第8話 幻想(9)
「「やられた」」
エンディングテーマが静かに流れ終わった薄暗い部屋の中で。瑞樹と結衣の口から、全く同じ感嘆の言葉が同時にこぼれ落ちた。
実は、本当に狂っていたのは『死家』の主人公の方であり、これまで画面に映し出されていたおっかない行動の数々は、すべて主人公の歪んだ妄想フィルターを通した彼女たちの姿だった。
「まさかのオチ、だったね」
思っていたよりもライトなエンディングだったからか、始まる前の怯えていたテンションとは明らかに違う、どこかホッとしたような結衣の声。
結衣はリモコンでテレビの電源を落とすと、瑞樹の股の間にすっぽりと収まったまま、くるりと器用に体を九十度回転させた。
そして、瑞樹の胸に背中を預ける体勢からお姫様だっこのような甘い体勢へと収まった。
「瑞樹くんの感想聞きたーい。このオチ、有り? 無し?」
「うーん……」
余韻は、正直なところ手放しで絶賛できるような良いものではない。
第一声で「やられた」と思わず口に出たように、見事に一泡吹かされた感覚はあるのだが、それは同時にどこか拍子抜けした気分にも近かったからだ。
「俺的には、このどんでん返しよりも……そのままヒロインたちの純粋な『狂気』で突き進んでくれた方が良かったかなーって思ったかな。というか、ただ単にそれが見たかったのかも」
「病んでる子、好きだねー?」
結衣はニヤニヤと悪戯っぽく笑いながら、瑞樹の胸元を人差し指でツンツンと小突く。
「でも、私的には十分すぎるくらいヤバい子たちだったと思うけど?」
「……あっ!」
結衣のその何気ない一言で、瑞樹の脳内で散らばっていた思考のピースが、カチリと音を立てて完璧にはまった。
「そうなんだよ、そうなんだよ!」
「急にどうしたの!? 大事なことだから二回言ってる!」
瑞樹が急に身を乗り出して興奮気味に声を上げ、それを結衣が目を丸くしながらもニコニコと見つめ返す。
「ヒロインたちは完全に狂った子たちではなかったって明かされたわけだけど。てことは、あの凄惨な『五感破壊ゲーム』は、純粋に主人公を想って、痛みに耐えながら自らの意思でやったってことだもんな!?」
「えっ、あ……」
「おお……ヤッバ……! そう考えると急激にゾクゾクしてきた……。この作品、神かもしれない。え、控えめに言って神じゃん」
自らの身体を犠牲にしてまで、狂った愛する人を救おうとしたヒロインたち。その究極の自己犠牲の形に気づき、瑞樹のオタク心は一気に最高潮へと達した。
「……その良さは私には一生わからないと思うけど。でも、満足出来たならお勧めした甲斐がありましたよ」
得意気にふんすっと胸を張る結衣は、興奮して早口で語る瑞樹を見て、また釣られたようにニコッと笑う。
「ありがとう、結衣。……でも、結衣は正直……観てて楽しくはなかったよな?」
ホラーやグロテスクな描写が苦手な彼女を、無理に付き合わせてしまった罪悪感が瑞樹の胸を過る。しかし結衣は、ゆっくりと首を横に振って、瑞樹の言葉を明確に否定した。
「ううん? 苦手なジャンルで怖かったし、途中何度も目をつぶっちゃったけど……やっぱり、ストーリーはすごく面白いと思った。あの長い一話が実は偽りだったんだーって思いながら二話から進んで、最終話であの一話こそが真実だったって思わされて。なんてゆーの……満足感が凄かった」
真っ直ぐに瑞樹を見つめ、瞳を輝かせて話すその姿は、嘘偽りなくこの時間を楽しんでくれたことを物語っている。
「それな! ああ、一瞬でも拍子抜けしたと思ってしまった自分が憎らしい!」
刹那的な感情だけで作品全体を評価するのは、オタクとして愚の骨頂だ。瑞樹は深く猛省した。
結衣はあははと楽しそうに笑い、自分なりの感想を続けた。
「ヒロインたちの愛も、すっごく重くて怖かったけど……でも、それも『一つの愛の形』なのかなって、考えを改めさせられたよ。好きな人のためならなんでも出来るって。昼間にゲームで攻略した和葉ちゃんもそうだけど、表現のベクトルや程度は違えど、根本にある思いは一緒なんだよね」
