第14話 怒哀
大谷高校の学校祭は、一言で表すなら『華やかで、煌びやかで、青春をそのまま具現化したようなお祭り』だった。
正門から校舎へと続く長い石畳の通路の両脇には、生徒たちが趣向を凝らした沢山の模擬店がズラリと並んでいる。それだけではなく、生徒たちの店に紛れて、地域の飲食店や雑貨店などのプロの屋台も数多く協賛として入っていた。
屋外のグラウンドに特設された巨大な簡易ステージでは、軽音部のバンドの迫力ある演奏と歌声が響き渡っており、さながら夏の野外フェスの会場のような熱気と盛り上がりを見せていた。
『……私の学校は、ごく普通の学校祭だよ?』
数日前に結衣からそう聞かされていたが。
果たしてこれが普通なのだろうかと、瑞樹は周囲の圧倒的な熱量に苦笑いを浮かべるしかなかった。
今日は、一般開放される学校祭の二日目だ。
生徒の親や親戚、近隣の住人や、招待された他校の友達なども自由に入場出来るため、校内はどこを見ても人がごった返している。
本当にすごい熱気だ。
(朱音と一花も一緒に連れて来ていたら、絶対に人混みに呑まれて迷子になっていただろうな……)
朱音は中学の友達と別の高校の学校祭へ、一花はクラスメイトと一緒に谷高の可愛い制服を見に、既に来ているはずだ。
瑞樹は、隣で同じように人混みに圧倒されて苦笑いを浮かべている遊に訊ねた。
「……で? 遊は彼女さんとの待ち合わせは?」
「えっと、もう少しでクラスのシフトが終わるみたい……っていうか古河。一旦どこかに避難しよう」
見ると、遊の顔色が明らかに悪くなってきている。
昔から極度の人間嫌いだった遊にとって、これだけ不特定多数の人間が密集する空間は、相当なストレスで苦手なようだ。
「オッケー。冷たい飲み物買って行くから、あそこで座っててくれ」
瑞樹が出店の脇にある、パラソル付きの椅子とテーブルが設置された休憩スペースを指差すと、遊は青い顔で頷き、トボトボと歩き出した。
瑞樹は手近な店で二人分の冷たいドリンクを買い、すぐに遊の待つテーブルの元へ駆け付ける。
すると案の定というか、谷高の制服を着た女子二人組が、座っている遊に声を掛けていた。
一緒に街を歩いているとよく見る光景だ。
「え、めっちゃかっこいいですね!」
「どこの高校なんですか? 谷高じゃないですよね!」
瞳をキラキラとさせて、強引に話し掛ける女子生徒たち。
遊は心底面倒臭そうな顔をしながら、スマホの画面に視線を落とし、完璧なガン無視を決め込んでる。
大抵のナンパはこれで心が折れて諦めるのだが、学校祭という非日常の魔法で気が大きくなってるのか、二人は負けじと声を掛け続ける。
「よかったら、一緒に回りませんか?」
「てゆーか、連絡先教えてくださいよー!」
遊の端正な顔が、イライラでピクピクとし始めている。
これは危ないかも。せっかくの彼女たちの楽しい学校祭が、遊の容赦のない冷酷な罵倒で台無しになる。
彼女たちを案じているのだ。
「はいはーい! そこまで! ナンパは終わりー! 彼、彼女と待ち合わせしてるからダメだよー!」
瑞樹はわざとらしく大きな声を挙げて、女子生徒二人と遊の間に割って入り込む。
「なんだー」
「彼女持ちかー。ちぇー」
二人は露骨に残念そうに唇を尖らせながら、その場を後にした。
「……ありがとう、古河。爆発寸前だった」
瑞樹は買ってきた冷たいドリンクを渡し、遊の向かいの椅子に座る。
「だろうと思って、慌てて入ったんだ。……イケメンは大変だな」
今までの遊だったら、相手が傷つくことも厭わず、第一声から冷たくあしらうような氷の対応をしていた。でも、最近は他人と関わってみると決めたからか、少しだけ我慢が出来るようになったのだ。相手の好意も一応は尊重して、黙って聞くようにはしてるらしい。ガン無視はするが。
遊はドリンクを一口飲み、疲れたようにため息を吐く。
「はぁ……。古河だって十分に顔良いのに、なんで僕だけ……。古河が飲み物買いに行ってる数分の間に、あれで三組目だよ」
「え、あの子らの前に、すでに二組いたの!?」
