第10話 崩壊(4)
カフェの涼しい空調から一歩外へ出ると、真夏の茹だるような熱気が二人を包み込んだ。
店の入り口で、二人の足が自然とピタリと止まる。
右に曲がって歩けば、駅。つまり瑞樹は電車に乗って帰路に着くことになる。
逆に左に曲がって歩けば――結衣の住むマンションがある。
結衣は何も言わず、少しだけ首を傾げて、探るように下から瑞樹の瞳をじっと見つめてきた。
時刻はまだ十五時前。帰るには、いくらなんでも早すぎるか。
瑞樹は少しだけ考えて、結衣の視線を受け止めたまま、口を開いた。
「……こっちに、行きたい」
瑞樹が左に向かって、結衣の家の方角へ歩き出そうとすると。
結衣は「ふふっ」と嬉しそうに、花が咲くように笑った。そして、自然な動作で瑞樹の右手を自身の両手で捕まえ、そのまま指と指を絡めて、ギュッと甘く恋人繋ぎで繋いだ。
「瑞樹くん。歩きながらでいいんだけど、さっきのカフェでの話で、気になること聞いてみてもいい?」
「もちろん」
歩き出してすぐ、結衣は繋いだ手を前後に揺らしながら、明るい声色で聞いてきた。
「瑞樹くんのその幼馴染たちって、瑞樹くんがわざわざ『支配してコントロールしないといけない』って……一体何者なのか、ちょっと気になるなーって」
「……それは……」
瑞樹が言葉に詰まると、結衣はまたふふっと笑って、繋いだ手を少しだけ強く握った。
「うそうそ、ごめんね。かなりパーソナルな話だし、複雑な家庭の事情とかトラウマとかもありそうだし、そこは根掘り葉掘り聞こうとは思わないよ。オタクとしてはちょっと設定が気にはなるけどね」
「悪いな。かなり壮絶な人生を辿ってる奴らだから、おいそれと他人に話すのも違うかなって思って」
「うん、それでいいと思うよ。友達を守れる瑞樹くん、かっこいいし」
結衣は肯定するように、瑞樹の右腕に自分の肩をピタッと寄せ、全体重を預けてきた。
「でね。次は瑞樹くんにとっては朗報かも。……その、瑞樹くんのことを好きかもって子。瑞樹くんの目的である『依存させること』には、ちゃんと成功してる気がするよ」
「ほう?」
瑞樹の声色が、わかりやすく明るくなる。
「瑞樹くんは『依存させただけなのに、意図せず好きになられた』って言ったよね」
朱音も、遊も、一花も。幼い頃から瑞樹の手のひらの上で踊らされ、徹底的に孤立させられ、結果的に瑞樹に絶対の依存をしている状態だと思っていた。
保護者として信頼され、唯一の逃げ場として安心され、そして盲目的に依存しかしていないと思っていた。
対等な人間関係から生まれる恋愛感情なんて、向けられるように仕向けた覚えは一切ないのだ。
「そうだな。俺には、あいつから好きになられる意味が全くわからない」
結衣は、行き交う人々をぼんやりと目で追いながら、冷静な分析を続ける。
「あのね。そういう環境下での依存は、恋愛感情とすごくイコールになりやすいと思うの」
瑞樹は、腕に寄り添う結衣に横目で視線を送る。
次の言葉を待っている瑞樹に対し、結衣は言葉を選びながら説明した。
「だって、依存って言葉を分解して、その子の心情に当てはめてみたら……『あなた無しではもう生きていけない』。『あなたにだけは認められたい』。『私のことだけを、ずっと思っていて欲しい』。……そんな感じの感情じゃない?」
「……その通りだな」
「もうこれ、まるで『重い恋をしてる人のモノローグ』じゃん」
結衣は、ニヤッと悪戯っぽく笑った。
瑞樹はその言葉を聞いて、胸の奥のつかえが取れたように、すごく腑に落ちた。
青春モノの男女が抱く、甘く切ない恋心そのものとも言える。確かに少しヤンデレ気味な重い感情ではあるが、間違いなく恋のそれと親和性が高すぎるのだ。
「すごいな……なんで朱音に好かれたのか、完全にわかった気がする。俺の支配が失敗してたわけじゃない。むしろ、少なからず依存させることには成功してたからこそ、それが恋愛感情に変換されたってことか……」
「……朱音、って名前なんだ」
結衣が小さくポツリと呟いた、微かな嫉妬を含んだその声は、自分の計画が狂っていなかったことに安堵する瑞樹の耳には届かなかった。
「まあ、それが全てではないと思うけどね?」
結衣は誤魔化すようにトントンと、わざと何度も肩をぶつけてくる。
「幼馴染とはいえ、普通の男女だし。毎日瑞樹くんの優しい言葉や行動を間近で感じてたら、単純に男の子として意識して、普通に好きになったのかもしれないし。男女の友情は、そう簡単には成立しないからねー?」
「……ありがとう。結衣が二次元のヒロインの心理に例えてくれたおかげで、すごいわかりやすかった。俺には一生理解できなかった感情の正体が、ハッキリ見えてきたよ」
「……で、どうするの?」
結衣の足が、ピタリと止まった。
「どうするとは?」とキョトンとする瑞樹に、結衣は少しだけ表情を硬くして、苦笑いを作りながら問いかける。
「いやいや、女の子から好意向けられてるんだよ? その内、告白でもされるかもしれないじゃん。その……その子と、付き合ったり、するつもりなの?」
瑞樹の中で、計算式が回る。
朱音と付き合う。……無しではないかもしれない。
しかし、大前提の計画をすべて練り直さないといけない今、不用意に朱音や一花とそういう深い関係になるのは得策ではない気がした。
結衣という彼女の影をチラつかせて彼女たちの不安を煽ることは効果的かもしれないが、瑞樹自身が彼女たちと付き合うのは、復讐の盤面が濁るから『今はまだ無し』だ。
いや……そもそも不安材料にすらならないかもしれないという話だった。
混乱する頭を小さく振って、瑞樹はハッキリと答えた。
「それはないな。俺にとっては、あいつらはあくまでも幼馴染だ。それ以上の関係になるつもりは、微塵もない」
「……そっか。ふーん」
パァッと。
結衣の顔に咲いたのは、どことなく、いや、明確な安堵を含んだ笑顔だった。その理由は、復讐のことしか頭にない瑞樹には全くわからなかったが。
「結衣が気になったのは、これくらいか?」
瑞樹が歩き出しながらそう問うと、結衣は自分の頬を少し赤くさせて、繋いでいない方の右手の人差し指で、瑞樹のほっぺをツンと押し付けた。
「瑞樹くんが決定的に鈍感なのは、間違いないと思うよ」
「えっ、結衣からの評価もそうなの!?」
心外だ。瑞樹は少しムキになって、結衣と繋がれた左手を無意識のうちに、ギュッと強く握りしめた。
すると、結衣もそれに呼応するように、柔らかい指を絡ませてギュウッと甘く握り返してくる。
結衣は、ジト目で瑞樹を見つめ続け、やがて呆れたように口元を緩めた。
「……ほら、ね?」
「え、なに! わかんない! 頼むからアニメで例えてくれ!」
「やだー。一生わかんなくていいよ」
結衣は少し不機嫌そうに唇を尖らせながらも、夏の青空の下で、隣を歩く誰よりも楽しそうに、甘く笑った。




