第14話 怒哀(2)
遊を見送った後、瑞樹は入り口で招待券と引き換えに受け取った分厚いパンフレットをパラパラと捲りながら、結衣の仕事が終わるまでの時間をどう潰すか考えていた。
正直、さっき結衣と少しだけ言葉を交わせたから、これでもう家に帰っても十分に満足ではあるのだが。また後で会おうと約束してしまった以上、途中で帰るに帰れなくなってしまった。
「お」
瑞樹はパンフレットの隅の目立たない枠に、『アニメ研究会』の文字を発見する。
説明文を読むと、どうやらアニ研の部室で、AIを利用して作った部員自作のショートアニメを見ることが出来るらしい。その他にも、自作の小説や漫画、イラスト集なども展示してあり、自由に読めるみたいだ。
「これは……見たいな」
単なる時間潰しではなく、明確な目的地として行きたいと瑞樹のオタク心が強く疼いた。
近くで客引きをしていた谷高の生徒にアニ研の部室の場所を訊ね、早速向かうことにした。
***
部室棟はメインの校舎から少し離れた位置にあり、メインストリートに比べれば比較的人も少なかった。それでも、色とりどりの華やかでワクワクするような飾りつけが施され、窓からは楽しげなBGMが鳴り響いていた。
文化系の部室が並ぶ部室棟の三階。
少し薄暗い廊下には、各部屋のドアの前にそれぞれ手作りの大きな看板が立て掛けられており、そこが何部で、中で何が見れるのかが一目でわかる作りになっていた。
「どうですかー? 展示やってまーす」
「見ていきませんかー?」
そんな生徒たちからの熱心な勧誘を華麗にスルーしながら、瑞樹は目的のアニ研の部室の前に到着した。
ドアの周りには、版権問題をクリアしているのか怪しい、誰もが知る有名アニメのキャラクターをカラーコピーしてラミネートしたものがベタベタと貼り付けられており、入り口の横には美少女のオリキャラっぽい等身大パネルまでデンと置いてある。
まさに、同類を吸い寄せる『オタクホイホイ』のような入り口だった。
瑞樹は少しだけ興奮する心臓の高鳴りを抑え、ドアノブに手を掛けて開けた。
「おお……!」
瑞樹の眼前に広がったのは、まさに深夜アニメの日常モノで見たことのあるような『よくあるアニ研の部室』の光景だった。
入ってすぐ目の前に大きな作業用の長机があり、両サイドには天井まで届きそうなスチール棚が置かれ、そこにはライトノベルや漫画、アニメの円盤が隙間なくぎっしりと並べられている。入り口の向かいには大きな窓があって、秋の涼しい風に揺られて薄汚れたカーテンがフワフワと靡いている。
果たしてこれは学祭用の見栄えを気にした再現セットなのか、それとも現実のアニ研の部室とは得てしてこういう雑然とした作りになるものなのか。
どちらにせよ、瑞樹のオタクとしての心を躍らせるには十分すぎる空間だった。
「て……誰もいない?」
長机の上には大きな液晶モニターとハイスペックそうなノートパソコンが置いてあり、いつでもアニメが再生出来るように準備されている。
サイドの棚の一角には、自作の小説や漫画、ラフ画のコピー本などがコーナー化されて平積みで陳列されている。
どうぞ手に取って、自由に楽しんでくださいと言わんばかりの光景だが、肝心のアニ研の生徒が誰一人として見当たらない。
勝手に見てもいいものなのか、というか、そもそも他校の人間が勝手に入って良かったのかすら不安になってくる。
こんなところで不審者や変質者に間違われて通報されてはたまらない。
瑞樹が踵を返してそそくさと部室を出ようとした、その時。
ガチャッと背後のドアが開き、一人の女子生徒が両手に大量の屋台飯を抱えて入ってきた。
その顔には見覚えがあった。
サラサラと長い髪の毛に、少しつり上がったキリッとした気の強そうな瞳。
初めて会った時とは違って、上半身は結衣と同じ柄のクラスTシャツを着こなしているが、その顔立ちは間違いなく見覚えがある。
「あー、ごめっ……て、古河くんだ!」
榊原南那。
先日、駅前のショッピングモールで結衣と待ち合わせをしていた時、連絡先を聞いてきた谷高の女子生徒だ。
谷高の学校祭に来ているのだから、どこかで出会う可能性もゼロではないと考えてはいたが、まさかこんなマニアックな場所で鉢合わせるとは思ってもみなかった。
「来てたんだー!? 連絡してくれたら良かったのに!」
南那は両手に抱えていた大量の食べ物を長机の上にドサリと置くと、瑞樹に近寄り、下から至近距離で顔を覗き込んでくる。
「なんでここにいるの? え、もしかして古河くん……コッチ系の人?」
コッチ系とはつまり、オタク趣味があるのか、ということだろう。
「うん。アニメも漫画も小説も、全部大好きなオタクだ」
瑞樹が隠さずにそう答えると、南那は嬉しそうに目をキラキラと輝かせ、瑞樹の右手を取ってブンブンと上下に振った。
「えっ、すごい! 私もそうなの! 水橋さんと仲良いから、もしかしてとはちょっと思ったけど……じゃあ、わざわざアニ研の展示を見に来てくれたんだ?」
「そういうことだ」
まさか、一軍女子のような洗練された風貌で、生粋のオタクだったとは。
「座って座って!」と南那はパイプ椅子を引いて瑞樹を案内し、自身は机を挟んで瑞樹の正面に座った。
そして、買ってきた大量の屋台飯の中から焼きそばのパックを取り出すと、割り箸を割って勢い良く食べ始める。
その食べっぷりは実に豪快で、見ていて気持ち良いくらいに美味しそうに口いっぱいに頬張る。
