第15話 境界(3)
二組の教室を逃げるように出た瑞樹は、誰もいない廊下で大きくため息をつく。
「……なんなんだ、今日は……」
しかし、世界はまだ瑞樹を休ませてくれるつもりはないようだった。
三組のドアがガラッと音を立てて開けられると、中から見知った長身の男――遊が顔を出したのだ。
そしてその遊は、廊下で疲れ果てている瑞樹と目が合うと、パァッと顔を輝かせて大きく口を開けて笑ったのだ。
「もう何も言うな。……わかってる」
瑞樹はボソッとこぼして廊下の真ん中で立ち尽くしていると、遊が目の前まで小走りでやって来て、開口一番に「古河、ちょうどよかった。ちょっと相談があるんだけど」と声をかけてきた。
瑞樹は、乾いたから笑いでそれを受ける。
なんなんだ、一体。
この高校は、すべてのクラスの悩み事を解決するまで、下校することが許されない呪われた学校なのか。
「……わかった。全部俺に任せろ」
瑞樹はもう完全にヤケになっていた。
せっかく今日から午前授業になり、午後からは各々が自由な学校祭の準備に充てるスペシャルな一週間なのだ。当然、学校祭で何をするわけでも無かった瑞樹は、とっとと帰宅して、一人の趣味の時間を心ゆくまで楽しもうと思っていた。
スーパーにだって行きたかった。いつも夕方に行くから、特売品や本当に欲しいものが売り切れて手に入らないことが多い。昼過ぎから行けたなら、普段は見ないような珍しい食材が手に入って、夕食のレパートリーを増やせたかもしれない。
でも、もう全部いい。
とりあえず今日は、幼馴染たちのお悩み相談に己の全てを費やしてやる。
「助かるよ」と安堵する遊に連れられて三組の教室に入ると、窓際の空いている座席に案内された。
「ども」
「ちわ」
そこには、遊と同じく見覚えのあるサッカー部一年のイケメン二人が、椅子に逆座りして待っていた。
遊を合わせて、絵に描いたような三人の長身イケメンに囲まれる。
まるで陰キャの公開処刑じゃないかと、早くも瑞樹は逃げ出したくなるが、どうせこの教室を出たところで今度は別のクラスの新たなお悩みが待ってると思うと、とりあえずこの場の問題を大人しく解決することに決めた。
「それで? 相談ってなんだ」
瑞樹が椅子に座って遊に問い掛けると、遊は困ったように眉を下げて説明を始めた。
サッカー部では毎年恒例として、学校祭で飲食の模擬店を屋外のメインストリートでやるのだが、当日の仕事は主に三つの役割に分かれるらしい。
ひとつは『調理』。
注文を受けてから鉄板でフードを調理したり、ドリンクを作ったりする裏方。
ひとつは『客引き』。
道行く女性客に声を掛けて、店へと誘導するキャッチ。
最後に『接客』。
ドリンクやフードの配膳をして、そのままテーブルでお客さんとお話をして楽しませる花形。
これらをサッカー部総勢五十名で振り分けてローテーションを組み、二日間で荒稼ぎするらしい。
問題はここからで、どうやらサッカー部内には『顔面偏差値ランキング』なる不純なものがあるらしく、外部の女性有識者——という名の各運動系部活のマネージャー陣にガチのランク付けをしてもらっている。
そして、そのランキング上位十名が、容赦なく模擬店での『接客』を担当する決まりになっているのだ。
「……で。このイケメン三人は見事上位十名に選ばれちゃって、接客をしなければいけないというわけか」
「そういうことだ」
遊が深く頷く。
しかし、このイケメンたちはサッカーバカばかりで、実は女性と気の利いた会話をするのが大の苦手。それでどう接客したらよいかと、真剣に悩んでいたというのだ。
「なぁ、遊?」
「わかってる。古河が言いたいことは、わかってるんだ」
遊も察している通り、瑞樹だって華やかな女性経験があるわけじゃない。確かに普通に話すことは出来るけど、イケメンたちに『接客の極意』を教えるほどの場数を踏んだ人間じゃないのだ。
「それでも、古河に頼むしかなくて。お願いだ。僕たちを助けてくれ」
遊が真剣な顔で頭を下げて、残りのイケメン二人もそれに倣って頭を下げる。
「とは言ってもなぁ……」
瑞樹は、己の脳内にある記憶の引き出しをフル回転で呼び起こす。
かつて観たアニメ、読んだ少女漫画やラブコメ漫画。その中に登場する、女の子にモテてチヤホヤされるキャラクターたち。
彼らはどうやって会話していた?
