第13話 裸々
九月も下旬に差し掛かり、日没も早くなった。
外はすっかり涼しくなり、シェアハウスのリビングでフル稼働していたエアコンの低いモーター音も、夜には静かになり始めた頃、幼馴染たち四人は、いつものように並んで楽しく夕食の食卓を囲んでいた。
「あーっ! ゆーくん、それ私の最後の唐揚げ!」
「別にいいだろう。食べ盛りの男子なんだから、少しくらい寄越せ」
「ダメだよ! 女子が少食なんて都市伝説なんだからね!?」
「それにしても、今日の井上の唐揚げ、すごく美味しいな」
「……えっ、ほんと? ありがと、ゆーくん」
隣同士に座る遊と一花が、箸を突き合わせてじゃれ合っている。
昔は食事中も無口で言葉数が少なかった遊も、あの和解の日を境に、随分とよく喋り、よく笑うようになった。
瑞樹と朱音は、そんな微笑ましい光景を保護者のように眺めながら、一花がしっかりと下味をつけて揚げてくれた熱々の唐揚げを頬張る。
ニンニクと醤油の香りが口いっぱいに広がる。
うん、確かに今日の唐揚げは美味しい。
「……ねぇ、瑞樹くん」
ツンツンと、隣に座る朱音が瑞樹の腕を人差し指で突き、コクンと小首を傾げて下から覗き込んできた。
「瑞樹くんは……こういう味付けの方が、好き?」
「そーだなあ。まだ昼間は暑くて汗をかくような季節だから、これくらい濃い味付けの方がご飯が進んで好きかな」
「そっか……」
瑞樹が正直に答えると、朱音は少ししょんぼりと肩を落とした。
朱音が普段作ってくれる唐揚げは、優しい和風出汁ベースで、唐揚げ自体の味は薄めなのだ。その代わり、油淋鶏風のネギソースや明太マヨネーズなど、ディップソースを何種も用意してくれて、最後まで飽きずに楽しめるように工夫してくれる。
瑞樹は、少し落ち込む朱音の頭をポンポンと優しく撫でた。
「でも、朱音の唐揚げには、朱音にしか出せない魅力があるじゃないか。……もし毎日食べ続けるなら、間違いなく朱音の唐揚げの方が俺は好きだぞ?」
瑞樹が本心からそう言うと、朱音はパァッと表情を明るくし、嬉しそうに目を細めた。
「ん〜! 好きっ!」
そして朱音は、瑞樹の肩にグリグリと自分の顔を埋めて、ゴシゴシと甘えるように擦り合わせてくる。
飼い主に甘える猫みたいな仕草。
(……我ながら、タラシみたいな対応をしてしまったか)
また期待を持たせてしまったのではないかと、瑞樹の胸に微かな罪悪感がよぎる。
しかし、あの日朱音は『ありのままで接してほしい』とハッキリ言ってきた。瑞樹が結衣のことを好きのままでいい。だけど、だからと言って気を遣ったり、腫れ物のように距離を置いて欲しくないと。
朱音がそれで本当に嬉しいのならいいが。
瑞樹としては、自分にここまで真っ直ぐな好意を向けてくる女の子にあしらうような態度を取るのは、やはり少々居た堪れないから。
「……相変わらず、二人はラブラブだねー?」
遊と戯れ合うのに飽きた一花が、ニヤニヤとからかうようにこちらに箸の先を向けてきた。
「え、そう見える? だって、瑞樹くん!」
ニコニコと、嬉しそうに瑞樹の腕にさらにギュッと抱き着く朱音。
遊も、一花の追撃とばかりに言葉を被せてくる。
「僕もそう思う。……古河は、もう城ヶ崎にしたらいいのに。水橋さんのことはあまり良く知らないけど、長年の付き合いがある城ヶ崎の方が、古河には絶対お似合いだと思う」
「遊くんもそう思う!? だって、瑞樹くんっ!」
また嬉しそうに花のように笑う朱音。
――確かに。
こんなに学校中が振り返るほど可愛くて、自分のことを心から好きだと言ってくれて、小さい頃からの付き合いで気心も完全に知れていて。
