第15話 境界(2)
瑞樹は、一組の教室を出て、ふぅと小さく息を吐いた。
(一花に、二ノ宮、三鷹、四葉、五十嵐、か……)
一から五までの数字が見事に揃った、どこかの人気ラブコメ漫画で五等分されそうな名前の組み合わせだったなと、心の中で少しだけ面白おかしく笑う。
ふと瑞樹が視線を上げると、隣の二組の教室からちょうど出てきた朱音とバッタリと鉢合わせた。
「あ、瑞樹くん。どしたの?」
「いや、ちょっと一花に頼まれ事をしてて……」
事の顛末を簡単に話すと、朱音は「あはは、大変だね」と苦笑いで聞いてくれた。
そして朱音は、何か名案を思いついたようにポンと手を打ち、「そうだ」と呟くと。瑞樹が逃げないように、その大きな右手を両手でギュッと握りしめた。
「ちょっと、あたしの相談にものってよ!」
「……まさかとは思うが、朱音のクラスでやる『事故物件』のことじゃないだろうな?」
「まさかまさかの、その通り!」
朱音は楽しそうに瑞樹の手を引き、そのまま強引に二組の教室の中へと連れ込んだ。
二組の教室は、すでに机と椅子が廊下や別の場所に運び出されており、がらんとした広い室内で、生徒たちがいくつかのグループごとに分かれて作業をしていた。
「家具や家電の配置はどうする?」「入り口の遮音と、不気味な環境音のBGMはどうしようか」といった真剣な話し合いが聞こえてくる。一方の窓際のスペースでは、ノートパソコンを開き、有名なネット配信者の心霊スポット探訪動画を観て、何やらホラーの演出について真面目に勉強しているグループもいる。
皆が一様に、文化祭の出し物である『事故物件』をリアルに再現するため、多大な労力と熱意を注いで尽力している様子だった。
瑞樹という完全に部外者の他クラスの男子が入ってきたにも関わらず、誰も何も気に留めないほど、それぞれが自分の作業に深く没頭していた。
(いや、めちゃくちゃ気まずいだろ、これ)
瑞樹は先ほどの一組と同様、完全なアウェー空間に居た堪れなさを感じるが、連れてきた張本人の朱音はなんのその。ニコニコと瑞樹の手を引いて、教室の一番後ろにポツンと置かれていたパイプ椅子に瑞樹を座らせた。
そして朱音自身は、瑞樹の足元の脇にちょこんと膝を抱えて、上目遣いの可愛いヤンキー座りをする。
クラスのみんなが床に座り込んでせっせと作業する中、自分一人だけがパイプ椅子にふんぞり返って座り、さながら映画監督か現場監督のような偉そうな構図になっている。
瑞樹は額に冷や汗を浮かべつつ、出来るだけ早く用件を済ませてこの場から立ち去りたくて、早口で朱音に訊ねた。
「……で、相談って?」
「瑞樹くん、ホラー映画とか怪談とか、大好きだよね?」
足元から、朱音が上目遣いで見上げてくる。
相変わらず、無条件に人の目を惹きつけるような、端正で綺麗な顔立ちだ。
「……まぁ、大好きだな」
「そんなホラー上級者の瑞樹くんに聞きたいんだけど。どうしたら、お化け屋敷に入ってきたお客さんを本気で怖がらせる事が出来るかな?」
「……それを必死に考えて実行するのが、二組の仕事だよね!?」
瑞樹は思わず、身を乗り出してツッコんだ。
一番大事で、一番大変で、この企画の一番の目的のはずだ。そんな根幹の部分に他クラスの素人が口を出すのは、さすがの瑞樹でも大いに憚られる。
「そ、そうなんだけど……」
朱音もそれは重々わかっているようで、申し訳なさそうに苦笑いで誤魔化そうとする。
でもまあ、彼女が本気で困っているのは確かっぽい。
本当に、仕方のないやつだ。
「……設定は、事故物件を再現するんだよな?」
瑞樹が折れて話に乗ってくれたことで、朱音はパァッと顔を輝かせて嬉しそうに頷いた。
「ってことは、お客さんに『ここはなぜ事故物件なのか』という前日譚のストーリーを説明して、その上で暗い部屋を内見してもらう、みたいな設定か?」
「うん。よくわかったね!」
「……ちょっと、待っててくれ」
「え?」
瑞樹はそう言うとパイプ椅子から立ち上がり、教室で作業している同級生たちの各グループを小走りで回り、一人一人に耳打ちで何やら細かな指示を出していく。
全員に指示を出して戻ってくると、何事もなかったかのようにパイプ椅子に座り直し、変わらず朱音と話し始めた。
「俺の考える本質の怖さは、『日常に紛れた狂気』。それと、『思い込みへの裏切り』だ」
「えっと……どういうこと?」
