↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/138

第9話 齟齬(7)

 その日の夜。


 報告会の疲労と、自分の支配が崩れ去っていく恐怖で茫然自失となっていた瑞樹は、自室のPCでチャットアプリを立ち上げ、本能の赴くままに一人の少女へとメッセージを打ち込んだ。


『結衣』


 深夜にもかかわらず、ほどなくして「ポン」と軽快な通知音と共に返事が来る。


 彼女はいつだって、瑞樹が手を伸ばせば一番に応えてくれる。


『おっつー。どしたの』


『今まで信じていたことが、実は全然違ったってオチ。……辛くないか』


『え、なに急に。全然わかんない。大丈夫?』


 画面の向こうで、心配そうにスマホを覗き込んでくる結衣の姿が容易に目に浮かぶ。


 無意識に彼女の真っ直ぐな優しさを求めていたのか。それとも、単に誰でもいいからこの得体の知れない不安を聞いて欲しかったのか。


 かと言って、瑞樹の抱えている異常な復讐の目的や幼馴染の支配構造を、この純粋なオタク友達に打ち明けることなんて出来るわけがないのだから、これはどうしたって不毛なやり取りになる。


 それが頭ではわかっていたのに、瑞樹はどうしてか、たまらなく結衣の言葉に触れたくなった。


(これじゃあ、まるでただの構ってちゃんだな)


 瑞樹は自嘲するように口の端を歪め、キーボードを叩いた。


『ごめん、なんでもない。大丈夫』


『え、構ってちゃんじゃん』


 やっぱりそう返ってくるよなと、瑞樹は一人で乾いた笑いをこぼした。


『まあ、話を聞いて欲しいなら聞くけど?』


 結衣のその押し付けがましくない優しさに、瑞樹は少しだけ甘えてみたくなった。


『内容はちょっと具体的には言えないんだけど』


 瑞樹はそう前置きし、言葉を選びながら続けた。


『例えばさ。俺が完全に理解していると思っていたある人物がいて、それが俺の中での絶対の正解だったんだけど。今日、第三者から「お前の知ってるその人物は、お前の見ている姿とは全然違うぞ」って言われたんだ。それが信じられなくて、戸惑ってる←イマココ』


『なるほど?』


 オタク特有のネットスラングを交えてざっくりと今の心境を伝えると、結衣から少し間を置いて返事が来た。


『それって別に、普通のことだと思うけど』


 普通? 瑞樹は齧り付く様にモニターを見つめる。


『それってつまり、「学校で友達といる時の私」とか、「家族といる時の私」の姿を、ネット友達の瑞樹くんは知らないよねって、ただそれだけのことだと思うよ? 人間なんだから、見る角度や相手によって、違う顔を持ってて当然じゃん』


 なるほど、と瑞樹は思った。


 確かに、自分は朱音の傷や弱点を全てわかっているつもりだが、同性の『一花と一緒にいる時の朱音』や、同じ傷を共有する『遊と一緒にいる時の朱音』の顔は知らない。自分に見せている『絶対服従のペットとしての朱音』だけが彼女のすべてではないのだ。


 いや、でも。


『結衣の言ってることは論理的にはわかるんだけど……なんか、そういう次元の話ではないといいますか……』


 瑞樹の中では『知らない一面がある』というレベルを遥かに越えており、もはや根底から『別人なのでは』と疑うほどに思えているのだ。


 自分が完璧に依存させていたはずの相手が、自分に対して恋愛感情を持っているかもしれないのだ。


 ただ、そのこと自体は大きな問題ではない。もし本当に朱音が瑞樹を好きになったのであれば、それはそれで復讐の道具として利用のし甲斐がある。最も愛し、信頼している相手から最も残酷な形で裏切られた方が、落ちる地獄の底は深く、絶望は大きくなるだろうから。


 問題は、瑞樹側の『認識の決定的な齟齬』だ。


 有体に言えば、『俺はそんな風に育てた覚えはない』という苛立ち。


 瑞樹は幼馴染たちの性格やトラウマによる挙動を正しく理解し、緻密に計算して計画を立て、自分の思い通りに完全に支配してきたつもりだった。


 だから、これまでの巧みな盤面操作によって、幼馴染たちは自分への更なる依存を深めてくれていると絶対の自信を持っていた。いつか彼らに凄惨な復讐を遂げる時、より深く絶望してもらうための絶対的な布石を打っているつもりだったのだ。


 しかし、もしその布石が全く意味をなしていなかったら?


