただ大声を出して驚かすだけの学生じみたお化け屋敷ならまだしも、ここはホラーマニアの瑞樹のテコ入れがなされている本格派のアトラクションだ。結衣の足が自然と重くなるのも無理はない。
「せっかくだから見ていこうよ。俺がわざわざアドバイスして、演出に噛んだんだから」
「だから! その瑞樹くんが噛んでるから、余計に行きたくないんだよぉ……!」
半泣きで抵抗する結衣を無理矢理引っ張って入り口の待機列に並ぶと、スーツ姿の案内係の男子学生が、バインダーに挟まれたラミネート加工の一枚の文書を無言で手渡してきた。
「……内見の前に、こちらを読んでお待ちくださーい」
受け取ったそれを見てみると、不動産屋の『間取り図(1K)』と、その物件で過去に何があったのかという『特記事項』が事務的な文面で記載されている。
瑞樹は、結衣と一緒にその内容を読んでみる。
『特記事項:数年前、当該物件の借主である男性が、室内にて何者かにバッドのような鈍器で頭部を殴打され、死亡する事件が発生。
六畳一間の洋室の隅で、壁を背にして死亡しているのを、当時交際していた女性が部屋を訪れた際に発見し通報。
部屋が荒らされている点と、財布等の金品が無くなっていることから、警察は「窃盗目的での侵入後、被害者に見つかり、口封じに殺害した」とみて捜査を終了している』
「……死因と、当時の凄惨な状況か。設定が凝ってるな」
瑞樹が感心して言うと、結衣はまた嫌そうに顔を歪める。
「リアル過ぎるよー……。こっちは? 目的?」
文章の下の方には、この事故物件のアトラクションとしての『参加目的』が記載されていた。
『参加者様には、物件の内見として自由に部屋を見ていただきます。そして、警察も辿り着けなかった「男性の死の真相」を見つけられた方には、豪華賞品をプレゼントいたします』
そんな、ゲーム性を持たせた内容だった。
「死の真相? ……ただ脅かされるだけじゃなくて、謎解き要素もあるのかな?」
「それなら、いけるかも!」
謎解きというワードに、結衣の強張っていた表情が少しだけ和らいだ。
しかし、瑞樹は知っている。朱音たち二組の目的は、決して脱出ゲームのような謎解きをやりたいわけじゃない。あくまでも、客を芯から恐怖させるホラーアトラクションとしてこれを準備してるはずなのだ。この謎解き要素は、客の注意を別の方向へそらすためのダミーの目的に過ぎない。
「だな。最近謎解き流行ってるし、そっち寄りにマイルドに仕上げたのかもな」
瑞樹はあえて結衣を安心させるように嘘をついた。
「よかったー。確かに、ここまで並んでても、中から悲鳴とか全然聞こえないもんね」
結衣は完全に安心しきっている。
この教室内が、外部の音を遮断し、中の悲鳴を外に漏らさないための『防音・遮音設備』が徹底されているとは夢にも思わずに。
よし。
「……次のお客様、どうぞー」
瑞樹と結衣の番になると同時に、入り口の出口専用のドアから、一組の男女のカップルがフラフラと出てきた。二人は完全に顔面蒼白で、幽鬼のように肩を落とし、精神的にひどく疲れ切っている様子だ。
そんな二人の異常な様子を見て途端に不安がぶり返したのか、結衣が涙目で「……やっぱやめる」と訴えてきたが、瑞樹は構わず結衣の手を強く引いて、黒いカーテンの奥の暗闇へと中に入った。
***
中に入ると、ボロアパートの部屋前の外廊下のような薄暗い作りになっており、真っ直ぐ狭い廊下が伸びて、左手に目当ての部屋の鉄扉があるようだ。
右手にある黒板には、先ほどのチラシと同じ部屋の中の間取り図がチョークで描かれており、男性が死亡していたとみられる『部屋の隅』に、赤いチョークでぐるぐると何重にも丸が描かれている。
そして、その短い廊下の突き当たりに、ビシッとしたリクルートスーツ姿の女性が立っていた。
朱音だ。
