閑話休題『天音遊の憂鬱2』
付き合ったら、何をすれば良いのかわからない。
古河に聞いても「俺にもわからん」と言われ、だけど「自分を偽るな、ありのままの自分をぶつけろ」とだけアドバイスされた。
だから僕は、今日は自分の心のままに、余計な打算なしで行動することにしたのだ。
中村紗綾香。
僕に告白してきた大谷高校の二年生で、僕が所属する宮の森東高校サッカー部のライバル校である、大谷高校サッカー部のマネージャー。
客観的に見れば、なんとも嫌な立ち位置の女の人と付き合ってしまったものだ。
情報漏洩を疑われたり、面倒臭いことにならなければ良いと思っていたけど。
その最悪の予感は、早くも今日、的中してしまった。
古河に連れられて大谷高校の学校祭に来て、『もうすぐシフトが終わる』と中村先輩から連絡があったから、僕は柄にもなく人混みの中を走って向かった。
いや、正確には、シフトが終わるという連絡のすぐ後に、『やっぱり、今日は帰って』とだけ、不自然なメッセージが入ったから走ったのだ。
何故かは、僕にもわからない。
理屈ではなく、気付いたら走っていた。
これが古河の言っていた『心のままの行動』ってやつだろう。
とにかく、彼女が普通の状態ではなさそうな、何かトラブルに巻き込まれたような不穏な雰囲気を、文面から僕は感じ取っていた。
それにしても、一体どこにいるのか。
具体的な待ち合わせの場所を決めていなかったから、どこに向かえばいいのかわからず、僕はとりあえず校舎二階の二年生のクラスが並ぶエリアに来た。
しかし、中村先輩が何組なのかわからない。
困った。
付き合ったばかりだから、相手の基礎情報すらわからないことが多過ぎる。
いや、言い訳か。
これは僕が、中村先輩という人間に興味を示さなかったから悪いのだ。単純に、聞けばよかっただけの話だ。
僕は、廊下の端から順にクラスの展示を見ていくことにした。
全部で十組近くある。
シフトと言っていたから、おそらくクラスの出し物で何かやっていて、それのシフトのことに違いない。
メイド喫茶、お化け屋敷、縁日と、次々にクラスを見て回る。
走りながらふと気付いたけど、誰も僕に声を掛けてこない。いつも一人で歩いていると、すぐにナンパのように引きとめられるけど、本気で走っていると誰も声を掛けてこないのだ。これからは、面倒な時は常に走って移動しようか。
そんな悠長なことを考えながら各クラスの入り口を回ったが、中村先輩の姿はどこにもいなかった。
「……しまった。せめてどのクラスなのか、名前を出して聞いてみれば良かった」
クラスが分かれば、クラスメイトを捕まえて訊ねることも出来たかもしれない。
深呼吸で乱れた呼吸を整え、もう一度初めからクラスを回ることにした。
結果的に、中村先輩は『二年九組』だった。
一組から順に回って、二周したのだ。
いや、何故僕は二周目の時、わざわざまた一組側に戻って回ってしまったんだ。
一から九に来たなら、次は九から一に逆走すればすぐ終わってたじゃないか。
馬鹿か。焦りすぎだ。
そして、その苦労も意味が無かった。
二年九組のクラスメイト曰く、中村先輩は外の模擬店の担当らしく、今日のシフトはずっとそっちだったのだ。
こんなことなら、校舎内を汗だくで走り回るより、外を走ってた方が早く見つけられたかもしれない。
「どこだ……ん?」
ふと、二階の廊下の窓から外を見下ろしたら、開けた中庭が広がっているのが見えた。
綺麗に整備された木々にベンチ。生徒たちの、普段の憩いの場だろう。
しかし僕の目には、その憩いとは程遠い、異様な光景が飛び込んできた。
三人の男子と二人の女子が半円を描いて、一人の女子を壁際に追い込んで囲っている。
「……先輩」
囲んでいる五人の顔は、全員見覚えがあった。
大谷高校サッカー部。先月のインターハイ予選で僕たちにボロ負けして、既に引退した三年生五人だ。レギュラーだった選手三人に、マネージャー二人。
そして、真ん中で逃げ場をなくして取り囲まれてるのは、中村先輩だった。
そこは校舎の裏手で、他には誰もいない。
静かな中庭には、その六人だけだ。
そしてあれは、どう見ても健全な先輩後輩の話し合いには見えなかった。
だって、中村先輩は地面にへたり込んでいたんだから。
僕は無言で廊下の窓を開け、下を見下ろした。
好都合なことに、下はコンクリートではなく、ただの芝生しかない。
「死ななきゃいいか」
ブロック塀でも飛び越えるように、僕は躊躇なく二階の窓から飛び降りた。
ドンっ!