 幼馴染たちが、瑞樹の意図した恩恵に何も特別な感情を抱くことなく、ただただ日常に訪れたありふれた光景として認識し、自分勝手な恋愛感情で暴走していたら?


 すべての前提が覆ってしまう。


 これでは、彼らにふさわしい最大の絶望も悲しみも与えることができず、ただ物理的に殺すだけになってしまう。


 そんなのは、ただの惨めな殺人鬼だ。


 瑞樹は、殺人鬼になりたいわけではない。彼らを心から壊す復讐を完遂したいのだ。


 自分の思い通りに動かない『知らない朱音』が出てきてしまったせいで、瑞樹は自分の敷いた盤面すべてを疑うハメになった。


 この計画は、どこか致命的に上手くいっていないかもしれない。


 その可能性を危惧しなければいけなくなってしまった。


 それが、瑞樹はひどく怖かったのだ。


『んー。わかんない。ちゃんと全部言ってくれないと、私にだってなんて言ったらいいかわからないよ。……とりあえず、明日会わない?』


 結衣からの、ストレートな誘い。


 瑞樹も無性に彼女の顔が見て、声が聞きたかったので、『会う』とだけ返した。


『オッケー。お昼にいつもの駅前のカフェでおk?』


『いや、明日は俺がそっちの街にいくよ。結衣の街にも、お茶するカフェくらいあるよね?』


『失礼だなー、あるよ! じゃあお店の住所とURL送っておくから、お昼に現地集合ね』


『わかった。ありがとう』


『それと』


 結衣が最後に、一つだけ何か言いたげだった。


『やっぱり、悩んでるなら当人に直接聞くのが一番いいと思うよ? 「俺の知ってるお前じゃない! どーゆーこと!?」って。そういうのを聞ける相手なら、やっぱりそれが一番手っ取り早いと思う。じゃ、また明日ノシ』


 思っていることは、ちゃんと自分の口に出して直接伝える。


 結衣がいつも瑞樹に言っている、彼女の真っ直ぐな格言だ。


「……それも、ありかもな」


 瑞樹は一人暗い部屋で呟き、結衣との温かい繋がりを断つようにPCの電源を落とした。


***


 二階へ上がり、瑞樹は朱音の部屋のドアをコンコンと軽くノックした。


 まだ日付が変わる前。明かりが漏れているから、朱音も起きているだろう。


「はーい。どーぞ」


 中から朱音の弾むような声がして、瑞樹は恐る恐るドアのノブを回して開けた。


 朱音はベッドにうつ伏せになって横になり、足をパタパタさせながらスマホをいじっていた。しかし、入ってきたのが瑞樹だと視認すると、ハッとして急に姿勢を正し、ベッドの上にちょこんと行儀良く座り直した。


「み、瑞樹くん……どうしたの? こんな時間に」


 お風呂上がりなのだろう。火照った頬がほんのりと桜色に染まり、いつも綺麗にセットされている前髪が少し乱れておでこを隠していて、なんだか普段の妖艶さが消えて、実年齢より幼く若く見える。