遊はウンザリしたように頷いて、呆れたように綺麗な眉を上げた。
「……谷高の女子は、全員欲求不満なのか……? 凄まじい肉食だな」
瑞樹もドリンクのストローに口をつける。冷たい抹茶ラテ。苦くて甘くて美味しい。
「……ところで、古河。ちょっと相談なんだけど」
「どうした?」
遊は前屈みにテーブルに両肘をつけると、ひどく深刻そうな顔で瑞樹の目を真っ直ぐに見つめた。
「……女の子と付き合ったら、何をすればいいんだろう?」
「お、おお……」
確かに、天音遊という男は生まれてこの方、女性とお付き合いした経験が一度もない。
そもそも、シェアハウスの朱音や一花を除いて、まともに親しくしている女性がいないのだ。
だからこの初心すぎる質問は、単なる奥手とか照れとかよりもっと前段の、遊にとっては未知の生態の調査くらい重大なものなのだ。
「……それを、よりにもよって俺に聞くのか……」
ただ大問題なのが、その重大な問いに答えられるほどの恋愛経験が、瑞樹にも欠片もないことだ。
瑞樹だって朱音と一花を除いて、結衣としかまともな交流がない。もちろん、今まで誰かと付き合うという経験もない。
明確な答えなど、持ち合わせているはずがなかった。
「水橋さんとは、いつもどうしてるの?」
「え、結衣?」
結衣は、まだただの特別な友達だ。しかも、お互いに重度のオタクの。
今の瑞樹たちが、一般的なカップルの参考になるとは到底思えないが。
「――私がどうかした?」
「ええ!?」
ひょいっと、瑞樹の背後から突然顔を出す、クラスTシャツにスカート姿の結衣。
ふわりと肩まで伸びたショートヘアを靡かせ、嗅ぎ慣れた結衣特有の甘い香りが、瑞樹の鼻腔を通り抜ける。
結衣はいつもの太陽のようなニコニコ顔で瑞樹に近寄り、左腕に付けられた緑色の『実行委員』の腕章を得意げに見せつけてくる。
「来てくれてありがとう、瑞樹くん。見て見て。なんか私、仕事できる子みたいでしょ」
「いいか結衣。本当に仕事ができる子は、いちいち自分で『できる』なんてアピールしない。能ある鷹はなんとやらだぞ」
結衣は「ふふん」と笑い、隠していた右手を瑞樹に見せる。その手にはフカフカの猫の手の着ぐるみを嵌めており、爪が全く無いデフォルメされた可愛いデザインだった。
「上手の猫が爪を隠す!?」
「すごっ! あはは! よく瞬時に反応出来たね!」
結衣が楽しそうに笑う。
どちらも『能ある鷹は爪を隠す』と同じ意味を持つことわざだ。
「いやいや、仕込みを疑うレベルの完璧な流れだったぞ」
「完全に偶然だけどね? 私、今この『猫の手』を本部から別のクラスに届けるという重大な任務中なんだ」
結衣は右手から猫の手の着ぐるみをスポッと外し、瑞樹の片膝の上に「ヨイショ」と自然な動作で座ると、そのフカフカの猫の手を瑞樹の顔に押し付けた。
「にゃあ」
可愛く笑う結衣に、瑞樹は至って冷静にツッコミを返す。
「おい、重大な任務はどうした実行委員。爪は隠したままじゃ意味ないぞ」
「瑞樹くん。必殺技は、ここぞという時にしか使わないから必殺技なんだよ。MP消費激しいし」
「重大な任務なんだよな!? 使うならここだろ!」
あはははは! と結衣は楽しそうに声を漏らし、さっと瑞樹の膝から立ち上がると、向かいに座る遊の方を見た。
「わっ、イケメン。……もしかして、天音くん、かな?」
遊は「ども」と軽く会釈する。
「私は水橋結衣って言います。瑞樹くんの、オタク友達です」
結衣は丁寧に頭を下げて挨拶した。
それに釣られて、遊も「古河の幼馴染です。お邪魔してます」と頭を下げた。
「……ほんとに美形だね。雑誌のモデルさんみたい」
結衣が純粋な感嘆の声を漏らすと、遊は首を横に振って謙遜するように苦笑いする。
瑞樹はジト目で、結衣を見上げる。
「なぁ結衣。お前、俺に初めて会った時は、そこまで褒めなかったよな? いや、わかってるよ、俺は美形じゃないし、ましてやイケメンじゃない。でも、ここまで反応に露骨な差があると……」
(――あれ、俺、今なんでこんなこと言ったんだ? 俺は今、遊に対して嫉妬をしている?)