鈍い着地の衝撃音と共に、僕は先輩たちの目の前にショートカットして現れた。
膝のクッションで衝撃を殺し、芝生の上を前転して勢いを逃がす。
足首に微かな痺れを感じたが、無表情のまま僕は立ち上がった。
まさか、空から人間が降ってくるなんて思ってもいなかっただろう先輩たちは、「うわっ!?」と目を見開いて驚き、そしてその落ちてきた人間が僕だとわかって、冷や汗を浮かべて後退りする。
「……天音、くん!?」
中村先輩はハッとして振り返り、突然目の前に現れた僕に、みんなと同様に驚いていた。
「探しましたよ。……こんな裏で、何してるんですか」
へたり込んでいる中村先輩の傍には、模擬店で購入したであろう唐揚げや焼きそばが、パックからこぼれて裸の状態で無惨に落ちてる。
そして肝心の中村先輩は、どういう訳か頭からびしゃびしゃに濡れており、純白だったはずのクラスTシャツは赤い色素を吸って、まるで血のように不気味に滲んでいた。
僕は、他人の感情の機微とか、世間の常識とか、わからないことが多い。
他人に興味を持たず、狭い世界で生きてきたせいで、圧倒的に人間関係の経験が足りないから。
だけど、この結果を見れば、仮定と想定を踏まえて状況を逆再生して、原因を突き止めることくらいならできる。
中村先輩は、この五人から虐められたのだ。
本当に、面倒臭いことになってしまった。
やっぱりライバル校のマネージャーと付き合ったのは、間違いだった。
こうなることは、少し考えれば想定出来ていたのに。
「行きましょう、中村先輩」
僕は他の先輩たちを無視して、中村先輩の腕を引いて立たせ、その場から居なくなろうと思った。
無駄な言い争いは面倒だし、サッカー部員として学校間で大きな問題は起こしたくなかったから。
幸いにも、二階から飛び降りるという僕の奇行で先輩たちの思考は停止しているし、今ならこのまま無言で立ち去れる。
そう思った。
でも。
「天音くん……ごめん、ね……」
中村先輩が、力なく笑った。
頭から甘い匂いのするジュースを被り、悔し涙を流しながら、無理に笑ったのだ。
この学校祭という、楽しいだけのはずのイベントで、見るも無惨な姿にさせられて。
――心のままに。
気が付けば、僕は中村先輩を庇うように、他の先輩たちとの間に立っていた。
「えっと……天音くん、君、今二階から……」
元マネージャーの三年生の女子が、引きつった苦笑いで僕を指差す。
「うるさい」
『怒り方』ってのが、僕はよくわからない。
でも、以前古河に教えてもらったことがある。どうやら僕の表情は普段からあまり変化が見られないみたいで、能面のように貼り付けた、いわゆる無表情というやつらしい。
だから、その無表情のまま、一切の感情を出さずに冷酷な言葉を浴びせれば、相手は勝手に恐怖する、と。
「……キモいな、お前ら」
「……は、はぁ!?」
僕の言葉に、引退した三年生の男が逆上して食って掛かってきた。
「高校生にもなって、集団でやることが、これ? 高校生というか、お前らもうすぐ成人じゃん。ヤバ。一応聞くけど、中村先輩がなんかしたの?」
「なんかって、お前……ふざけんなよ!」
三年男子の一人が、僕と中村先輩を交互に指差す。
「こいつが、敵のお前と付き合って、うちの戦術とか弱点の情報を流したんだろ! だから俺たちは、最後のインターハイで負けたんだ! 全部こいつの裏切りのせいなんだよ!」
「そ、そうよ! マネージャーの分際で恋愛なんて……しかもライバル校のエースストライカーの天音くんが相手とか、スパイよ、スパイ!」
