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第12話 嫉妬

 容赦のない真夏の強い日差しが、アスファルトからジリジリと照り返す朝。


 瑞樹は、朱音と二人で並んで登校していた。


「今日もあっついねー」


 朱音は、パタパタと白い夏用ワイシャツの胸元を手で扇ぎながら、雲ひとつない青空を見上げた。


 誰が見ても一瞬で目を奪われるような、美少女という言葉を体現したような顔立ちの彼女は、瑞樹の他に誰もいない裏道であることを知ってか知らずか、だらしなく舌を出して「あちぃ……」と顔を歪めていた。


 まるで、体温調節をするために舌を出してハァハァと息をする大型犬のようだ。


 その完全に気が抜けた無防備な姿を、他の誰でもない自分にだけ見せてくれることに、瑞樹は男としての少しの優越感を覚えながらも、何でもない風を装って隣を歩く。


「……あんまり、人前でそれやるなよ?」


「それ?」


 キョトンと首を傾げる朱音に、瑞樹は呆れたように彼女の胸元を指差して指摘する。


「前からだとわからないけど、横から見たら下着が丸見えだ。……てか、なんでお前、ワイシャツの中に直で着てきた!? インナー的なものは!?」


 瑞樹の指摘に、朱音はハッとして胸元を両腕で隠し、恥ずかしそうに瑞樹を見上げた。


「わ、忘れたの……! 寝坊しちゃって、慌てて着替えたから……。そ、そんなに見える?」


「見えすぎるくらいに見える。ギリアウトだ」


「うっそ……。瑞樹くんならいいけど、他の男の人には見られたくないな……」


「……なんだその、俺への強固な安心感は。違うか、舐めてんだな? 俺がお前の下着を見ても、幼馴染だから興奮しないのをいいことに、舐めてんだな!?」


 瑞樹がジト目で睨むと、朱音はトンっ、と瑞樹の肩にわざと自分の肩をぶつけてきた。


「違うよ。瑞樹くんに『しか』見せたくないって意味っ。……この前言ったじゃん。あたし、瑞樹くんのこと好きって」


 いじらしく上目遣いで、熱のある瞳で見つめてくる朱音。


 誰もが振り返るほど可愛いと評価するような城ヶ崎朱音から、こんなにも甘い好意の眼差しを真っ直ぐに向けられても、瑞樹は表立って動じることはなかった。


 何故なら、朱音からのこういったド直球な告白は、あの和解の日から毎日のように受けていたからだ。


 雫の家から帰ってきて、全ての罪悪感から解放されたその日の晩。

 シェアハウスのリビングで、朱音に真っ直ぐに告白された。


 瑞樹は『お前の気持ちには応えられない』と丁重にお断りしたのだが、朱音はどうしてか逆に火が付いたようで、『絶対に振り向かせる!』と、落ち込むどころか毎日隙あらばアピールしてくるようになったのだ。


 かれこれ一週間。


 朱音は全く諦める様子もなく、好きだと言ってくる。


 ひたむきなその好意は、男として、そして幼馴染として瑞樹も素直に嬉しいのだが、どれだけアピールされても、彼女に応えるために心が動くことはない。


 なぜなら、瑞樹にもすでに別の『恋』が芽生えてしまっていたから。


「……何回も言ってるだろ」


 瑞樹は、自身の着ていた薄手のサマーカーディガンを脱ぎ、朱音の背中にそっと羽織らせた。


「俺は、結衣が好きだ」


 やっと気付いたというか、やっと自分の気持ちを認めたというか。


 瑞樹は結衣が――水橋結衣という少女が、一人の女性として好きだった。


 結衣と出会ってまだ半年も経っていないが、彼女と過ごす時間が特別で、彼女の笑顔が見たくて。ずっとずっと、この先何十年も一緒にオタクとして隣にいたいと、あの日、泣きながら抱きしめられた時に痛感したのだ。


