第13話 裸々(3)
その日の夜。
瑞樹は結衣といつもの他愛のないチャットを楽しんだ後、ベッドに仰向けに横になって、スマホでネット小説を読んでいた。
結衣が密かに執筆して投稿しているというサイトだが、まだ彼女の作品を発見してはいない。ただ、見つけたところで『最終話が完結するまで絶対に読まないで』と強く言及されているから、その大切な約束を破ってまで探して読むつもりはなかった。
「ん……」
ふと、部屋の外の廊下で微かに人の気配がして、瑞樹はそちらに視線を送った。程なくして、コンコンと控えめにドアがノックされた。
「……入っていいぞ」
瑞樹がそう返すと、ガチャリとドアが開き、ショートパンツに大きめのTシャツというラフなスタイルの一花が入ってきた。
(本当に来た……)
瑞樹は内心で驚きながらも、リビングで一度『いいぞ』と言った手前、無下に追い返すことも出来ず。既に泣き止んで落ち着きを取り戻している一花を、手招きした。
「……本当に、いい?」
一花は少し不安そうな表情をしながら、恐る恐る瑞樹のベッドの縁に腰を下ろした。
スプリングがギシッと鳴り、一花の絹のようになめらかな肌が瑞樹の腕に触れる。
「いいぞ。……枕は持ってこなかったのか?」
「うん」
一花はコクリと頷くと、ニヘッとだらし無く、だけど誰よりも可愛く笑った。
「みーくんの腕枕で寝る」
「……とことん甘える気だな?」
「今日くらいいーじゃん。お願い」
さっきの不安なんてすっかり無くなっていそうなのに、一花は何故か瑞樹にベッタリと甘えてくる。
「仕方ないな、まったく」
バタッと二人はベッドに倒れ込み、瑞樹が伸ばした右腕に、一花がそっと頭を乗せる。
一花は瑞樹の胸元まで顔を寄せてきて、ぺったりとその小さな体を密着させてきた。
一花は小柄で餅のように全身が柔らかく、半袖から覗く白い肌はいつ触ってもツルツルさらさらとしている。一花が普段使っているボディクリームの匂いなのか、今日は森林の中に居るような、ひどく落ち着く香りが漂っていた。
「みーくん、何してたの?」
「ネットの小説読んでた」
薄暗い天井を見ながら、瑞樹は平坦な声で答えた。
「へー? もしかしてあの人気のサイトの?」
「一花、知ってるのか?」
「うん。私、結構読んでるよ。今もねー、ラブコメ読んでるんだー」
一花はそう言うと、楽しそうに自分のスマホを取り出して、開いていた画面を瑞樹に見せてきた。
画面のタイトルには『オタクにリアルラブコメは通用しない!?』と書かれていた。
中々に惹かれるキャッチーなタイトルだ。あとで自分も読んでみようかと、瑞樹はタイトルを頭の隅にメモする。
「へー、一花もこういうオタク系の小説読むんだ?」
「あ、うん……」
瑞樹の言葉に、一花の声のトーンが少しだけ落ちた。
なんとなく気まずい空気が流れたが、一花はすぐに明るく顔を上げて続けた。
「みーくんが、あの日『オタク趣味がある』って打ち明けてくれたじゃない? それで……私も少しでも、その世界に触れてみようかなっ……て思って」
一花は、照れ隠しのように恥ずかしそうにそう呟いた。
「そっか。……なんだろう、めっちゃ嬉しい」
瑞樹は、胸がギューッと締め付けられるような温かい気持ちになる。
自分のこれまで隠してきた趣味を、幼馴染たちはみんな否定せずに認めてくれた。馬鹿にすることもなく、それでも瑞樹だと受け入れてくれた。
それももちろん嬉しいが、それ以上に、一花の『知ろうとしてくれる』この歩み寄りの気持ちが嬉しかった。
彼女にとっては未知の、瑞樹にとっては当たり前の、そんな世界の共有。
オタクである瑞樹にとって、それは何にも変え難い喜びだった。
一花は瑞樹の素直な反応を受けて、嬉しそうにふにゃりと笑った。
「……今度は間違えないんだ、私」
一花のその大きな瞳は少し潤んでいて、その奥に、かつて同じように趣味を打ち明けてくれた『雫』の姿が写っているのを、瑞樹は確かに感じた。
傍観者だった自分からの脱却。
そう。今度は、絶対に間違えないのだ。
瑞樹はホッとしたように優しい笑みを漏らすと、一花の持つスマホ画面に再び視線を戻した。
『オタクにリアルラブコメは通用しない!?』というタイトルで、作者名は『MIZU』となっている。最終エピソードの掲載日は、ちょうど一週間前だ。
「やっぱり瑞樹くんも気になる? これ、結構面白いよ」
画面を凝視する瑞樹に気付いて、一花はニコニコと画面をスクロールさせる。
「先週だったかな、日間ランキングで一位になってて、それで気になって読んでみたんだ。オタクの男女の恋愛の話なんだけど、ドキドキする展開がいっぱいでね!」
「おいこら、ネタバレするなよ!?」
一花は興奮すると、勢い余って最後まで喋ってしまいそうなのだ。
「大丈夫大丈夫! 『作品のネタバレは死刑モノだ』って教えてもらったから、この小説に!」
「おお。本物のオタクが書いてるかもな、それ。すごい同意できる」
「やっぱり? あのね、なんかやけに台詞とか心理描写がリアルで、作り物のはずなのに現実の話みたいに生々しいの。女の子も男の子も、生身の心で語ってるというか……」
……ん?