部屋に続く鉄扉の前で、内見に同行する『不動産屋の案内人』の設定でそこに待機しているようだった。
「――内見のご希望ですね。どうぞ、こちらに」
ニコニコと完璧な営業スマイルを浮かべる朱音に近づくと、瑞樹の腕を掴む結衣の体が、また別の緊張でピクッと強張るのを感じる。
朱音を前にして、気まずさから瑞樹の腕から離れたいが、暗くて怖いから離れたくない、という女心の葛藤が右腕の力加減からリアルに伝わってくる。
数秒の葛藤の末。結衣は、スッと瑞樹の腕から手を離した。
「瑞樹くん、結衣さん。来てくれてありがとう」
客が瑞樹たちだとわかると、朱音も営業スマイルを崩し、一花と変わらず普段の無邪気な笑顔を見せてくれた。
「すごいな、この作り。廊下の壁とか、めっちゃ頑張ったな?」
「ふふっ。舞台のセットの会社が協賛に入ってくれてね、資材を貸してくれたの。……このドアくぐったら、もっとビビるよ?」
ニヤッと悪戯っぽく笑う朱音。
相当、仕上がりに自信があるようだ。
「あの、朱音さん……」
結衣が、少しだけ不安そうに、申し訳なさそうに朱音を見つめると、朱音はズイッと結衣の至近距離まで歩み寄った。そして、プクッと頬を膨らませて、ジトっと結衣を見つめ上げた。
「……瑞樹くんから聞いてると思うけど。あたしは、瑞樹くんを諦めるつもりはないし、あたしはあたしで勝手にやらせてもらうから。だから、結衣さんも別に変に遠慮しなくていいよ。……今まで通り、瑞樹くんと仲良くして? あたしは、二人の仲を割きたいわけじゃないからね」
それは、朱音なりの、精一杯の強がりと宣戦布告。そして、結衣に対する不器用な歩み寄りの言葉だった。
「……朱音さん……」
その真っ直ぐな言葉に、結衣は自然と安心したような笑みをこぼす。
朱音はニヤッと笑うと、背伸びをして結衣の耳元で、瑞樹には聞こえないように何かをコソコソと呟いた。
そしてそれを聞いた結衣は、途端にジト目で瑞樹を睨みつけてきた。
「おい、なんか不穏な目つきで俺を見てるぞ。朱音、今何を吹き込んだ!」
「ひっみつー!」
楽しそうに朱音が笑うと、結衣がムスッとして、再び瑞樹の腕にギュッと強く捕まってきた。
「……いこっ。瑞樹くん」
「あ、ああ」
「――それでは、どうぞごゆっくり、ご覧くださーい」
朱音がガチャリと鉄扉を開け、二人は暗い部屋の中へと足を踏み入れた。
扉を開けて中に入ると、驚きの光景が広がっていた。
小さな玄関口。左手に一人暮らし用の手狭で薄汚れたステンレスの流し台があり、その並びにトイレと風呂へ続く白いドアがある。そして正面には、六畳の洋室のリビング。
内見のための空き部屋を想定しているから家具はなくガランとしているが、設置されている古びた流し台や、据え置きの黄ばんだ冷蔵庫が、かつてそこに誰かが生活していたという強烈な不気味な雰囲気を醸し出している。
教室の窓も巧みに利用し、遮光カーテンの隙間からわずかに夕日のような赤い明かりが漏れてきて、真っ暗な室内をぼんやりと照らしてる。
辛うじてどこに何があるかわかる程度の、恐怖を煽るベストな明るさだ。
ここが本当にただの学校の教室なのかと、疑うレベルのセットの再現度だった。
瑞樹がそうしてホラーファンとして感心していると、結衣が瑞樹の腕を掴む力がギリギリと強くなる。
「ねぇ……音が、なんもしないんだけど……さっきまで外、あんなに煩かったのに……」
窓越しに屋外のフェスの喧騒が微かに聞こえるはずなのに、この部屋の中は、自分のドクン、ドクンという心臓の音が聞こえてきそうなほど、不自然に静まり返っているのだ。
これが壁に敷き詰められた防音・遮音の設備故だとわからない結衣には、世界から自分たちだけが取り残されたような、酷く不安を煽る材料となった。
二人が玄関の土間で立ち往生していると。
突然、リビングの奥の方から、ドンっと重い音が聞こえた。
「ひっ!」
