第14話 怒哀(4)
さっきまでのフェスのような熱狂が嘘のように。そして、昼間の身動きが取れないほどの盛り上がりも嘘のように、模擬店の立ち並ぶ石畳のメインストリートは、静かで穏やかな落ち着きを取り戻していた。
校舎の陰から、オレンジ色の夕日が顔をのぞかせる十七時。
あと三十分もすれば、一般客や招待客への開放の時間は終わり、外部の人間は出ていかなければならない。その後のフィナーレとなるキャンプファイアーとクラス順位発表は、大谷高校の生徒たちのみで行われるのだ。
売り切れて既に店じまいをして片付けを始めているテントがほとんどの中、辛うじてまだ営業していた屋台で、結衣にクレープを奢ってもらった。
「シュガーバターしかなかったね。……ごめんね、来るのが遅くて」
結衣は、薄い紙に包まれた温かいクレープを瑞樹に手渡し、申し訳なさそうに謝る。
「いや、どれだけ種類があっても、俺はクレープはシュガバタ一択だから。むしろ好都合だ」
瑞樹はそう笑顔で答えて、二人は通路の端に設置してあった休憩用のベンチに腰掛けた。
まだ温かい、表面がパリパリに焼かれた生地のクレープを一口食べて、瑞樹は「うん! クレープはやっぱりこれだ」と満足そうに頷く。
バターの塩気と砂糖の甘さが、疲れた体に染み渡る。
そんな瑞樹の横顔を、結衣は優しい笑みで見つめていた。
「結衣も食べるか? てか、俺の分しか買ってないけど」
「いいのいいの。生地がそれで最後だったみたいで」
遠慮がちにパタパタと手を振る結衣の口元に、瑞樹は「ほら」と無理矢理クレープを押し付けた。
結衣はビックリして目を丸くしたが、瑞樹が引かないのを見て、観念したように小さく一口食べる。
「……ん。美味しい。生クリームとかフルーツがなくても、全然有りだね」
「だろ? 生地自体の味が一番わかるから、むしろこっちが正解まである」
「それは言い過ぎじゃない?」
楽しそうに結衣は笑って、ベンチの背もたれに深く寄りかかった。
「あー、疲れたー。……頼まれたから実行委員やったけど、自分が学祭を楽しむって感じじゃなかったなー。ひたすら裏方で、みんな楽しませる側って感じだったよ」
「朝からずっと仕事だったんだろ? 高校初めての学祭なのに、それは可哀想だな」
「ほんとだよー。でも、『三年生が一番楽しむべき』って考え方らしくて、毎年一、二年生が馬車馬のごとく働くのが通例なんだって」
三年生は高校生活で最後になるかもしれないから、確かにその考えも理解はできる。
にしても、もう少し一年生にはシフトの余裕を与えてあげれば良いのにと、瑞樹は心の中で理不尽な学校の伝統に愚痴をこぼす。
「でも、私はこれで来年の実行委員をやらなくて済む権利を手に入れたから、あと二年間は安泰を約束されました!」
結衣は顔の横でピースサインを作り、ニコッと笑う。
「ならよかったな。じゃあ、今年はうちの高校の学校祭を、お客さんとして楽しんでくれ」
「来週だっけ?」
「そ。後で招待用のURL送っておくよ」
「わ、現代的」
結衣はまたコロコロと笑って、瑞樹の左腕にピトッと体をくっつけてきた。
『汗臭いから近寄らないで』と暗闇で言っていたくせに、結衣は息を吸う様に自然に瑞樹にくっついてくる。
そして、人目も全く気にしない。
(……めっちゃ見てるぞ、通り過ぎる生徒たち)
その無防備な温かさと距離感に瑞樹は小さいため息が出るが、結衣本人が良いならそれで良いかと、受け入れることにした。
「そういえば、さっきアニ研行ってきた」
瑞樹が話を振ると、結衣はビクッと肩を跳ねさせ、勢い良くこちらに顔を向けた。
「見た!? ショートアニメ!」
「見た。すごかった。結衣もあのアニメに関わってたんだな?」
「うん。脚本と構成のプロットだけね、南那ちゃんから頼まれて」
「結衣の頭の中の全部が詰まってた気がする。恋愛モノが大好きなのが画面からめっちゃ伝わってきて、普通に感動したよ」
「よかったー。……瑞樹くんに見られたら恥ずかしいから、ずっと内緒にしてたんだよね」
「いや、そこは言えよ」
苦笑いで結衣を見つめると、結衣は照れた様にサッと視線を逸らした。
「あはは……」と結衣は誤魔化すように笑い、それ以上何も言わない。
どんな理由があって今日まで黙ってたのか知らないが、まあ結果的にあの素晴らしい作品を見れたからよしとしよう。
「……え、ちょっと待って」
結衣は突然、何かを察したようにジト目で瑞樹を見上げる。
「瑞樹くん……もしかしてずっと、アニ研の部室にいたの?」
「いたぞ? 漫画の同人誌に小説、全部読ませてもらったからな。時間がかかった」
「……南那ちゃんと、二人きりで、とか?」
「……ッ」
ギクっと、瑞樹は思わず体を硬直させる。