何をしていた?
数多あるフィクションの情報を選別し、リアルな瑞樹の中に落とし込む。
「ふう。よし、じゃあ——」
「ちょっと待ってくれ」
イケメンの一人が、説明しようとした瑞樹を慌てて止める。
彼は恥ずかしそうに頭をぽりぽり掻きながら、また深く頭を下げた。
「言葉で言われても、俺たち馬鹿だからイメージがつかないんだ。悪いけど、まずは実践で手本を見せてくれないか?」
「俺もその方が助かる。頭悪くて、理屈の理解に時間かかるんだよ。見せてもらった方が、俺たちは吸収が早いんだ」
イケメン二人が、純粋でキラキラとした目で瑞樹を見つめてくる。
眩しい。イケメンの真っ直ぐな瞳は、オタクには眩しすぎる。
瑞樹は遊を見て、はぁとため息をついて頷いた。
いいさ。仰せのままに。やってやるよ、まったく。
「じゃあ、『六花』をまた呼ぼう」
イケメンがそう提案してきた。
「六花?」
「うん。うちのクラスの女子。実はさっき、僕たちなりに考えて、彼女を相手に試しに会話の練習をしてみたんだ」
遊が答える。
「……全く会話が続かなくて、沈黙地獄になったけどね……」
イケメンが苦笑いで肩を落とした。
六花。
おい、『六』が出たぞ。一花から始まって、ついに六だ。
「なぁ、まさか……お前らの近くに七瀬や八重樫とかいたりする?」
「「ん? 俺たちだけど?」」
イケメン二人が、不思議そうに同時に答えた。
おいおい、まじか。八まで見事に埋まったぞ。
瑞樹は、今すぐ『九』と『十』の残りを探したいという、オタク特有の湧き出てくるワクワクを必死に抑える。
「今度はなによー? また練習?」
ジト目で瑞樹たちを見ながら、六花という女子生徒がやってきた。同じ教室の端で別の作業をやっていたのだろう、面倒臭そうにため息を吐いている。
遊は六花を瑞樹の隣の席に座らせ、事情を説明する。
六花は再度、今度は瑞樹を相手にしたシチュエーショントークに付き合ってくれるみたいだ。
瑞樹も、表情を引き締めて気持ちを切り替える。
よし、なりきる。
「……名前、なんて言うの?」
「六花。……あなたは?」
「瑞樹。瑞樹って呼んで。……俺は、六花でいい?」
「……うん」
始まった。
遊と七瀬と八重樫は、二人の座る席の正面に仁王立ちして、まじまじと瑞樹のテクニックを観察している。
その痛いほどの視線に耐えながら、瑞樹は六花とのトークを見せつける。
まずは——。
「めっちゃ髪綺麗だね。毎日、手入れ大変でしょ」
六花は、ストレートのミディアムボブだ。
長い髪の子に使いがちな手入れの話だが、短くても女性は丁寧に大事にしてるものだ。
髪は女の命。
六花は少し驚いた後、嬉しそうに笑って頷いた。
「そうなの。短いと洗うの楽だねってよく言われるけど、梅雨の時期とかはうねるし、朝のセットとか結構大変なんだよね」
「そうなんだ。その見えない努力を、男はもっと敬うべきだな」
「瑞樹くんも男でしょ。ふふっ」
「俺は敬ってるよ。だから、無闇に触らないようにしてる」
六花はふわりと笑うと、少しだけ頭を瑞樹に近づけてきた。
「……触ってもいいよ? めっちゃサラサラだよ、私」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
瑞樹はそっと手を伸ばし、六花の頭を優しく撫でる。髪の間に指を入れて、サラサラの指通りを確かめるように触る。
本当にすごいサラサラだ。朱音や一花、結衣とはまた違う感触。髪が一本一本細くて柔らかいのだろう。
