第15話 境界
『――みーくん、折り入って相談があるんだけど』
昼休みに一花から神妙な面持ちでそう言われ、放課後、瑞樹は指定された教室へと足を運んだ。
一年一組。一花の教室だ。
宮の森東高校の学校祭を約一週間後に控え、一組の教室も例外なく、放課後の学生たちが慌ただしく準備を進めている。机は端に寄せられ、あちこちに段ボールや絵の具、工具が散乱しており、絵に描いたような学校祭前の熱気とペンキの匂いが充満していた。
この高校の学校祭は少し変わっていて、クラス単位で出し物や模擬店などを強制的にやることはなく、やりたい企画がある人が同志で集まって、それぞれ自由に実行するスタイルだ。
だからクラス同士の順位や、どこが優れているかの格付けもなく、単純に『楽しむこと』を重視した自由な学校祭となっている。
一花はそんな中、友人の半ば詐欺のような手口でコンセプトカフェの店員として働くことになってしまい、当日は時間ごとに指定されたコンセプトで接客することになっていた。
「来たぞ。一花」
一組の教室の端っこ、少しスペースの空いた窓際で、一花と数人の女子生徒が深刻な面持ちで車座になって話し合いをしていた。
瑞樹が近寄ると、一花はパッと顔を輝かせて笑顔で手招きし、自分の隣のパイプ椅子に瑞樹を強引に座らせた。
一花の他に、四人の女子生徒がいる。
しかし彼女たちは皆一様に、瑞樹の顔を見て『この人で本当に大丈夫なの?』とでも言いたげに、不審そうな、品定めするような視線を向けてくる。
(……なんだか、居づらい)
瑞樹は居心地の悪さに肩をすくめながら、隣の一花に問いかけた。
「それで、相談ってなんだ?」
「えっとね」
一花がコホンとわざとらしく咳払いし、真剣な顔で本題に入った。
「教えて欲しいの。……『妹』とは、なに?」
「――はいい!?」
あまりに哲学的な、そして突拍子もない問いに瑞樹が素っ頓狂な声を上げると、女子生徒の面々は気まずそうに苦笑いした。
言葉足らずの一花に代わって、気の強そうな一人の女子生徒がため息まじりに説明してくれた。
簡単に言えば、コンカフェをやるに当たって時間ごとになりきるコンセプトを決めた訳だが、その中でも『妹』というコンセプトが、女子高生である彼女たちにはイマイチ正解がわからないらしい。だから、その手のジャンルに造詣が深いであろう『オタクの古河くん』に、プロとしてご教授願いたい。
そういうことだった。
(なるほどねぇ……)
瑞樹はまた面倒なことに巻き込まれたと内心でため息を吐いたが、切実に助けを求めてくる一花の必死な熱意に負けて、少しだけ裏方として協力することにした。
「コンカフェって、その実態は俺もよくわからないけど。要は、店員はその設定されたキャラクターを忠実に再現して、お客さんはその世界観を楽しむ。……『非日常の提供』が肝なんだよな?」
瑞樹の確認の問いに、女子生徒たち全員がコクコクと頷いた。
「なら、まずは現状の確認だ。……『妹』、つまりこの中で、実際にリアルな兄がいる人は?」
すると、先ほど説明してくれた気の強そうな女子生徒がスッと手を挙げた。
名前は『二ノ宮』というらしい。
「じゃあ、二ノ宮さん。一回、俺をお客さんだと思って接客してみてくれないか? 二ノ宮さんは俺の妹ね。実際の家でのお兄さんに対する身の振りのまま、お願い」
「……わかったわよ」
瑞樹の席の周りが少し空き、二ノ宮が接客モードに入る。
二ノ宮は腕を組んで瑞樹の机の前に立つと、冷ややかな目で瑞樹を上から見下ろした。
「……なに? 呼んだ?」
ガンを飛ばしてくる二ノ宮。威圧感がすごい。
「あー、えっと、アイスコーヒー欲しいんだが」
「え、メンド。なんで私が、あんたの用意しなきゃいけないわけ? 手が空いてるんだから、自分でやってよ」
「はい、カット」
瑞樹はそこで手を叩き、全員を見渡した。
「いいか、みんな。これが『リアルな妹』というやつだ。血の繋がった兄に対して、『お兄ちゃんチュキチュキ!』なんて甘い展開は現実には存在しない。そんなのは、男の儚い夢物語だ。だけどな、だからこそ、このコンカフェという場では、その『夢物語』を現実にして提供する必要がある」
瑞樹は、腕を組んだままの二ノ宮を指差す。
「二ノ宮さん。今の冷たい対応は、そのままで変えなくていい。その代わり、お客さんである俺のことを、『密かに好きな相手』だと思って接してみてくれ。……表に出さず、心の中で思うだけでいい」
「わ、わかったわよ……」
二ノ宮は渋々了承し、姿勢を正した。
「すいません、注文いいですか?」
再開だ。
「は? やなんだけど。自分で作れば?」
相変わらずのツンケンした態度。しかし、瑞樹はここでスッと立ち上がり、二ノ宮の目を真っ直ぐに見つめた。
「自分で作ってもいいけど……俺は、二ノ宮の入れたアイスコーヒーが飲みたいんだ」
「は、はぁ……?」
