第16話 告白(2)
クーラーが効いて涼しいはずの校舎内を歩き、一年一組の教室の近くまでやって来ると、そこだけ屋外のフェス会場とはまた違った、独特の濃密な熱気を放っていた。
瑞樹や結衣がよく知る、オタク特有の『想いが溢れそうで溢れない、遠慮しがちだが確かな熱気』だ。
それに伴って、教室周辺の物理的な温度の上昇も感じられる。
暑い。暑いけれど、オタクである今の二人にとっては、グラウンドの喧騒よりも遥かに心地良く感じる空間だった。
「コンセプトカフェだっけ?」
一組の看板を見上げながら、結衣が興味津々に訊ねてくる。
「そ。今の時間のコンセプトは『妹』。……実は先週、ここのスタッフたちから接客の監修を頼まれてさ」
「へぇー?」
瑞樹が苦笑いで頭を掻くと、結衣はニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ、この中には瑞樹くんの性癖がたっぷり詰まった、理想の妹がいるんだね?」
「なんかその言い方は変態っぽくて語弊がありそうだけど、まぁ間違いではないな。俺の理想の妹がいる!」
「わー、楽しみ!」
教室の入り口には、可愛らしいエプロン姿の一花が、案内の係として立っていた。
一花は列に並ぶ瑞樹の姿を視認すると、パァッと花が咲いたような笑顔を向けてくる。
「おかえり、お兄ちゃん!」
「――ぐはっ!」
瑞樹は、心臓を物理的に撃ち抜かれたように思わず胸を抑える。
既に一花は、プロの妹モードに入っている。先日の放課後に瑞樹がアドバイスした通り、変にキャラを作るのではなく、『いつもの一花』として自然な演技で振る舞っているようだ。
普段の元気で明るく人懐っこい一花のキャラクターに、妹という最強の属性成分が足されて、とんでもない破壊力になっている。
純粋に、可愛い。
もしこんな出来た妹が自分の家にいたら、今頃どうなっていたのかと、瑞樹は無駄な逡巡をして頭を振った。
「おかえり、お姉ちゃん!」
そして一花は、瑞樹の隣にいる結衣にも、全く変わらぬ愛嬌と笑顔で挨拶をした。
「こ、これが瑞樹くんの理想……!?」
結衣は、鼻息を荒くして興奮気味に瑞樹に迫る。
わかる。わかるぞ。
オタクとして、このアンリアルで愛嬌の塊のような妹は、二次元から飛び出してきた『可愛い妹』の概念そのものだ。
「いや、これは一花の良さを百二十パーセント発揮させた妹像だ。……俺の理想の属性は、別にある」
瑞樹が客観的な評価としてそう言うと、一花が不満そうにプクッと頬を膨らませて、瑞樹の袖を軽く引っ張ってきた。
「むー。お兄ちゃん、私のことも一番の理想って言ってよ。……悲しい」
しゅんとわざとらしく肩を落とし、上目遣いで見つめてくる一花。
「ご、ごめん! 俺たちには、鼻血が出そうなほど一花も可愛いと思ってるぞ!」
「うんうん! すっごく可愛い!」
隣で結衣も激しく頷く。
すると、一花はニコッと太陽のような笑顔を向けて、ペロッと舌を出した。
「へへっ。演技、ばっちしだね、私。……瑞樹くんも結衣さんも、いらっしゃい。みんなかなり仕上がってるから、ゆっくり楽しんでってね」
ふと、いつもの一花のトーンに戻る。
「……あと、結衣さん。この間は……ごめんなさい。嫌いとかそういうのないから、今日は気にせず楽しんでくれると嬉しいな」
一花は、かつてコンビニ前で向けたような敵意は微塵も見せず、心からの優しい笑顔で結衣を迎えてくれた。
結衣はそれで心の底からホッとしたようで、「ありがとう。一花ちゃん」と柔らかく笑い返した。
「ご指名はある? やっぱり、二ノ宮さん?」
一花の提案に、瑞樹は迷わず頷く。
「はーい! お兄ちゃんとお姉ちゃん、帰ってきたよー!」
一花のその元気な掛け声で、教室内のエプロン姿の女の子たちが一斉に「おかえりなさーい!」と声を揃えて迎えてくれる。
「なんか、すごいな」
「ね。大家族の温かいおうちに帰ってきたみたい」
そんなことをコソコソと話しながら、二人が案内された空席に着くと。ほどなくして、瑞樹が直々に仕込みを入れた二ノ宮がやってきた。
キリッとした気の強そうな目が特徴的な彼女だったが、なんだか先日よりもさらに目つきの鋭さが増している。
いわゆる、路傍のゴミを見るような冷たい目だ。
スウェットに少し大きめのTシャツという、リアルな休日のおうちスタイルで、彼女はメニュー表をドンッと雑にテーブルに投げ捨てた。
結衣はそのあまりの威圧感に少しビビっているのか、生唾をゴクリと飲み込む。
「……何しにきたの?」
二ノ宮の容赦のないツンとした態度に、瑞樹はオタクとして真っ向勝負を挑む。
「……アイスコーヒーが飲みたくて」
「はぁ!? 私に作れって言うの? ありえない。……なに、もしかしてお姉ちゃんも?」
二ノ宮が鋭い視線で結衣を睨むと、結衣はビクッと肩を揺らして、コクリと頷いた。
「まじメンド。自分でやって欲しいんだけど」
「頼むよ。一生のお願いだ」
瑞樹が身を乗り出してそう言うと、二ノ宮は面倒くさそうに特大のため息を吐き、「チッ」と舌打ちをして黙って厨房スペースへと消えていった。