 いや、正確にはもっと前から、ずっとそう思っていたのだ。


 最近になってやっと、その絶対的な安心感と執着の名前が『好き』ということに気付いたのだ。


「もうっ……!」


 朱音は、瑞樹から掛けられたカーディガンの袖を愛おしそうにギュッと握りしめ、しかし不満げなジト目で瑞樹を見上げた。


「じゃあ、こういう優しいことしないでよー! ……あたしのこと守ってくれて、すごい嬉しいんだけどさ」


「そりゃ、幼馴染として大事だからな。どんだけ結衣が好きでも、お前のことを大事に思う気持ちは変わらないぞ?」


「……はぁ」


 朱音は、呆れたように大きくため息を吐いた。


「ありがと。……そーゆーこと無自覚に言うから、あたしも諦められないのよねー。……ねえ、瑞樹くん。結衣さんとは、付き合わないの?」


 ズバッと確信を突かれ、瑞樹はドキッとして一瞬体を強張らせた。


 朱音は瑞樹の真意を探る様に、顔を近づけてその瞳をじっと覗き込んでくるが、瑞樹はたまらずサッと視線を横へ逸らした。


「あ、逸らした」


「いやっ……だって、結衣が俺のことをどう思ってるから、ハッキリとはわからないからな……俺たちは、あくまでただの友達、だから」


「……はぁぁ」


 朱音はまた、今日一番の大きなため息を吐いた。


「あのさぁ。あんなに仲良さそうに手まで繋いで、一緒にお泊まりまでして、それであっちがただの友達のつもりってことはないと思うけど?」


 普通なら、確かにそうかもしれない。


 しかし、結衣という生き物は極端にパーソナルスペースが狭く、故に特別な友達と恋愛的な好きの境界線がひどく曖昧にも思えるのだ。


 出会った当初からベタベタと密着してきたし、お泊まりだって躊躇なく一つのベッドで隣で寝させてくれた。

 結衣からの巨大な好意は確かに感じるが、それをイコールで『男としての自分を好き』だと都合よく捉えるのは、時期尚早に思えてしまうのだ。


「……それがあり得るんだよ、結衣というオタクは」


「まあ、瑞樹くんがそう言うならいいけど? じゃあ、付き合ってないなら、あたしは遠慮なく瑞樹くんにアタックして絡むからね」


 そう言って、朱音はギュッと瑞樹の左腕に自分の腕を絡ませてきた。


 薄手のワイシャツ越しに、彼女の柔らかい感触と体温がダイレクトに伝わってくる。


「おい、暑いからくっつくな」


「やだよーだ。こうやって周りに見せつけて、瑞樹くんはあたしの彼氏って既成事実にしちゃうもんね」


 朱音はあははと楽しそうに笑い、ふわりと長い金髪を夏の風に揺らした。


「あ、そうだ瑞樹くん」


 と、朱音は何かを思い出したように声をあげると、クイクイと瑞樹と組む腕を引っ張った。


「今日の放課後、ちょっとお買い物に付き合って欲しいんだけど」


 朱音はニヤニヤと、何かを企むような悪い笑みを浮かべた。


***


 放課後。

 昇降口の前で朱音と合流すると、朱音は下校する他の生徒たちの人の目も憚らず、瑞樹の腕に自然な動作で自分の腕を絡めてきた。


「お待たせ瑞樹くん」


「ちょ、おい。今日六時間目体育あって汗かいたから、絶対臭うぞ。離れろって」


「別に? 瑞樹くんの汗なら、あたしは全然気にならないよ」


 朱音はそう言うと、クンクンと瑞樹の首元に鼻を近づけてきた。


「やめっ……! 犬かお前は!」


「えへへ」


 瑞樹が避けようと首を大きく離すと、朱音はニコニコと楽しそうに笑う。


「なんか朱音、最近ちょっと変な性癖に目覚めてないよな!?」


 昔はもっとツンツンしていて、こんな人前で甘えてくる子じゃなかったのに、と瑞樹は冷や汗を滲ませる。