そんな相手と結ばれるのは、ある意味で最高に幸せなことかもしれない。誰から見ても、理想的ともいえる関係だろう。
だけど、瑞樹はあの日、結衣と出会ってしまった。
結衣の強烈な光と、深い優しさと、強さに触れて、救われてしまったのだ。
もう、彼女のいない世界に戻ることなんて、瑞樹には出来るはずがなかった。
「はいはい。ラブラブでお似合いかも知れないけど、俺は結衣一筋だから。……ごめんな、朱音」
瑞樹が真っ直ぐにそう言葉を向けても、朱音は悲しむ顔を見せずに、むしろ悔しそうに頬を膨らませていた。
「ちぇー。……でも、あたしは絶対諦めないからね。いつか瑞樹くんに『やっぱり朱音が良い』って言わせるんだから!」
遊は「たくましいな」と苦笑いでそんな朱音を見つめた。
しかし、向かいに座る一花だけは、誰よりも悲しそうに、影を落とした顔でテーブルを見つめて俯いていた。
愛想笑いすら忘れて、テーブルの木目をじっと見つめるその一花の暗い表情を見た瑞樹は、自分の皿から一番大きな唐揚げを箸で摘んで、一花のお茶碗の上にポンと置いた。
「……なんで一花が、そんな暗い顔してんだよ」
突然ご飯の上に増えた唐揚げを一瞬見つめ、一花はハッとして、すぐにいつものおちゃらけた様子に戻った。
「わっ! 唐揚げが増えてる!」
「どうかしたのか? なんか悩みでもあったのか?」
瑞樹が心配そうに訊ねると、一花はブンブンと勢いよく首を振った。
「みっ……みーくんが、朱音ちゃんから真っ直ぐ愛されてて、いいなーって……少し羨ましく思っただけ!」
一花は瑞樹からもらった唐揚げを箸で取ると、立ち上がって身を乗り出し、それをそのまま瑞樹の口に強引に押し込んだ。
「ぐあっ!」
「これはみーくんの! 私の愛情がたっぷり詰まった特製唐揚げなんだから、みーくんがいっぱい食べないとダメだよ!」
「井上。さっきまでの食い意地はどこへ消えたんだ?」
遊が意地悪な煽りをして、一花は「うるさーい!」とポカポカと遊の肩を叩いた。
そして遊は笑いながら「わかったわかった、降参」と言って、自分の皿から唐揚げを一つ一花に返した。
仲睦まじい、平和なやり取り。
それが、いつもの幼馴染たちとの温かい食卓だった。
***
瑞樹は口に放り込まれた唐揚げを咀嚼しながら、別の話題に変えた。
「そういえば、みんなは来月の学校祭でなんか企画するのか?」
「あたしはね、クラスの出し物で『お化け屋敷』をすることになったの!」
朱音が目をキラキラと輝かせながらそう答えた。
見た目に反して、朱音は瑞樹と同じで、ホラー映画や怪談話が大好きなのだ。
「事故物件の部屋を忠実に再現して、よりリアルな恐怖を味わってもらおうかと……ふふっ」
「……趣味わるー。絶対行かない」
一花は心底嫌そうに顔を歪めた。朱音や瑞樹と違って、一花はホラーや脅かされるのが大の苦手なのだ。
「井上のクラスは?」
遊がそう問い掛けて、一花はハァと大きなため息を吐いた。
「私は……コンセプトカフェ……。友達から『カフェの可愛い店員さんとして手伝って!』って言われたからオッケーしたのに、蓋を開けたらゴリゴリのコンカフェだったの!」
「なんだその詐欺みたいな悪徳勧誘手法は」
瑞樹が思わずツッコミを入れると、朱音はケタケタと笑いながら瑞樹の腕を掴んだ。
「一花可愛いからね、どうしても看板娘として雇いたかったんだって。……時間毎にコンセプトをガラッと変えていくんだっけ?」
「うん……。『妹』、『ツンデレ彼女』、『罵倒』……って、いろんなコンセプトをローテーションでやってくみたい……」