「文章がすごくプロみたいに上手いってわけではないんだけど、不思議とグイグイ読み進めちゃうっていうか。なんだろう、身近な友達の恋バナを聞いてる気持ちになるんだよね」
……んー?
「でも、やっぱりこの小説の一番の推しポイントは、毎日のように起こるドキドキの密着イベントかな! ちょっとえっちなところもあるけど、読んでてキャーってなるんだ。最新話の『ゲーセン回』とか凄かったよ! ほんとに読んで欲しい!」
――やっぱりこれ。
「なぁ一花。……その小説、公園回というか、滑り台回というか……そういうのもあるか?」
「え、瑞樹くんもう知ってるの!? そうなの、その回もスリルがあって凄かったよー!」
背筋にゾクッと冷たい汗が伝うのを感じた。
(これ、結衣の小説じゃないか!!!)
瑞樹の脳内で、警報がガンガンと鳴り響いた。
え、なに。
一花が、よりにもよって結衣の小説を読んでいる?
ゲーセンとかついこの間の話だし、滑り台のことも赤裸々に書かれている?
てか、日間ランキング一位?
もしかして結衣、とんでもない執筆の才能があるのでは?
いやいや、待て。
結衣の執筆している小説は、完結しなければ読むことが許されていないはずだ。
でも、すごく読みたい。
というか、結衣との出来事が一体どこまで書かれているのか、急いで確認しなければならない。
身バレしないのか?
大丈夫なのか?
え、待って待って、登場人物のモデルって、もしかして……?
え?
「……みーくん?」
黙り込んだ瑞樹を不思議に思い、一花に呼ばれて、瑞樹はハッと我に返った。
「お、おう」
絶対に悟られてはいけない。
この小説の作者『MIZU』が結衣であること。そして、登場人物のモデルが瑞樹と結衣であろうこと。
「あとで、その小説のURL送っておいてくれないか? 今度、一人でじっくり見るから」
「わかった。更新ペースはちょっと遅いけど、その分濃厚な内容だから、絶対に楽しめると思うよ!」
『リアルで起きたことを内容に反映させる』と、結衣は以前言っていた。更新が遅いのは、イベントが起きるたびに執筆しているそのせいだろう。
「……」
まさかとは思うが。
小説のリアリティあるネタのために、結衣はこれまでの数々のあれだけ大胆なスキンシップやイベントを仕掛けてきたのだろうか。
あり得る。
あの水橋結衣なら、あり得過ぎる。
「他にも面白そうなのがあったら教えてくれ。じゃあ、そろそろ寝るか」
今度会ったら、絶対に問い詰めてやる。
そして、一花がこの小説の読者になっていることを伝えて、厳重に忠告しておかなければ。
『絶対にバレるなよ』と。
瑞樹が溜め息をつきながらリモコンを操作して部屋の明かりを消そうとした、その時。
一花が突然、ガバッと体を起こした。
どうした? という顔で見上げていると、一花はニコッと満足そうに笑ってベッドを降りた。
「ありがとう、みーくん。……すっごい落ち着いたから、今日はもう、自分の部屋で一人で寝れそう」
「そ、そうか。それはよかった」
「ありがとね! おやすみ!」
と言い残して、一花はそそくさと身軽な足取りで部屋を出ていってしまった。
パタン、とドアが閉まる。
「……なんだったんだ……」
暗い部屋に一人残された瑞樹は、結衣の小説による『身バレの危機』というどうしようもないモヤモヤと、一花の嵐のような気まぐれに振り回された疲労感を抱えたまま。
だけど、勝てない睡魔には抗うことなく、静かに眠りへと落ちていった。