「ほら、行こ!」


 瑞樹の焦りなんてつゆ知らず、朱音は強引に手を引き歩き出す。


 すれ違う周りの男子生徒たちからの、嫉妬に狂った視線が痛い。

 ただでさえ目鼻立ちがくっきりして可愛いのに、さらに金色の髪も相まって、朱音は校内でも圧倒的に目立つ存在だ。


 そんな学校一の美少女と、あからさまに腕を組んでイチャイチャと下校しようとしているのだ。


 悔しいが朱音の思惑通り、早くも校内での既成事実が出来上がってしまいそうだった。


「……まったく」


 でも、隣で本当に幸せそうに笑う朱音の顔を見ていたら、過去の罪滅ぼしも兼ねて、少しくらいは彼女のワガママにノってやろうと、瑞樹は小さく息を吐いて諦めることにした。


***


 朱音に連れてこられたのは、駅から少し歩いた場所にある小さなローカルショッピングモールだった。


 一階建で東西に長く伸びた長方形のモールで、衣料品店、飲食店、ゲームセンターなどがテナントとして入っている。


 主婦や家族連れが日常利用するのはもちろん、放課後の学生にも人気な溜まり場でもあった。


 朱音が「ここここ!」と瑞樹の手を引いて目的地に着くと、瑞樹はギョッとして入り口の前でピタリと足を止めた。


 煌々と輝くライトに照らされた店内には、どういうわけか女性客しかおらず、キャッキャと楽しそうに品定めをする声がそこかしらから聞こえてきた。

 華やかな色合いの布地と、フローラルな香りが漂う、健全な男子高校生には死んでも入り難い店。


 女性用の下着ショップだ。


「……こ、ここに入るのか……?」


 恐る恐る訊ねると、朱音は元気に満面の笑みで答えた。


「うん! 瑞樹くんが、あたしの下着選んで!」


「えっ、ちょっ! バカ! 声デカい!」


 無理矢理に手を引かれ、逃げる間もなく、鮮やかな下着がズラリと並ぶ一角に連れ込まれた。


「えっとね、予算的にはこの棚のあたりなんだけど。……瑞樹くん、どんなのが好き?」


 なんでもない風に、まるでTシャツでも選ぶようなテンションで喋り掛けてくるが、瑞樹の内心は心臓がバクバクとハラハラしていた。


 周りの女性客に聞こえない様に、瑞樹は声のトーンを極限まで下げる。


「お、おい……こういう店って、男性客は入店禁止なんじゃないのか!?」


 冷や汗をドッと浮かべる瑞樹の耳元に、朱音はニヤニヤとした表情で近付くと、甘ったるい声色で悪魔のように呟いた。


「大丈夫だよ。だから、ね? あたしに似合うやつ、選んで?」


 ジワリと、背中を汗が伝って垂れる。


 周囲の目が気になって困惑する瑞樹に、朱音はクスクスと笑いながら続けた。


「本当に大丈夫だってば。そりゃあ、一人で入ってきて下着を見てる女性をジロジロみてるーみたいな怪しい人は通報されるだろうけど。カップルだって普通に一緒に入ってくるし、彼女へのプレゼントで男の人だけで買いに来ることもあるお店なんだよ?」


「……そうなのか……。じゃあ、まあ……」


 ここに瑞樹がいることが社会的に不自然でないのなら、まあいい。

 だからと言って、この針の筵のような居堪れない気持ちが無くなるわけではないのだが。


 朱音はニコッと笑うと、瑞樹の服の袖をチョンチョンと引っ張る。


「で? どれが好き?」


 瑞樹は、目の前に掛けられた下着の数々を、変態と思われないように薄目で見る。


 いろんな色があるし、いろんな形がある。よく見ると、模様も細かくレースで刺繍されていたりする。


 こんなにまじまじと、明るい場所で女性の下着を見たことがなかった瑞樹は、なんだか見てはいけないものを見ているような罪悪感が湧き立つ。


(いや、おかしいだろ……)


