閑話休題『城ヶ崎朱音の捏造』
あたしは、自分の自己肯定感が著しく低い人間だと思う。
どんな時でも、常に心のどこかでマイナスなことを考えていて、「どうせあたしなんて」という卑屈な考えが、思考の根底に当たり前のようにこびりついている。
よく、学校の先生や大人は『他人と比べることはナンセンスだ』なんて綺麗事を言うけれど、あたしにとってはその『他人との比較』こそが、自分という人間の価値を推し量るための、唯一の大切な定規だったりする。
あたしの価値をゼロに合わせて、そこから他人との距離を測るんだ。
そして、あたしがその人よりどれだけ劣っているか、どれだけ空っぽであるかを正確に知って、深く落ち込む。
本当に馬鹿みたいで、生き辛い性格だと思うけれど、あたしはこの自傷行為のような方法でしか自分の立ち位置を見つけられないのだから、もう仕方ない。
こんなひねくれた自分になってしまったのは、他でもない、お母さんが原因だ。
お母さんは、幼い頃からいつもあたしの存在そのものを否定してきた。
『あなたは、本当にダメな人間ね』
『どうして、こんな簡単なこともわからないの? 遊んでばっかりいるから、脳みそが馬鹿になるのよ』
『そんな出来損ないのくせに……生きてて幸せなの?』
暗く冷たい家の中で、毎日、毎日。
そんな逃げ場のない呪いのような言葉を、実の母親からシャワーのように浴びせられ続けたら、もともとのあたしがどんなに明るくて前向きな性格だったとしても、心が粉々に壊れてしまうのは必然だったと思う。
『なんで生きてるのかな』って、本気で思ってた。
息をするのも申し訳なくて、いっそ死んで消えてしまった方が、お母さんもあたしも幸せになれるんだと、本気で信じて疑わなかった。
だけど。
そんな真っ暗闇のドン底で出会った瑞樹くんが、あたしに生きる楽しさを教えてくれたのだ。
「あたしなんて……」と卑下してうつむくと、瑞樹くんは当たり前のように「朱音だからいいんだろ」と返してくれる。
「あたしじゃない方がいいよ……」と遠慮して手を引っ込めると、瑞樹くんは「俺は朱音がいい」と、強引にその手を引いて光の当たる場所へ連れ出してくれる。
「やりたい」と言えば「やろう」と笑って賛同してくれ、「嫌だ」と言えば「そうだな、やめよう」と一緒に立ち止まってくれる。
瑞樹くんはそうやって、あたしが家族からは一度も感じたことのない肯定と、安心という気持ちを。そして明日を迎えるのが楽しみになる『希望』を教えてくれた。
全部、全部、根気強く教えてくれた。
大好き。
初めて会って、その温かい手に触れた時から、ずっと大好きでした。
瑞樹くんと出会い、ずっと一緒に過ごしてきたおかげで、あたしの底辺だった自己肯定感は少しだけ高くなったと思う。
本当に、少しだけ、だけど。
今でもふとした瞬間に他人から否定されると怖いし、ネガティブな思い込みの沼にハマることもあるし、感情をコントロールできずにヒステリックに泣いちゃう時だってある。
それでも、普通の高校生として社会で生きていく分には、少しの足枷で済むくらいには、まともな人間に近づけていると思う。
そうやってまともになり始めた大きなキッカケは、新しい自分を捏造してみたことだった。
生まれつきの黒髪を思い切って金髪に染め上げて、形から強制的に明るくしてみた。それから、声のトーンや喋り方、身の振り方も全部変えてみて、誰からも好かれるようなポジティブで元気なキャラクターを一生懸命演じてみたのだ。
そしたら、あら不思議。
そうして偽物のキャラクターを演じている間は、鎧を着ているみたいに、本当にポジティブで強い自分でいられるんだ。
やりたいこと、思ってることをまっすぐに言葉にして伝えられるし、クラスのグループの中心にいても、昔みたいに震えたりしない。