「……なんでもない」
「んんー?」
瑞樹の微妙な感情の揺れに気付いた結衣が、嬉しそうに頬を赤らめてニヤニヤとする。
また、小説のネタになりそうな悪いことを考えてるに違いない。
でも、ここは瑞樹の高校ではなく、結衣の学校祭で、衆人の環視がある。
瑞樹は余裕の笑みを作り、ふふんと鼻を鳴らした。
「……じゃあ、そろそろ仕事に戻ろうかな。私、真面目モードになります!」
瑞樹をからかうのを諦めたのか、結衣はビシッと可愛く敬礼する。
「瑞樹くん、また後でね。夕方くらいなら、もしかしたら少し時間取れるかもしれないから」
「わかった。実行委員、頑張れよ」
「はーい!」
と元気よく反応し、そして結衣はそのまま去るかと思いきや。
瑞樹の耳元にスッと顔を寄せ、吐息がかかる距離で、誰にも聞こえないように小さく呟いた。
周囲のバンド演奏や喧騒が、一瞬だけ遠のいたように感じる。そして、耳元に触れそうなほど近づいた彼女の唇から、微かな熱が伝わってきた。
「……私は、瑞樹くんの方が好きだよ」
「なっ……!」
不意打ち。
結衣は真っ赤になった瑞樹の顔を見て悪戯っぽく笑うと、ぶんぶんと手を振って、人混みの中へと走って行った。
「……元気な人だね、水橋さん」
一部始終を見ていた遊が、優しく笑い、テーブルに肩肘をついて瑞樹を見つめる。
「いつも、二人きりの時もあんな感じなの?」
「……まあ、そうだな」
「ふーん?」
遊まで、結衣と同じ意味深な『ふーん』を発動した。
「なんだよ?」
「あ、いや? あれだけ親密な空気感漂わせて、それでも付き合ってないっていうんだから、恋愛ってやつは、ますます僕はわからなくなったというか」
瑞樹ははぁとため息を吐き、真面目な顔で遊に向き直る。
「遊。俺は彼女と付き合ったら何をすれば良いかとか、そんな具体的な正解は正直わからん。……でも、これだけはわかる。絶対に自分を偽るな」
真っ直ぐに瑞樹を見つめる遊。
「偽物の自分を演じて好かれたって、あとで自分が苦しくなるだけで、何も良いことなんてない。……最初からありのままの自分をぶつけて、それでも隣に一緒に居てくれる人を、大事にしてくれ」
「……いいのかな。それでも」
少し不安そうに、遊は力なく笑う。
「いいんだよ。遊は……俺たちは、他の普通のやつらより少し変わってるからな。偽物の完璧な自分を好きになられても、すぐにボロが出るし。……ただし! だからといって、無闇に相手に冷たくすることがいいとは言わないからな?」
「……なにそれ、難しい」
ははは、と遊は素直に笑った。
でも、何か瑞樹の言葉が響いてくれたのか、遊の瞳からは先ほどまでの深い迷いは消えたように見えた。
頑張れよと、瑞樹は心の中で幼馴染にエールを送る。
「あ、彼女から連絡来た。……じゃあ、僕は行くね。古河も学祭楽しんで」
「ああ。遊も楽しんでこい」
来た時の死にそうな顔よりもずっと爽やかに遊は笑い、彼女が待つであろう場所へと、人混みの中を走っていった。
「……サッカー以外でも、あいつ走るんだな」
瑞樹は、少しだけ誇らしく一人笑い、ぬるくなった抹茶ラテの残りを一気に飲み干した。