結衣が小さく悲鳴を漏らす。
こっちに来い、という合図だ。
瑞樹が結衣の腰に手を回し、無理矢理引いてリビングの方へと進む。
「……結構、広いな? 一人暮らしならこれで十分かもな」
「え、ちょっ、なにガチの内見みたいなノリしてるの!?」
「でも、結衣と二人で同棲するなら、ちょっと狭いな」
「その冗談続けるの!?」
瑞樹の空気の読めない悪ノリに、少しだけオバケの不安が取り除かれたのか、結衣の緊張が和らぐ。
しかし、そこで。
急に背後に人の気配を感じて、二人は入ってきた玄関の方に素早く視線を向ける。
すると、暗闇に紛れて、真っ黒の人型のシルエットが、風呂のある部屋にスッと入っていくのが見えた。
「ひゃああ! い、今いた! なんか黒いのいた!!」
「……いたな」
瑞樹は冷静に状況を分析しつつも、ホラーのセオリーとしての次の展開を不安視していた。
この流れだと、次は怪しい人影が消えた風呂場を見に行くことになる。だが、あそこは行き止まりのはずだ。今のシルエットは演者の学生だろうから、風呂場に行けば確実に鉢合わせてしまう。
そこで「ワッ!」と大声を出して脅かすのだとしたら、この作り込まれたセットや事故物件の設定に対して、少々陳腐でお化け屋敷的すぎないか、と。
「いくか……」
でも、見に行けと誘導されている。行くしかない。
「やだ! 絶対行かない! もう出る!」
結衣が腕に必死にしがみついて離れないが、瑞樹は構わず結衣を引きずりながら、ゆっくりと歩いて風呂場へと向かう。
ギシッ、ギシッと、歩くたびに床板が軋む音が鳴り、部屋の奇妙さを演出する。
風呂へと続く白いドアは、来た時には閉まっていたのに、今は半開きになっていた。
ドアを開けると、真っ暗な空間は脱衣所と洗面所で、さらに左手に風呂場のガラスドアがある。
先ほどの人が隠れているとしたら、あのガラスドアの奥の風呂場だ。
ゴクリと唾を飲み込み、二人は暗闇の洗面所を奥へと進む。
一歩、一歩。
来るぞ。
ここで、わ! と出てくるぞ。
しかし、来ない。
あれ? と瑞樹は拍子抜けしつつ、勢い良く風呂場のガラスドアを開け、中を覗き込んだ。
「……いない!?」
狭い浴槽の中にも、洗い場にも。誰も、いない。
窓もなく、逃げ場や隠れる場所なんてない完全な密室のはずなのに、先ほどの黒いシルエットの主が、煙のようにどこにもいないのだ。
不可解な現象に、結衣が一層強く瑞樹の服の裾を強く握りしめる。
「え、これ……ほんものってこと、ないよね……?」
「そんなはずは……」
――ジジッ、と。
不快な電子音が鳴り、洗面所の鏡の横に設置されていた小さなモニターが、青白く光った。
「きゃっ!」
暗闇の中で、モニターに映像が流れる。
そこには、生前の男性が映っていて、この洗面所の鏡の前で髭剃りをしているところだった。
すると突然、男性は何かの物音に気付いたように驚いた顔をして、カメラ越しにこの脱衣所の入り口の方を見つめる。そして「うわあっ!」と悲鳴を上げて、迫り来る何かを避けるように体を素早く動かしたところで、映像はプツンと終わった。
再び、深い暗闇と静寂に戻る。
「……これは……死んだ男性が、犯人に襲われた瞬間の映像だな」
「う、うん……」
被害者の追体験のようなものだろうか。死の真相を見つけるヒントの映像だろう。
二人が少し思考の海に入りかけ、モニターから視線を外した時。
また背後に人の気配を感じて、勢い良く二人は脱衣所の入り口のドアの方に視線を向ける。
「――きゃあああああっ!」
半開きになったドアの影から、頭だけ出して奇妙に口角を上げた笑みを浮かべる男が、ジッと無言でこちらを覗き込んでいた。
さっきのシルエットの主だ。
結衣が飛び上がって悲鳴を上げ、瑞樹の正面からコアラのように抱きついてくる。
(くそっ)