『美少女』という言葉は、まさにこの子を体現するためにあるのではないかと、復讐相手であるにもかかわらず、思わず瑞樹も息を呑んでしまうほどだった。


「遅くにごめん。今、少し話して大丈夫か?」


「うん、いいけど……どうしたの?」


 朱音の態度から、若干の緊張と、どこかフワフワとした期待の空気を感じる。


 瑞樹が歩み寄り、朱音の隣のベッドの端に腰を下ろすと、朱音はビクッと肩を揺らし、意識的に距離を取る様に、ササッと拳ひとつ分横へ座り直したのだ。


「……なんで離れるんだ?」


 いつもなら自分から擦り寄ってくるはずなのに。

 思わず瑞樹は、少し苛立ったように聞いてしまった。


 さっきの脱衣所での一件が、気まずいのだろうか。


「あっ、いや……その……そういうわけじゃ……」


 朱音はモジモジと煮え切らない様子で、瑞樹の目を見れずに視線を泳がせた。


 何が起こっているのか、今の瑞樹には全くわからなかった。だが、遊の言葉通り、これがいわゆる恋という不合理な感情故の行動であろうと、頭での予想は出来た。


 話しやすい空気にしようかと、瑞樹が話題の糸口を考えていると、朱音の方が先に、意を決したように口を開いた。


「瑞樹くん……最近、お友達? 出来たよね」


「あー」


 結衣のことだろう。


 瑞樹は学校ではクラスメイトと必要最低限の交流しかしておらず、放課後や休日に個人的に遊ぶ様な友達は、この箱庭の幼馴染たちを除けば、最近できた結衣しかいなかった。


「……そうだな。俺にも、お前たち以外の友達が、やっと出来たよ」


 瑞樹は、少し自嘲気味に、わざと優しく笑ってみせた。


「……すごく、仲良いの?」


「良い……と思う。少なくとも、俺はそう思ってるかな」


 結衣も同じ様に思ってくれていたら、すごく嬉しい。瑞樹の顔に、無自覚に自然な笑みがこぼれる。


 すると、朱音はやっと顔をこちらに向け、ぐいっとその潤んだ瞳を瑞樹の顔の至近距離まで近づけてきた。


 相手の感情を探ろうとする、朱音の昔からの癖だ。


「その子、彼氏いないの?」


「いない……と思うけど。どうだろう。今まで聞いたことないな」


 そういえば、結衣の口から明確に聞いたことはなかった。だけど、家に男の人を上げた形跡は一切なかったし、いつ連絡してもすぐに返事をくれるし、勝手にいないと決めつけていた。


 今度、さりげなく聞いてみようか。


「……やっぱりその友達、女の子なんだ?」


 スッと、朱音の声のトーンが、地を這うように低く冷たく下がった。


 探りを入れるように前のめりになっていた体勢を直し、朱音は絶望したようにガクンと肩を落とす。


「あー、うん、そうだけど……」


(あれ、これは今、明かして良かった情報なのか?)


「……じゃあ、最近たまに友達の家に泊まりに行ってくるって言ってたのも、その女の子だよね」


「そう……だな……」


(マズイ。まだバラすのは、早かったのでは?)


「…………そっか」


 計画も準備も、まだ完全に途中の段階だ。


 今、ここで結衣という女の存在とその親密な関係性が露呈してしまっては、一花を一番効果的なタイミングで絶望の淵に立たせることができなくなるのではないか?


 この話はダメだ。イレギュラーすぎる。


 すぐに切り上げて、別の話を……。


「出てって」


「え?」


「……出てって!」


 朱音は突然立ち上がると、瑞樹の腕を無理矢理引っ張り、部屋の外の廊下へと押し出した。


 そして、バタンッ! と勢い良く扉が閉まり、静まり返った深夜のシェアハウスに、暴力的な大きな音が響き渡った。


「…………なんだ?」


 わからない。


 瑞樹の優秀な頭脳でどれだけ高速で計算しても、今この結果に陥った意味が、理由が、原因が、全くわからない。


 知らない言語だけが飛び交う、異国の世界に突然一人で置き去りにされた様な、途方もない孤独感と無力感を感じる。


 すべてを支配していたはずの箱庭が、自分の手を離れて勝手に崩壊していくような恐怖。


 ガチャリ、と。


「みーくん、どうしたの? 大丈夫?」


 朱音の隣の部屋から、一花が扉の閉まる大きな音に驚いたのか、ひょっこりと顔を出してきた。


「一花……あのさ、いや。……なんでもない。ちょっとした口論だ。大丈夫だから、おやすみ」


 一花に朱音の態度について探りを入れてみようかと思ったが、これ以上ここの人間と話すと、自分の焦りから何か致命的なボロが出てしまいそうだった。


「うん……おやすみ、みーくん」


 瑞樹は通りすがら一花の頭をぽんぽんと軽く撫でて、足早に階段を降りて行った。


 一階に降りると、階段の下の暗がりには、心配そうに二階を見つめる遊が壁にもたれて立っていた。


「古河か。なんかすごい音したけど、大丈夫?」


(どいつもこいつも、俺のコントロールを外れて、どれだけ俺のことが心配なのか)


「遊まで起きてたのか……。うん、大丈夫。ありがとう」


 遊の肩をポンと叩き、瑞樹は逃げるように自室の扉を開け、中に戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。