確かに二人きりだった。でも、決して何かやましいことをしたわけでもない。彼女はほとんど焼きそばを食べて机で寝ていただけだ。それに、瑞樹なりに明確に好意を拒絶する意思も伝えたつもりだ。何も悪いことはしてない。
だけど、結衣の言葉に思わず身体が反応してしまったのは、南那と二人でいたことへの少なからずの罪悪感を抱いていたからなのだろう。
「えっと、その、二人では……あったのだけど……」
あたふたと言い訳を探しているのが、自分でもよくわかる。あからさまに動揺してしまっていた。
そんな怪しい様子の瑞樹を、結衣はジト目で無言で見つめ続けていたが、やがてハッキリとしない態度の瑞樹に、結衣は大きくため息を吐いた。
「はぁ……いいよ、言わなくて。また嫉妬でムラついたら困るし」
「なんでそっちに直結するの!?」
「うるさい」
プクッと頬を膨らませて、結衣はムスッとする。
「私が一人で仕事を頑張ってる間に、瑞樹くんは涼しい部室で、南那ちゃんとラブラブしてたんだ」
「いや、断じてしてないからな!?」
「瑞樹くんは鈍感だから気付いてないだけで、二人で寄り添って、肩とかくっつけて漫画とか見てたんでしょ」
「してない!」
瑞樹は体ごと結衣に向き直り、その茶色い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
少し大きくなった瑞樹の声に、結衣は驚いて目を丸くする。
「その誤解だけは絶対に解きたい。俺は本当に、一人で黙々と漫画も小説も読んでたんだ。南那と一緒の空間にいたのは間違いないけど、南那は俺の正面に座って屋台の飯食って、あとは勝手に寝てただけだ。くっついてもないし、ほとんど会話もしてない」
瑞樹は、結衣が好きだ。
だから、結衣に他の女の子と良い仲になっていると勘違いされたままなのは、絶対に嫌だった。
「それに……帰り際に『また二人で会いたい』って言われたけど、ちゃんと『困る』って断った」
我ながら見苦しい言い訳というか、ペラペラとみっともないと思った。
でも、南那に気持ちが揺れているとか、そういう風に結衣に思われたくなくて、瑞樹はただありのままの事実を必死に伝えることしか出来なかった。
結衣はポカンとしていたが、やがて「ふふっ」と表情を崩し、そして「必死すぎ」と笑った。
必死にもなる。誤解されたままなのは嫌だし、結衣が変な想像をして傷つくのも嫌だったのだ。
結衣は瑞樹の肩に、コトンと自分の頭を乗せた。
「……面倒くさい女発動してごめんね。私って、自分が思ってたよりかなり嫉妬深いのかも」
「……」
「自分でも、こんな女だと思わなかった」
と、結衣はどこか自嘲気味に笑った。
その言葉の奥にある深い意味が瑞樹には正確にはわからなかったけど、少なからず自分に独占欲のような好意を向けてくれているのはわかった。
それが男として純粋に嬉しくて、だけど同時に、結衣を不安から安心させてやりたいとも思った。
「……こーゆー風にくっつくのは、結衣だけだから。……休みの日に遊ぶのも、夜お泊まりするのも、結衣だけだ」
これが瑞樹なりの、今の関係性で出せる精一杯の誠意だった。
それが伝わったのか、結衣は静かに微笑んで頷くと、ニヤッと悪戯っぽく笑って瑞樹を見上げる。
「朱音さんたちとは、同じ家で同棲してるけど?」
「そこを今カウントするな!」
「一花さんとも、ベタベタするけど?」
「だ、だからっ……」
「へへ」
痛いところを突かれて瑞樹が言葉に詰まると、結衣はギュッと瑞樹の腕に自分の細い腕を絡めてきた。
「ありがと。……安心した」
そう小さく呟く結衣は、心底安心したように瑞樹の肩に深く寄り添う。
「な、なら良かった……」
瑞樹は照れ隠しに気まずそうに視線を逸らすと、瑞樹の視線の先、少し離れた模擬店の裏手に、谷高の女子生徒が数人溜まって、こちらをジロジロと見ているのに気付いた。
また、通路の反対側の別のところにも男子の集団が出来ていて、こちらを見ながら何やらヒソヒソと呟いている。
その言葉の断片を、瑞樹の耳は確かに拾ってしまった。
聞かなければ、こんなにも幸せな気持ちのままで、この学校祭を終えられたのに。
聞こえてしまった。
気遣いも、容赦も、一片の思いやりもない、毒のような言葉。
人を呪う、最低の陰口。
「あーあ。水橋さん、やっぱビッチだね」
「あんな風にボディタッチして、他校の男をオトしてるんだ」
「顔良いからって、やりたい放題じゃんね。ウケる」
「今日だけで、何人とヤるつもりなんだろ。実行委員の仕事もサボって男漁りかよ」
ドクン、と。
瑞樹の心臓が、冷たく、重く跳ねた。
隣で微笑む結衣の顔に、泥を塗りたくられたような強烈な不快感を覚える。
気づけば、瑞樹はベンチから無言で立ち上がっていた。