「……よく学校から許可出たな、それ」
瑞樹は苦笑いで遊を見つめると、遊もまた「うちの学校は自由すぎるからな」と苦笑いで返してきた。
「恥ずかしいから絶対こないでね……!」と言いながら手で顔を覆って小さくなる一花を横目に、瑞樹は「遊は?」と訊ねる。
「僕は、サッカー部全体で飲食の模擬店をやるよ。どうやら学校祭の出店はすごく稼げるみたいで、その利益を部の活動費とか遠征費にも回してるみたいなんだ」
遊のいつも使っている新しいサッカーシューズや練習着が部から支給されていたのは、もしかしたらこうして学校祭で稼いだ資金で賄っていたからかもしれない。
「ただ……先輩たちがホストクラブまがいな接客をやるとかやらないとか息巻いてて、僕は一年として少し不安なんだけどね……」
サッカー部は得てしてスクールカーストの上位でモテるし、女性のお客さんを多く獲得出来れば、それだけ売り上げに直結するのだろう。
それにしても、うちの高校の貞操観念や風紀はどうなっているのか。
そんな無法地帯で本当にいいのか。
「……で? 瑞樹くんは? クラスで何かやるの?」
朱音から話を振られて、瑞樹は少し気まずそうに首を横に振った。
「俺は、なにも。当日は、ただぶらぶらと雰囲気を楽しもうと思うよ」
「なにそれ、おじいちゃんの休日みたい」
ふふっと朱音は笑って、つられて一花と遊も笑った。
瑞樹はこの半年間ずっと『死ぬつもり』で生きてきたのだ。
だから学校祭の企画の予定を決めるどころか、そもそもクラスでワイワイとやるような友達作りさえ完全に放棄してきた。
誰かと何かを学校祭で一丸となってやるなんて、夢のまた夢の話なのだ。
それを薄々知ってか知らずか、幼馴染たちはそれ以上、瑞樹の孤立について何も深く突っ込んでこなかった。
「……あ、そうだ」
瑞樹は学校祭の話題繋がりで、結衣の学校のことを思い出す。
「来週末の土日で、大谷高校の学校祭があるんだけど、結衣に誘われてさ。みんなの分の招待枠貰ってて……もしよかったら行かないか?」
「結衣さんの学校かー。……あたし、行かなーい」
あからさまに唇を尖らせて、嫌そうな顔をする朱音。
確かに、朱音にとっては結衣は強力な恋敵だ。敵陣にノコノコと乗り込むような真似はしたくないだろう。
少し無神経な誘いだったかと、瑞樹が朱音を申し訳なく見つめると、朱音は「ごめんごめん嘘!」と慌てて両手を振るう。
「結衣さんが嫌だからじゃないんだ。実はその日、別の高校の学校祭も重なってて、そっちに行こうって中学の時の友達に誘われてるの。……だから、ごめんね!」
朱音は両手を合わせて、ペコッと頭を下げた。
「じゃあ、朱音ちゃんの枠、私が貰ってもいい?」
一花が、少し探るように瑞樹の顔を見つめてくる。
別にそれは全く構わなかった。
「私のクラスの仲良い子が、谷高のあの可愛い制服にずっと憧れててさ。でも、学力不足で受験できなかったクチで。だから『せめて学祭には遊びに行きたいなー』って話してたんだ。……一緒に行ってもいいかな?」
「もちろん。俺は全然いいぞ」
瑞樹は、結衣から受け取っていた三枚の招待券のうち二枚を取り出し、一花に渡した。
そしてそのまま、残りの最後の一枚を取り出し、遊に差し出す。
「遊は? 一緒に行くか?」
人混みが嫌いだし、面倒くさいからいい。
絶対にそう返ってくると思ったが、遊は少し真剣な顔で考えて、差し出された招待券をスッと手に取った。
「行こうかな――」
そして、思いもよらぬ衝撃的な返答が、静かな食卓に響き渡った。
「――僕の彼女、いるし」