ものの数十秒で、フードパックに山盛りだった焼きそばは空になった。
「……フードファイターなのか? もっとゆっくり味わって食べろよ。てか、まさかとは思うがこれ全部、南那ひとりで食べるのか?」
南那はもぐもぐと咀嚼しながら次のたこ焼きのパックに手を伸ばし、まだまだ机の上に山積みにされている屋台飯たちに目を配らせて、当然のように大きく頷いた。
「私、どれだけ食べても太らない体質なの」
「そんな理不尽なことあるのか!?」
確かに南那の手足はモデルのように細い。とても目の前のブラックホールのような食生活を普段からしているようには見えない、スレンダーな体つきだ。
「あるんだよ。私も不思議なんだけどね。……古河くんも食べる?」
そう言って南那は、まだ湯気の立つ唐揚げ棒を一本差し出してきた。
「いいのか?」
「どーぞ」
瑞樹は唐揚げ棒を受け取り、一口齧る。
揚げたてなのだろう、カリッとした衣の中から熱い肉汁が溢れ出す。
「うまっ。これが学祭の屋台クオリティか?」
南那は不敵に笑うと、得意気に胸を張る。
「それ、私のクラスの模擬店のやつなんだー。味付けのレシピは、私が一から考えたの」
「へー。すごいな」
一花が作る甘辛いものとも、朱音が作る優しい和風とも違う。数種類のスパイスが複雑に良く効いた、風味豊かな唐揚げだ。肉厚だけど柔らかく、下準備に相当な手間と時間が掛かっていることが一口で伺える。
そんなことを感心しながら話して食べていて、ふと瑞樹はここに来た本来の理由を思い出す。
彼女と楽しく食事をしにきたわけではないのだ。
「これ、見たいんだけど」
瑞樹が机の上のモニターを指差すと、南那がハッと思い出したように顔を上げた。
「そ、そうだよね。じゃあ再生するよー」
少し焦ったようにノートパソコンのトラックパッドを操作して、南那は自作のショートアニメのファイルを再生した。
アニメの長さは五分くらいの、短い恋愛ものだった。
学校祭の最終日、後夜祭の喧騒の中で、ずっと片思いしていた想い人に告白をする女の子と、それを受ける男の子という、設定自体はよくあるありきたりなものだ。
しかし、会話の台詞や二人のモノローグがひどく繊細で、等身大の高校生らしさや葛藤がリアルに描かれており、月並みな感想にはなるが、瑞樹は純粋に感動した。
更に、カメラワークや構図、見せ方、感情を揺さぶるBGMのチョイス、カット割りのテンポなど、間違いなく『恋愛ものが死ぬほど好きなオタク』が作りましたとわかるような、熱量のこもった出来栄えだった。
AIを駆使して作画の手間を省いたとはいえ、とても高校生の素人が一人で作ったとは思えないクオリティだ。
BGMが静かにフェードアウトし、薄暗い部室にパソコンの冷却ファンの音だけが数秒間響く。
アニメが終わり、エンドロールが流れた瞬間。瑞樹は思わず小さく拍手していた。
「すごいな。めっちゃ良かった」
瑞樹のその素直な反応を見て、南那は心底嬉しそうに目を細め、照れくさそうに頬を掻いた。
「ありがとう。同業者のオタクの古河くんに高評価貰えたら、夜更かしして作った甲斐もあったね」
「恋愛ものが本気で好きってのが、画面からバシバシ伝わってくる作品だった。五分という短い尺だからこそ出来る凝縮の仕方というか……感情が詰まってた! 思いがめっちゃ溢れてて、胸が熱くなったよ」
南那は、いつの間にか平らげた大量の屋台飯たちのゴミをビニール袋に手際よく片付けながら、また得意気にえっへんと胸を張った。
「実はね、ストーリーの原案と構成のプロットは、水橋さんにお願いしたんだ。そして、それをコンテに起こしてアニメーションという形にしたのが、私! へっへーん」
――やはり、結衣だった。
結衣はアニ研に属していないから、南那から外部委託という形で協力したのだろう。ラブコメが大好きな結衣ならではの、心の機微を突く構成だった。どうりでセリフ回しがリアルなわけだと、瑞樹は深く納得した。
そして南那は、そんな結衣の容赦ない無茶振りやリテイクに応えて、この美しいアニメーションに落とし込んだという。
素直に、二人の才能と情熱が凄いと思う。
「まさか、動画編集も全部一人で作ったとか言わないよな?」
南那はチッチッチと人差し指を振り、ニヤリと笑う。
「編集も音響も全部一人だよ。他の部員は、小説とか漫画とかイラストを描いてて。今年の展示は、各々の好きなジャンルを、各々が形にしたんだよねー」
「なんという根性……おみそれしました」
瑞樹は感服して深々と頭を下げると、南那の後ろの棚を指差す。
「他の部員の作品も、見てもいいか?」
「もちろん!」
南那は立ち上がり、製本された作品を棚から次々と取り出すと、瑞樹の前の机に綺麗に並べていく。
五冊の漫画の同人誌に、二冊の小説。
パッケージの表紙も綺麗なフルカラーで印刷されており、裏表紙にはダミーのバーコードやあらすじなどが記載され、商業誌顔負けの凝った作りになっている。
さすがオタククオリティ。細部にまで妥協せずにこだわるその情熱は、瑞樹にも痛いほどよくわかる。
瑞樹は一番上にあった漫画を手に取り、ページをめぐり読み始めた。
南那は、そんな瑞樹の真剣な横顔を、机の正面から頬杖をつき、ひどく愛おしそうにジッと見つめていた。
その真っ直ぐで熱を帯びた視線に気付かないふりをしながら、瑞樹は作品の放つ創作の世界へと深く入り込んでいった。