「百聞は一見に如かずだ」
瑞樹は不敵にニヤリと笑うと、突然、教室の入り口を指差して「なんだあれ!?」と大きく叫んだ。
その瞬間。
話し声や作業音で満たされていた教室が、一気にシンッと静まり返った。
朱音は焦って、「え、なに?」と同級生たちの方を確認するように顔を向ける。
それと同時だった。
ザッ――。
教室内で作業をしていた数十人のすべての生徒が、一斉に、無言で朱音の方を見つめたのだ。
誰一人として言葉を発さず、一切の感情を消した無表情で、ただ大きく目を見開いて、一点を見つめるように。
「――きゃっ!」
異様な空気に、朱音は思わず飛び退いて、瑞樹の腕にギュッとしがみつく。
そして、怯える朱音の視線は、静止した教室内で、唯一動いているものに自然と導かれた。
黒板側のドアから、髪の長い女子生徒が、フラフラと無言でゆっくりと廊下へ出て行ったのだ。
それを見送った直後。
瑞樹は朱音の方に首を回し、そして朱音の背後の何もない空間に視線を向けて、「あっ……あっ……」と震える声を漏らして指を差した。
朱音は完全に顔面を蒼白にさせ、泣きそうな顔で「な、なに……やだ……」と震えながら、ゆっくりと背後を振り返る。
「――きゃあああっ!!」
そこには。
さっき教室から廊下へ出て行ったはずの髪の長い女子生徒が、ニタニタと不気味な笑みを浮かべて、背後から朱音を見下ろしていた。
「はい、みんなありがとう」
瑞樹はパンパンと手を叩いて立ち上がり、協力してくれた二組の生徒たちに頭を下げた。
同級生たちは「おおー」と瑞樹の意図もわからないまま拍手を返し、再び元の賑やかな作業へと戻って行った。
ポロポロと涙を流し、本気で腰を抜かして怖がっていた朱音は。それが瑞樹の仕掛けたドッキリだと気づくと、ゆっくりと瑞樹から離れて、地面にぺたりと座り込んだ。
「……怖すぎなんだけど……ほんとに心臓止まるかと思った……」
「これが、俺の考える恐怖の基本構造だ」
瑞樹はまたしても得意げに鼻を鳴らす。
「みんなでワイワイと教室で作業をしている、という日常の中に。無表情でただただ全員から見つめられるという狂気を混ぜた。……無表情でなんもしてこないってのがポイントだ。相手の意図が読めなかったり、感情が読み取れないと、人間の脳は防衛本能で勝手に最悪の想像を膨らませるんだよ。だから、ただ見つめるだけで十分な恐怖に繋がる」
ゴクリと、朱音の喉が鳴った。
「そして、思い込みへの裏切り。……朱音はあの異常な状況下で、無意識に唯一動いていた一人の女の子を目で追っただろ?」
「うん。ロングの子が、教室から出てった」
「そう。教室から出て行った。朱音は確かにそう思い込んだ。……いや、正しくはこの部屋から髪の長い女の子がいなくなったと思い込まされたんだ。だから、その女の子がいるはずのない自分の背後の死角から突然現れたら、脳が処理できなくて怖いんだ」
朱音が瑞樹の腕にしがみついて視線を逸らしている間に、よく似た背格好の別の子に、朱音の死角に忍び寄るよう頼んでおいたのだ。
いわゆるミスディレクションを利用した、簡単な手品のトリックだ。
「どうだ? これを二組の事故物件再現の間取りや演出に使ったら、相当怖いと思うぞ」
どう使うかは、あとは実行委員のみんなで考えてくれ。
瑞樹はそう付け足して、立ち上がろうとした。
すると。
どこからともなく、パラパラと拍手が巻き起こった。
いつの間にか、瑞樹の熱弁を、二組の生徒たちが手を止めて真剣に聞き入っていたのだ。
「……それだ!」
「すげぇ、そのミスディレクションの演出でいこう!」
「ありがとう、古河! めっちゃ参考になった!」
次々と歓声が上がり、気付けばパイプ椅子に座る瑞樹を囲うようにクラスのみんなが集まり。キラキラとした目で、部外者である瑞樹に割れんばかりの拍手と感謝の言葉をぶつけてくる。
「アハハハハ……」
瑞樹は完全に退路を断たれ、苦笑いで頭を掻きながら、朱音に助けを求めるように視線を向けるが、腰を抜かしていたはずの朱音もいつのまにか立ち上がり、みんなと一緒になってパチパチと手を叩いている。
「ありがとう、瑞樹くん!」
口々に述べられる大勢からの謎の謝意と祝福を受け取って、瑞樹は有名なアニメの最終回のようなシュールな光景に、誰にも聞こえないほど小さな声で一人呟いた。
「……『おめでとう』? いや、逆だな」