リハビリのように、そんな捏造された生き方を続けていたら、気付いたら少しずつだけど、自己肯定感というものが育ってきた気がした。
この金髪も、明るいキャラクターも。
全部、瑞樹くんが提案してくれたものだ。
瑞樹くんが、空っぽだったあたしの中に、新しい城ヶ崎朱音を作ってくれた。
「……瑞樹くん、今頃、楽しんでるかな……」
秋の少し肌寒い昼下がり。
あたしは誰もいないシェアハウスの広いリビングで、ソファにだらしなく横になりながら、テレビの昼の情報番組をぼんやりと流し見していた。
画面の中では、綺麗な女性のアナウンサーと爽やかな男性の司会者が並んで、最新のトレンド情報を楽しげに読み上げてコメントをしている。
画面の中で作り笑いを浮かべるタレントたちの明るい声だけが、だだっ広いリビングに空しく響いている。
あたしは、嘘をついたのだ。
瑞樹くんに「結衣の学祭に行かないか」と誘われて、咄嗟に『友達と別の学祭に行く』と嘘をついて断ってしまった。
本当は、一緒に行きたかった。
けど、結衣さんと瑞樹くんが一緒にいるところを、どうしても見たくなかった。
瑞樹くんの隣で、結衣さんが当たり前のように仲良さそうに寄り添って笑う姿を、平気な顔をして直視できる自信が、今のあたしにはなかったのだ。
もし見てしまったら、その場で惨めに泣いちゃうって、思った。
それなら、最初から行かない方がいいって思って、見栄を張って嘘をついた。
瑞樹くんが結衣さんを一人の女の子として好きなのは、瑞樹くんが堂々と宣言しているから、嫌というほどわかってる。
だからあの日、あたしは強がって言ったのだ。
『あたしに気を遣ったりしなくていいよ。そのままの瑞樹くんで接して。あたしは諦めないから』と。
物分かりのいい、重くない女を演じて。
でも……そう、全部ただの強がりだ。
本当は、あたしのことだけを見て欲しい。
結衣さんなんて知らない女の人と、もう一切関わらないで欲しい。
でも、そんな醜いワガママを言えるはずもないし、言ったところであたしに心変わりしてくれるわけでもない。何より、大好きな瑞樹くんの幸せを邪魔して、二人の仲を割くような、そんな嫌われる真似は絶対にしたくない。
瑞樹くんに面倒くさいと嫌われて突き放されるくらいなら、多少嫉妬で胸が張り裂けそうな思いをしてでも、今の大切な幼馴染という近い距離感を保っていたいと思った。
瑞樹くんが、大好き。
絶対に叶うことのない恋だけど、心の中で想い続けることだけは、いいよね。
それくらいの身勝手は、神様も許してくれるよね。
だって、あたしたちは幼馴染なんだもん。
あたしたちが男女として結ばれることは、絶対にないんだもん。
そんな残酷な真実、ずっと前からわかってた。
あたしたちの関係に幼馴染という、近くて遠い呪いのような名前が付いてしまった瞬間から。
あたしの向ける『好き』という言葉から、恋愛としての重さが完全に失われてしまうことを、ずっと前から、痛いほどわかってたんだ。
それでも。
ただの情報番組で横に並ぶ男女を見ただけで、「瑞樹くんとあたしが、あんな風に隣り合って笑い合えたらいいのに」と都合よく想像してしまうくらい。
あなたのことを、どうしようもなく好きになってしまっているのだから。
これはもう、仕方ないんだ。
結衣さんとあたしの距離は、果てしなく遠い。
ゼロの目盛りにいるのがあたしで、ずっとずっと先の、光の当たる場所にいるのが結衣さん。
ううん、違う。
あたしの定規と、結衣さんと瑞樹くんの持っている定規は、そもそも全くの別物なんだ。
住む世界が、最初から違う。
でも。
それでも、あたしは。
瑞樹くんのことが、大好きなんだ。