二ノ宮がいなくなって、結衣は恐る恐る身を乗り出し、瑞樹に小声で訊ねる。
「ツ、ツンキャラ? めっちゃ怖いよ! これが瑞樹くんの理想なの? え、もしかして瑞樹くんってドMなの!?」
瑞樹は慌てて両手を振り、その不名誉な誤解を否定する。
「違う違う、本番はここからだ」
「えー……?」
あちこちのテーブルから『お兄ちゃん♡』という甘い妹ボイスが聞こえてくる中、一人だけ完全に様子の違う殺伐とした二ノ宮の対応に、頭にハテナを浮かべる結衣。
程なくして、二ノ宮が二つのアイスコーヒーが入ったグラスを手にして戻ってきた。
「……はい」
相変わらず、おっかない目だ。
二ノ宮はぶっきらぼうにアイスコーヒーをテーブルに置く。少し中身が跳ねたが、それすらも演出のようだ。
瑞樹は一口ストローで飲んで、仁王立ちする二ノ宮を見上げる。
「……美味いな。ありがとう。やっぱり、お前のアイスコーヒーが一番だ」
「ふ、ふーん?」
瑞樹の不意打ちの褒め言葉に、二ノ宮がほんの少しだけ顔を赤くして、照れ隠しのようにそっぽを向いた。
「――っ……! これは!」
結衣が何かを察したようで、ニマニマと頬がだらしなく緩んでくる。
瑞樹はさらに追撃を行う。
「ちょっと、こっちこい」
瑞樹が手招きすると、二ノ宮が不満そうな顔を作りながらも、一歩瑞樹に近づく。そのまま手をひょいひょいと下げて「しゃがめ」と合図すると、二ノ宮は文句も言わずに素直に従った。
「……な、なによ?」
「ありがとう」
瑞樹は、目の前でしゃがむ二ノ宮の頭を、ポンポンと優しく撫でる。
「……俺のために、ずっと作ってくれるか?」
その甘い声に、二ノ宮の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
演技の範疇を超えた、リアルな女子高生の照れだ。
「……ずっ……ずっと?」
「うん。ずっとだ。死ぬまで、お前と一緒にいたい」
先ほどまでの氷のように冷たかった瞳が、一瞬で潤んでパニックを起こしたように泳ぎ始めた。
二ノ宮は完全に顔を伏せ、耳まで赤くして、小さくコクリと頷いた。
「……うん……いいよっ……」
瑞樹は、対面に座る結衣に勢い良く視線を戻す。
『どうだ!』と無言で問いかける。
結衣は、口の端からツーっと涎を垂らしそうな勢いで、とろけた瞳で赤い顔の二ノ宮をガン見していた。
完全にトリップ状態だ。瑞樹のプロデュースしたツンデレに、大いにご満悦いただけたようだ。
二ノ宮は顔を赤くしたまま立ち上がり、メニューを片付けるふりをして、瑞樹の耳元で他人に聞こえないようにコソコソと耳打ちしてくる。
「……古河くん、ありがとう。なんかこれ、思った以上にお客さんに評判良くて、私の指名の売り上げ、めちゃくちゃ凄いんだ」
「それは良かった。さっきは触って悪かったな」
瑞樹が小声でそう言うと、二ノ宮はふるふると首を振り、チラッと結衣の方を見てから口を開いた。
「他のお客さんからはトラブルになるから『お触り禁止』にしてるけど、古河くんならまぁ、アドバイス料ってことで。……てか、あっちの彼女さん? めっちゃ可愛いね。てっきり、一花とそういう関係なのかと思ってた」
瑞樹は二ノ宮の耳元で、結衣に聞こえないようにハッキリと囁き返す。
「一花とも、あの子とも付き合ってない。……でも、今日、告白するつもりではあるけど」
その決意の言葉を聞いて、二ノ宮はパァッと明るく笑い、コクコクと力強く頷いて胸元で小さく拳を握った。そして、瑞樹に向かって口パクで『頑張って!』とエールを送ってくれた。
「ありがとう」と瑞樹が微笑んで返すと、パタパタと二ノ宮は照れ隠しのようにその場を後にした。
結衣がハッと我に返り、口元を拭って身を乗り出してくる。
「ツンデレっ! やばっ! 今のギャップ、めっちゃ可愛かったんだけど!」
「だろ!? あの子、二ノ宮って言うんだけど、もともと天然のツンキャラだったんだよ。だから、そこにちょっとしたデレの要素を教えたら、ああいう完璧なバケモノが完成した!」
「瑞樹くん、天才すぎる。三次元に存在するはずないツンデレを、リアルに産み出したじゃん。……ほんとに、可愛すぎて鼻血出るかと思った」
「鼻血は出てなかったけど、涎はとめどなく出てたぞ?」
「よ、涎じゃなくて! これは、尊さから分泌されるポーションと呼んでよ!」
「じゃあ、その貴重なポーション、俺にも飲ませろよ?」
瑞樹がわざと意地悪くニヤッと笑って挑発すると、結衣は顔を赤くしながらも、負けじと不敵に笑い返してきた。
「いいよ? ……後でね」
「――くっ……!」
やっぱり、こういう時の結衣はめっぽう強い。
このニヤニヤレスバトルで、瑞樹が彼女に勝てる気が全くしない。
「そろそろお時間だよー、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
他のスタッフの女の子のその声で、二人の熱いオタクバトルは幕を閉じた。
「最高のものを見せてもらいました」と、瑞樹と結衣は二人で二ノ宮と一花に深く礼をして、大満足で一年一組の教室を後にしたのだった。