元マネージャーの女子も、顔を真っ赤にして便乗する。
「……いやいや、僕たちが付き合ったの、九月に入ってからだけど。インターハイ予選は八月だろ。時系列おかしいじゃん」
「その時から、すでに裏でコソコソ関係はあったってことだろ!」
「そうよ! 情報を渡したから、そのお礼で付き合ってもらったのよね!?」
ご都合主義にも程がある。
自分たちの敗北を他人のせいにするために、ここまで論理を飛躍させられる馬鹿が存在するなんて。僕が生きてた世界が如何に狭かったのか、思い知らされる。
「救えないな」
僕は、自分勝手な理屈をわめく三年生男子を、順番に指差した。
「お前、ディフェンスがクソ。半身を意識し過ぎて、逆をつかれた時の反応が致命的に遅れてる。フェイントにも引っかかりすぎ。せめてそれを補えるほど足が早ければいいけど、クソ遅い。僕の流したジョギングより遅い。お前のミスで、僕はあの日二点取れた。ご馳走様」
指を差された男子が、図星を突かれて悔しそうに顔を歪める。
「次、お前。オフェンスがクソ。ゴールしか見てないのか集中力がないのか、最終ラインが全く読めてなくて、何度もオフサイド位置にいる。仲間がせっかくパス出そうとしてるのに、クソみたいな位置にいつもいるから大事な時に攻めきれてない。点を決めるチャンスを、お前が全部台無しにしてる。お前のおかげで僕は安心して攻めに集中できたよ、ありがとう戦犯くん」
次に指を差された男子は、ワナワナと動揺して言葉を失う。
そして最後に、一番偉そうにしている元キャプテンの男を指差す。
「お前が一番クソ。メンタル弱すぎ。一点取られただけで動揺しすぎ。司令塔なら、必死に指揮取ってチームを鼓舞すれよ。なに一人で勝手に諦めてんの? 馬鹿だろ。調子良い時だけペラペラ喋りやがって。お前がいるから試合に勝てないの、わかる? 目立ちたいだけのキャプテンなんて、ガチの試合には要らないの。ただのお荷物だったよ、お前。……でもありがとう。お前がいてくれたおかげで、うちはなんの戦術も組まなくてよかったし、ミニゲーム感覚で勝たせてもらったから」
インターハイ予選の初戦。
宮の森東高校vs大谷高校の試合結果は、12対0で宮の森が圧勝した。
僕はストライカーとしてフル出場し、そのうちの八点を一人で決めた。
僕は、事実を突きつけられて俯いて何も言えなくなった三年男子たちに向かって、ハッキリと告げる。
「……お前たち程度の実力で、一体僕にどんな有益な情報を与えてくれるって言うの?」
完全にたじろいで、悔しそうに表情を固める三人。
反論の余地もない正論の暴力に、男たちのプライドは完全にへし折られた。
僕は次に、元マネージャーの女子二人に視線を向ける。
「ひっ」と、二人は僕の無機質な視線に小さく悲鳴を上げる。
「お前たちも無能。何しにマネージャーしてんの。恋愛ごっこ? 練習試合も本番も、お前たちはドリンク作りとかマネージャーの雑務は後輩の中村先輩たちに全部任せて、他校の男子ずっと見てキャーキャー言ってるだけ。邪魔だよ、マジで。もっとマシなマネージャーだったら選手の士気も上がって、もう少し上にいけたかもな? 谷高が弱いの、お前らの責任でもあるからな? マネージャーでも部員である以上、チームの勝ち負けに無関係じゃねーよ」
恐怖で涙を流す女子たちと、脂汗を滲ませる男子たちを、氷のような目で見下ろして一瞥する。
そして。
「全部、お前ら自身の弱さのせいだろ」
僕は、一人の女子に近寄る。
元マネージャーのその子の手には、いちご味の炭酸が入っていたであろう、赤い液体がこべりついた空のプラカップが握ってある。