「すごいな。ずっと触ってたいくらいサラサラだ。毎日のケア、お疲れ様」
「……ありがと」
――まずは、目に見える変化や見た目を褒める。
女の子は我々男子の何倍も、身なりに時間とお金を掛けている。
だから、その隠れた努力と結果をきちんと認めて褒めるのだ。
瑞樹は自然な流れで、もう一つ気になったところを突く。
「あと、その爪も。すごく綺麗で可愛いな」
「わっ、気付いた? 実は昨日、ネイルケアやったばっかなんだー。すごいね、瑞樹くん。男子が気付いたの初めてかも」
六花はまた嬉しそうに笑って、両手の爪を見せてくる。
爪先は綺麗に切り揃えられ、丸みを帯びた柔らかい印象がある。派手な色や模様の装飾はないが、丁寧に磨かれているのか、キラキラと輝き潤って綺麗だ。
「私の彼氏、全然気付いてくれなかったんだよ。酷くない?」
「それは悲しいな。こんなに綺麗で可愛いのに」
――そして、同調。
決して人を否定したりしてはいけない。するべきは同調、同意。相手と同じ気持ちになってあげることだ。
「そうなんだよー。せっかくこれ見て、学祭の準備頑張ろうって思ったのにさ」
「気付いてくれなかったって悲しい気持ちを思い出しちゃうね」
六花はプクッと頬を膨らませて頷く。
「でも、それは勿体無いぞ。可愛いのは事実なんだから、今は可愛い六花自身を楽しもうよ」
「爪には罪は無い、的な?」
「爪にも、髪にもね」
瑞樹は六花の手をそっと握り、もう片方の手で再び頭を優しく撫でる。
六花は恥ずかしそうに肩をすくめて身を縮め、上目遣いで隣の瑞樹を見つめる。
――そして最後に、疑似恋愛。
一花のコンカフェと同様、こういう場のお客さんは非日常を求めて来る。ホストクラブのような性質を持っているなら、お客さんはチヤホヤされる疑似恋愛をしに来ることもあるのだ。
その欲を、満たす。
「めっちゃ可愛いよ、六花」
「……っ……ありがと……」
六花が完全にデレて、コトンと瑞樹の肩に頭を落とす。
目の前のイケメン三人衆が、畏敬の念を込めた目で無言で拍手を送ってきた。
瑞樹はすかさず、正面に立つ遊に目で強烈な合図を送る。
早く終わらせてくれ!! と。
遊はハッとして慌てて二人に近付き、「はーい、終了!」とパンパンと手を叩いて叫んだ。
我に返った六花が、ビクッと肩を震わせ、真っ赤に茹で上がった頬を両手で覆って、「わっ、私、何やって……!」とフラフラと教室の隅の作業場へと逃げるように戻って行った。
「はぁ……。これで、イメージは掴めたか?」
瑞樹はドッと疲労が襲ってきて、項垂れて呟く。
七瀬と八重樫も近付き、感嘆の声をあげる。
「すごいや古河。お前、実はプロのホストか何かか?」
「マジで勉強になった。褒める、同調する、最後は甘やかす。完璧な流れだったな」
「それならよかったよ。じゃあ、もういいか?」
遊が瑞樹の肩にポンと手を置き、「ありがとう、古河。助かったよ」と爽やかな笑顔を見せる。
「……俺は全ての気力と体力を使い果たした……じゃあな……」
瑞樹はフラフラと覚束ない足取りで歩き出し、教室の隅で小さくなってうずくまっている六花に声をかける。
「ごめんな……ちょっと、実演とはいえやり過ぎた」
ピクッと体を過剰に反応させて六花は振り向くが、瑞樹の全てを悟ったような死人のように変わり果てた顔色を見て、途端にスッと冷静さを取り戻した。
「あぁ、うん……。私もちょっと、雰囲気にあてられて調子乗ってごめんね」
瑞樹は軽く頭を下げて、そのまま逃げるように三組の教室を出たのだった。