 ひとたび朱音の洗濯物とか一花の洗濯物という前置詞が付けば、いくらでも無感情で工場のライン作業のように見れるのに。


 そうではなく、こうして新品の女性用の下着として提示されると、なんだかいけないことをしているような気がしてしまう。


 それにしても、早く朱音に選んでやらなければ、いつまでもこの公開処刑のような空間に居座ることになる。


「じゃあ……」


 と、瑞樹は棚の端にあった一つの下着に目を奪われた。


 華やかな朱音の金髪を引き立てられそうな、淡いパステルピンク。カップには繊細な白いレースが重ねられており、ショーツには小さなリボンが可憐に付いていた。


「……これだな」


 瑞樹が指差すと、朱音は自分のサイズに合うものを探し出し、パッと手に取った。


 そしてそのまま、鏡の前で自身の体にあてがった。


「どう? 良さそう? ……ちょっと、あたしには可愛すぎないかな?」


 普段の大人びた服装とは違うためか、少し恥ずかしそうに、朱音は聞いてきた。


 瑞樹は首を振って、真面目に肯定する。


「いや、朱音の顔は可愛いけど、全体的に大人びた雰囲気もある。その金髪が尚のことそんなオーラを出すから、下着は見えない部分のギャップとして、これくらい可愛い方がいいと思う。ピンクも肌に合ってるしな」


 ペラペラと、まるで下着の専門家のアドバイザーの様に冷静に分析して評価する瑞樹。


 こんな時、無駄に口が回ってしまうオタク特有の性格で良かった。


 瑞樹のそんな大真面目な評価に、朱音はまんざらでもないように嬉しそうに微笑むと。


「……じゃあ、これにする!」


 と、宝物でも見つけたように嬉しそうにレジに走り出した。


「ちょっ! おい、ここで俺を一人にするな!」


 瑞樹も慌てて追い掛けようとすると、朱音は立ち止まって振り返り、瑞樹の手をギュッと握ってレジへと誘う。


 周りの店員や客から見れば下着を一緒に選んでお会計をする仲良しカップルじゃないかと、瑞樹はまた既成事実が出来上がりそうな状況に汗を滲ませる。

 だけど、この店内で男一人で取り残されるよりは何万倍もマシだった。


***


 綺麗にラッピングされた小さな紙袋を提げて、ホクホク顔の朱音と一緒に店を出る。


 すると、朱音はニヤニヤと悪い笑みを浮かべて、瑞樹を見上げて言った。


「……すぐにこれ着てるとこ、見せるね?」


 しかし、すっかり冷静さを取り戻した瑞樹は、ニヤリと笑って返す。


「残念だったな。それが城ヶ崎朱音の所有物になってしまえば、俺は幼馴染のフィルターがかかって、一切照れたり興奮したりしないぞ」


「むぅ……」


 朱音は作戦失敗とばかりに悔しそうに頬を膨らまし、そして少しだけ悲しそうに俯いた。


「別にいいもん。着てるとこ見て、似合ってるね、可愛いねって言ってくれたら、それだけでいいもん」


「……」


 少し言い過ぎただろうかと、瑞樹はほんの少し反省し、俯く彼女の頭をポンポンと優しく撫でた。


「ほら、行くぞ。今日、夕飯何食べたい?」


「え! なんでも有り!?」


 パァッと、分かりやすく一瞬で表情を明るくさせる朱音が、再び瑞樹の腕に自分の腕をギュッと絡めた。


「ああ、いいよ」


 もう何も言わん。


 今日くらいは、彼女のワガママに付き合って甘やかしてやるのも、良いだろう。

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