隣の女子に視線を向けると、まだタプタプに入ったメロン味の緑色の炭酸が入ったカップを震える手で持っていた。
僕はそのカップを無言で奪い、蓋を取ると。
五人に順番に、頭からそのベタベタの液体を無表情で掛けていった。
「あっ……」
「ひっ……!」
唖然と驚き、そして自分のしでかしたことへの報いと羞恥に、五人は震え出す。
そんな彼らの惨めな様子を無視して、僕は初めて顔に笑顔を貼り付けた。
「……謝ってよ」
古河が言ってた。
僕の整った顔立ちでの笑顔は、感情が読めなくて本気で怖いと。
なら、存分に使わせてもらう。
「謝れよ」
そして古河は、こうも言ってた。
『ここぞというタイミングで、怒号。ここまでの平穏とのギャップで、必ず相手はビビるぞ』と。
試してみよう。
「アヤマレヨッ!!」
時が一瞬、止まった。
遠くから聞こえる賑やかなBGMが、うるさいほど耳に入ってくる。
そしてそのアンバランスな静寂は、五人からの口々の情けない謝罪で打ち消された。
「ご、ごめんなさい……!」
「俺たちが、悪かった……っ!」
元キャプテンの男が最後に頭を下げて、それを合図に五人が逃げるようにその場を後にしようとするが、僕はそれを止めた。
最後に、これだけは言っておきたいことがあった。
「……ちょっと待ってよ。最後にいい?」
五人が、ビクッと肩を揺らしてゆっくり振り返る。
「――もう二度と、中村先輩に近づかないでね?」
僕は最高に清々しい笑顔で、だけど一ミリも笑ってない瞳で、そう言った。
「わ、わかってるよ……もう関わらない……!」
今度こそ五人は、トボトボと敗残兵のようにどこかに消えて行った。
その背中を見届けて、僕は振り返る。
そこには依然として座り込みながら、だけど僕のやりすぎな報復に苦笑いを浮かべている中村先輩がいる。
僕は手を差し出し、そして中村先輩がその手を取って立ち上がる。
「……はは。天音くん。本当に、容赦ないほど口悪いね」
中村先輩は、少しだけ安堵したように笑った。
「最初に言ってありましたよね、僕は口悪いって。引きました? 嫌になったなら、今日で別れ――」
「ありがと」
ギュッ。
中村先輩が、濡れたままの体で僕の腰に手を回して、力強く抱きついてきた。
「えっと……こういう時、どうすればいいですか?」
我ながら恥ずかしいが、こんなシチュエーションは初めてだ。
どうしたら正解なのか、もちろんわからない。
中村先輩はビックリしたように僕を見上げると、「ぶっ!」と吹き出し、そして優しく抱き締め直して、甘えるような声で教えてくれた。
「ギューって抱き締め返して、頭をなでなでして、最後に心の声を聞かせてくれたらいいよ?」
「わかりました」
一花以外の女性と、ここまで密着するのは初めてだ。
少し変な感じがする。
僕は教えられた通りに中村先輩の背中に手を回して優しく抱き締め、頭を撫でる。
いちごのシロップのせいだろう、ひどく甘い匂いがして、髪も服も少しベタベタしてる。
でも、不思議と嫌ではなかった。いくらでも、こうして安心させてあげたかった。
「えっと」
最後に、心の声か。
今の僕の心は……。
「……のど、乾きました」
喋り過ぎた。
他人に対して、今日一日で一週間分くらいはしゃべった。
喉がカラカラだ。唇も乾いて切れそうだ。
中村先輩は下から僕を見上げて、ははっと楽しそうに笑うと。
背伸びをして、僕の顔に近付いた。
近付いて、そして。
チュッ、と。
一瞬だけ、柔らかい唇が触れた。
……少し塩っぱくて、そして甘いいちごの味がした。