「そうそう、やっぱり一緒なんだよ。ただ、それがいきすぎると常人には『怖い』って映るのかも」
瑞樹が苦笑い混じりにそう言うと、結衣は「うーん」と小首を傾げた。
「でもさー、いきすぎた方が『愛は深そう』だよね? めっちゃ愛してるって感じ、しない? 怖いし理解はし難いけど、その愛の深さの底知れなさは感じるなーって」
「お、わかってきたね結衣さん。俺はね、それが好きなんだよ。いきすぎた深い愛って、結局のところ相手の都合なんて考えてなくて、『自分が愛したいから愛してる』っていう、めちゃくちゃ自分勝手な思いなんだよ。でも、それがやけに泥臭くて、人間っぽくて、好きなんだ」
だって、合理的に考えたら、五体満足のまま穏やかに愛し合った方が良いに決まっている。
なのに、わざわざその身を犠牲にしてでも、愛し続け、愛され続けたいと願うなんて。ひどく自分勝手で、愚かで、とても人間っぽくて――瑞樹は、そういう歪みがたまらなく好きだった。
「んー、やっぱり私にはまだムズイなあ。私はもっと、シンプルでいいかも」
結衣は、コトン、と瑞樹の胸に自身の頭を預けた。
ふわっと、結衣の甘い香りが鼻腔をすり抜ける。
――ドクン。
胸が大きく高鳴り、瑞樹は何故か、ごく自然な動作で結衣の華奢な身体をそっと抱き締めてしまった。
「こ、こんな感じか?」
「そうだねー。これくらいの表現で、十分かも」
腕の中にすっぽりと抱き締められながらも、結衣は照れる素振りも見せず、飄々とした声で答える。そのあまりにも自然な反応に、瑞樹は思わず目を点にした。
「……なんか、この距離感に慣れすぎてないか!?」
「そりゃあ……今日一日、ずっとこうやってくっついてたし」
結衣は瑞樹の腕の中からすっと頭を抜け出すと、ジト目で瑞樹を下から見上げた。
「瑞樹くんこそ、一番最初私の家に来た時、『可愛い私と密着したらムラつく』って言ってたよね?」
確かに、初めて結衣の家に来て、ソファーで結衣におふざけで迫られた時は、健全な男子高校生としてのそんな下心も確実に湧いていた。
しかし今は、不思議とそういった動物的な欲情は無に等しかった。ただただ、彼女の体温が心地よく、この穏やかな繋がりを手放したくないという純粋な親愛だけがそこにあった。
キスはしてしまいそうだったが。
「なるほど、これが慣れか」
「ムカつく」
「韻を踏んできた!?」
するすると滑り抜けるように瑞樹の体から離れて、結衣はパタパタと寝室へと消えていった。
そして程なくして、たたまれた上下のスウェットと、新品の歯ブラシを両手に持ってリビングに戻ってくると、それを瑞樹の胸に押し付けるように手渡した。
「はいこれ。お泊まりセット」
「お、おう。ありがとう。……ほんとに良かったのか?」
受け取ったスウェットを広げてみると、それは結衣が今着ているラフな部屋着と全く同じ、サイズ違いのお揃いのものだった。
「うん。美味しいご飯作ってもらったし。……これからも、たまに作ってもらうし」
「作るのは全然良いんだけど。なんか、いろいろ買わせて悪いな。ありがとう」
「いいえー。てか、汗かいたでしょ? 早くお風呂入ってきて。歯ブラシは、洗面台のスタンドが一個穴余ってるから、そこ使っていいから」
「おっけー。じゃあ……お風呂借ります」
「ふぅ……」
瑞樹が着替えを持って脱衣所へと向かい、バスルームのドアが閉まる音が聞こえたのを確認し、一人リビングに残された結衣は、瑞樹の体温がまだ微かに残る自分の両腕で、自身を優しく、ギュッと抱きしめた。
「慣れ、かぁ……」
ポツリと呟いた結衣の頬は、瑞樹の前で見せていた飄々とした態度とは裏腹に、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
胸の奥で早鐘のように打つ心臓の音は、主人公たちのような狂気とは無縁の、等身大の純粋な恋の音だった。




