第12話 嫉妬(5)
トクッ……トクッ……。
暗いゲーム筐体の中で、心臓の鼓動が不気味なほど大きく響いていた。
それが瑞樹自身のものなのか、それとも太ももの上に跨る結衣のものなのか、もはや区別がつかなかった。
密着はしていない。結衣は瑞樹の両肩に小さな手のひらを乗せて、少しだけ隙間を空けて上から見下ろしている。
それでも、ほんの少し体を動かせば触れてしまう危険な距離感と、密室に充満する互いの熱気で、瑞樹は耳の神経を極限まで外の音に集中させていた。
「……行ったかな?」
画面からゾンビのうめき声が鳴り響く中、結衣が耳元で囁くように尋ねた。
「わからない……てか、そもそもこんな狭い所に隠れる必要あったか?」
「……」
結衣はふいっと、気まずそうに視線を逸らした。
「多分だけど、南那ちゃんは瑞樹くんのこと、気になってると思うんだよね」
突然声をかけられ、結衣との関係を聞き出され、連絡先の交換を求められた。だから、瑞樹も何となくそうではないかと予想は出来ていた。
でも、だからと言って慌てて隠れる必要があったのか。
結衣は、ゆっくりと顔を戻して瑞樹を見つめた。
「学校でね、南那ちゃんから瑞樹くんのことめっちゃ聞かれて。私、『ただの友達だよ』って答えちゃってて……。だからなんか……悪いかなって思っちゃって……」
「悪い?」
「うん。見せびらかすみたいで、ちょっと気が引けたの」
そうか、と瑞樹は納得した。
友達だと言っておきながら、そして連絡先を交換しておきながら、のうのうと放課後デートみたいなことをしているところを見せつけるのは、確かに性格が悪い気がする。
『あなたより私の方が仲が良いんだぞ』と、無言でマウントを取ってるみたいだ。
そんなことしたくもないし、するつもりもない。だったらこうして隠れてやり過ごした方が、お互いのためかもしれない。
「にしても結衣、この体勢はどうにかならないのか!」
囁き声で可能な限り切実に訴える瑞樹だが、そんな限界ギリギリの焦った顔を見た結衣が、暗闇の中でふわりと悪い顔をした。
彼女がこの顔をする時は、大抵ろくでもないことが起こる。
「なーに瑞樹くん。……もしかして、またいやらしい事考えた?」
「考えた! 存分に考えたから、頼むから許してくれ!」
「正直過ぎて面白くないなー」
そう言いながら、結衣は瑞樹の胸にピタリと張り付き、腰を少し浮かせて腹の方まで距離を詰めてきた。
めくり上がった制服のスカートの中の柔らかい感触が、瑞樹の敏感な部分に微かに触れる。
「――ぐっ……!」
結衣の体温と甘い匂いが、鼓動に混じって波のように押し寄せてくる。
一気に汗が噴き出てくる。
冷や汗も混じった、純粋な密室の暑さと緊張による汗だ。
「おい結衣。絶対動くなよ。少しも、微塵も動くな。山の如しだぞ。いいか? ……だけど離れろ。尋常じゃないくらい汗かいてきた」
「えー、どーすればいいの。離れるには、動かないといけないけど?」
結衣がケタケタと意地悪く笑いながらそんなことを言う。
今の瑞樹には、その笑いによる僅かな振動すらも致命的だった。
瑞樹の頬から一筋の汗が流れ、そして顎からポトリと、胸元にくっついている結衣の顔に落ちた。
「……ごめん。めっちゃ汗かいてる。だからほんとに、一回離れてくれ」
「汗くらい、別にいいよ」
結衣はゆっくりと瑞樹の胸から顔を離すと、唇の端をくいっと艶やかに上げた。
「――小説の取材。付き合って」
「……なにをする気だ?」
男子高校生のリアルな感情を自分の小説に反映させるために、結衣はイベントを故意に起こし、その反応を瑞樹から聞き出すことをしている。
それが彼女の言う取材だ。
久しぶりの殺し文句。だけど、今のこの限界の状況下でだけは、本当にやめて欲しかった。
「秘密。何が起こるか最初からわかってたら、リアルな反応じゃないじゃん」
そう言って、結衣は瑞樹の顔にゆっくりと顔を近づけてきた。
(え、なに、キス……!?)
目を閉じそうになる瑞樹の顔の横をすり抜け。
艶っぽい顔で、だけどどこまでも悪戯っぽい笑みを浮かべた結衣は、瑞樹の首元に顔を寄せ、そして——。
ペロッ。
「――ひっ……!」
結衣は、瑞樹の首を舐めた。
いや、正しくは、顎から首筋へと流れ落ちる汗を、その柔らかい舌で直接舐め取ったのだ。
結衣は不敵に笑い、まるで血を吸った吸血鬼のように、濡れた唇を手の甲でスッと拭う。
「……しょっぱぁー」
目を細めて、暗闇の中で妖艶に笑うその姿が、瑞樹の中に残っていた最後の理性のタガを完全に外した。
「……結衣が悪い」
瑞樹は、結衣の細い腰を両腕で正面から強く抱き締めた。
「わっ」
驚く結衣を逃がさないように抱きしめたまま、瑞樹は結衣の華奢な首筋に自分の唇を這わせた。
「ちょっ、瑞樹くんっ……!」
瑞樹は、結衣の白い首にじんわりと滲む汗を、熱い舌でゆっくりと舐め上げる。
「――ひゃっ……ぁ……!」
結衣はギュッと瑞樹の肩を掴む手に力を入れ、体をビクンと震わせた。
いつもの余裕を失った結衣の反応を無視して、瑞樹は何度も何度も、吸い付くようにそれを続けた。
押し殺すように、それでも時折こらえきれずに漏れる結衣の甘い声が、液晶画面から響くゾンビの呻き声や銃声に紛れて、瑞樹の脳を痺れさせる。
——どれだけの時間、そうしていたのか。
密閉された暗い箱の中で、互いの熱が限界まで高まっていく。
一線を越える、そのギリギリの境界線。
二人がハッと我に返ったのは、筐体の外から聞こえてきた、無邪気な子どもの声だった。
「あー、まだ使用中だー。早く終わらないかなー」
その声で、かけられていた魔法が強制的に解かれた。
二人は弾かれたように体を離す。
薄暗い画面の光に照らされた互いの顔は、茹でダコのように紅潮し、肩で荒い呼吸を繰り返していた。
沈黙を破ったのは、瑞樹だった。
「……で、出るか……もう、南那たちもいないだろ」
「……うん……」
瑞樹がそっと厚手のカーテンの隙間から外の様子を窺い、タイミングを見て二人は筐体から飛び出た。
周りは相変わらず騒がしい機械音と、学校帰りの学生や家族連れで溢れていた。
誰にも見られていない。
良かった。
「……帰るか」
瑞樹が火照った顔を冷ましながらそう呟くと、結衣は顔を真っ赤にして両手で覆い、「トイレ!」とだけ叫んで、小走りで逃げるように走り去っていった。