瑞樹はすぐに男を追って、どこに隠れていたのか仕掛けのトリックを確かめたかったが、結衣に全身で行く手を阻まれてしまい、身動きが取れなかった。
数秒後。気付けばまた、シルエットの男の姿はドアの隙間から消えていた。
瑞樹は結衣をなだめて剥がし、手を強く引いて、再びリビングに向かう。
――いる。
でも、さっきのシルエットの男じゃない。
部屋の隅、間取り図で『遺体発見現場』と記されていた赤丸の場所に。
さっき映像に映っていた男性の姿をした演者が、映像のままの血塗れの恰好で、こちらを向いて突っ立っていた。
無表情で、何もせず、ただジッとこちらを見つめている。
瑞樹がアドバイスした演出だ。
「み、みみみみ……っ」
ブルブルと震えて、結衣が瑞樹の腕に飛びつき、顔を隠す。
すると、映像の男性が、首から上を一切動かさずに、視線はこちらを向いたまま、ゆっくりと足を引きずって歩き始めた。
思わず、男性がいた対角の部屋の隅に、二人は後ずさりして体を寄せる。
その間も男性はこちらを向いたまま、無表情でゆっくりと歩き、二人の目の前を通り過ぎて、玄関の方に無言で消えて行った。
ゴクリと生唾を飲み込む二人。
その瞬間。
二人のすぐ後ろの壁の方から、
『――なんで、殺したんだよ』
と、低く掠れた声が聞こえてきた。
思わず二人は飛び退き、勢いよく振り返る。
誰もいない。いるはずがない。そこには、ただの薄汚れた壁紙しかないのだ。
「な、なんだこれ……スピーカーか?」
振り向いた壁の真ん中に、何やら一枚の紙が貼ってあった。
瑞樹が近付いて見てみると、女性の文字のような、乱れた手書きの文章だった。
『私が一番じゃなかったの? なんであんな女と浮気したの? ……一緒になれないなら、もう生きてる意味はないね。死んで』
――ゴンっ。
玄関の方で、重い鉄の塊が落ちたような音がした。
瑞樹がゆっくりと身を乗り出して覗いてみると、土間に何か棒状のものが落ちてる。
二人が近づいて見てみると、それは、先端が真っ赤な血に染まった金属バッドだった。
――凶器だ。
この事件の真相がわかった。
突然現れた凶器のバッドと、度重なる恐怖のストレスでついに限界が来ているのか、結衣はもう声すら発さず、目を固く閉じて瑞樹の腕にしがみついてガタガタと震えるだけだった。
すると、またジジッと不快な電子音が鳴り、今度は玄関のドアの上に設置されたモニターに映像が流れた。
さっきの男性が焦ったようにリビングに逃げ込み、部屋の隅まで追い詰められる。
『やめろ! 俺が悪かった!』と命乞いをして叫び。そして、カメラの死角にいる何者かにバッドで頭を何度も殴られ、男性は崩れ落ちて事切れる。
映像はそこで終わり、プツンと画面が暗転した。
終わったと同時に、瑞樹は自分たちの真後ろに、強烈な人の気配を感じた。
誰か、いる。
結衣も同じことを直感したのだろう、瑞樹の腕を掴む爪が食い込むほど強くなった。
恐る恐る、ゆっくりと背後を振り向こうと思った、その瞬間。
背後の、耳元に息がかかるほどかなり近い位置から、声が聞こえた。
『――殺さなくても、よかっただろ』
「――ぎゃああああああっ!!」
結衣が今日一番の悲鳴を上げて飛び上がり、瑞樹を巻き込んで、振り返りながら尻餅をついて二人が床に倒れ込む。
そこには。
頭から大量の血を流した男性の幽霊が、恨めしそうに首を傾げて、床に倒れた二人を無表情で見下ろしていた。
モニターの映像に気を取られている隙に、いつの間にか背後にまで音もなく迫られていたのだ。
壁の防音材のせいか、足音に全然気付かなかった。
男性は、そのまま何もせず、トボトボと風呂場の方へと、また消えていった。
ガチャ。
背後の、玄関の鉄扉が開く。
瑞樹と結衣が慌てて振り返ると、不動産屋のスーツを着た朱音が、ニコニコと悪魔のような笑顔でこちらを見下ろしていた。
「はーい。内見のお時間、終了でーす」