不意の甘い言葉に、頬を少し赤くして、たじろぐ二ノ宮。
「せっかく、二ノ宮に会いに来たんだ。頼むよ」
瑞樹はさらに一歩距離を詰め、腰を屈めて二ノ宮の耳元で囁く。
「……お前のことが、誰より好きなんだ。だから、な?」
周りで見ている女子たちが、息を呑んで静まり返った
「――くっ……! すっ……」
カァアアアっと首の裏まで顔を赤くして、二ノ宮は両手で顔を覆い、蚊の鳴くような小さな声で答えた。
「わ、わかった……っ。作ってくるから……大人しく、待ってて……」
「「「かわいー!!」」」
見ていた女性陣から、黄色い歓声が上がる。
瑞樹は得意げに胸を張り、ふふんと自慢げに鼻を鳴らす。
これぞツンデレ。二次元だけでなく、リアルでも十分に通用する悪魔の手法だ。
「いいか。リアルのクソ生意気な妹でも……いや、普段が生意気であればあるほど、ふとした瞬間にデレた時の破壊力は凄まじい。これがツンデレの基本構造だ。そしてお客さんは、妹という非日常の生き物に対して、得てしてこのギャップの要素を強く求めてくる」
瑞樹はバンっと机を叩き、教室の中心で声高らかに宣言した。
「――妹は、ツンデレ一択っ!!」
その熱すぎるオタクの宣言に、一花が呆れた顔でツッコむ。
「みーくんの個人的な主観が強すぎるよ!」
みんながあははと笑い声を上げ、最初警戒されていた空気が嘘のように和やかになった。
「とまあ、こんな感じで二ノ宮さんはやるといい。いつものリアルな妹として冷たくお客さんに接しつつ、最後に少しだけ、照れやデレたところを見せるんだ。それだけで客はイチコロだ」
二ノ宮は、まだ少し赤い顔でジト目で瑞樹を見つめる。
「なんとなく、感覚はわかったけど……古河くんって、無自覚なタラシ?」
「えっ!?」
ジトーっと瑞樹を見つめ続け、二ノ宮ははぁとため息を漏らした。
瑞樹がタジタジになっていると、一花が瑞樹の腕をツンツンと突き、「それで」と話を続けた。
「他の子は、どうしたらいい?」
「可能なら、あと一人か二人は二ノ宮さんみたいなツンデレ属性を持った方がいい。ただ、このツンの要素は生まれ持った才能や性格が影響するから、後付けの演技でどうこうなるかは未知数だな。みんなで練習してみて、出来そうならやれ。……無理そうなら、全員『お兄ちゃんチュキチュキ』の甘々ルートでいけ」
その瑞樹の的確な指示に、女子たち全員が深く頷いた。
しかし、二ノ宮の隣にいた大人しそうな『三鷹』という女子生徒が、おずおずと手を挙げる。
「それで……その、チュキチュキ? 甘々ルートはどうすれば正解なんですか?」
瑞樹はニヤリと笑い、自信満々に答えた。
「そんなの簡単だ。上目遣いで『お兄ちゃん』って猫撫で声で呼んで、そのお兄ちゃんの存在を全て肯定してやればいい。……それだけで、男の客は全員オチる」
「なるほど」と頷いた三鷹の隣の、『四葉』と『五十嵐』という二人の女子が、面白がって瑞樹の両隣にサッと迫り、左右の耳元で同時に甘く囁いた。
「「お兄ちゃん♡」」
「――っ!!」
電流のような鳥肌が全身を巡り、瑞樹は思わずビクンと肩を震わせた。
脳髄に直接吐息を掛けられたような、言いしれぬゾクゾク感。破壊力が規格外すぎる。
「お前ら……それ、絶対に客にはするなよ? 勘違いして厄介なことになるからな」
瑞樹が真顔で忠告すると、四葉と五十嵐は楽しそうに笑って、「わかったわかった」と頷いた。
そんな和気藹々とした様子を、ずっと頬を風船のように膨らませて見ていた一花が、たまらず瑞樹の腕にギュッとしがみついてきた。
「ねえ……私は?」
自分だけアドバイスがないのが悔しいのか、そして他の女子に瑞樹がチヤホヤされているのが少し寂しいのか。一花は潤んだ瞳で上目遣いになり、小さく呟く。
瑞樹は優しく微笑み、すねている一花の頭にポンと手を置いた。
「一花は、何も演じなくていい。いつもの一花で大丈夫だ。……接客する相手を、俺だと思ってやってみたらどうだ?」
「……みーくん?」
「そ。ただ、ベタベタくっつくのは店員としてはアウトだぞ? 適度な距離を保って、純粋に相手を楽しませる。……一花のその真っ直ぐな気持ちだけで、お客さんは一花を本当の妹のように守りたいって気持ちになるからさ」
「……ん。わかった」
一花は頭を撫でられて、猫のように気持ち良さそうに目を細め、嬉しそうに瑞樹の腕に顔を擦り付けた。
そんな完全に二人の世界に入っている幼馴染の様子を、女子たち四人は呆れたような、微笑ましいような苦笑いで見ていた。
「……ねえ、これがコンカフェの正解?」
と二ノ宮が呟き。
「いや、これは兄妹というより、ただのバカップル……」
と三鷹が肩をすくめ。
「でも古河くん、一番嬉しそう」
と四葉がニヤニヤと顔を赤らめ。
「いや、店員が客にガチ恋するのはダメでしょ」
と五十嵐が、冷静なツッコミを入れてその場を締めたのだった。




