第8話 幻想(7)
『死家』こと『あいシてるHOUSE』の第十一話までを一気に観終わって、しかし正直なところ、瑞樹の頭には内容がほとんど入ってきていなかった。
すでに一度リアルタイムで観ているからストーリーの把握に問題はないが、それでも第六話から第十一話までの約二時間という時間が、ものの数分で終わってしまったような錯覚に陥っていた。
その最大の原因は、さっきまでゲームをしていた時と全く同じように、結衣が瑞樹の股の間にすっぽりと収まって座り続けているからだ。
「……またそこに座る気か? 今度こそ、本当にキスするぞ」
瑞樹が先ほどの空気を引きずったまま牽制してみたものの、結衣は「出来ないくせにー」と意地悪く、少しだけ顔を赤くして笑う始末だった。
もちろん、さっき逃げたばかりの瑞樹に出来るわけがなかったし、結局は言い負かされてこの密着した体勢に甘んじるしかなかった。
おかげで変に意識してしまって、まったく画面に集中出来なかったのだ。
結衣の甘い匂いと、背中越しに直に伝わってくる高い体温。瑞樹の胸からお腹にかけてが、火を当てられているようにすごく暑い。エアコンがしっかりと効いているはずの部屋なのに、ジワリと額や首筋に汗が滲んでくる。
やがて、瑞樹の股の間に収まった結衣が、録画番組が羅列された無機質なテレビ画面を見つめたまま、ポツリと呟いた。
「……次で、最終話……だね」
「あ、ああ……」
ここから先は、瑞樹にとっても初見となる最終話だ。
先ほど終わった第十一話のラストで、『第一話の冒頭で描かれた主人公の死の真相』が遂に明らかになるという、絶対に観ないわけにはいかない強烈な引きがあった。
「なんかもう……誰が殺しちゃってもおかしくない展開だよね」
「そうだな。自分のものにならないなら殺す。愛してるから殺す。……全ヒロインに、完全に狂った殺害動機があるな」
「やっぱり、全然わかんない……」
結衣が、震える両手で瑞樹の腕をギュッと強く掴んだ。
この『死家』のここまでの簡単なあらすじはこうだ。
四人のヒロインたちが、主人公に好きになってもらうためにあれやこれやと健気に頑張っていく。その過程での様々な試練やハプニングを通して、主人公が守ってくれたり、かっこいい姿を見せてくれたりして、ヒロインたちはさらに深く主人公に惚れ込んでいく。
「主人公に好きになってもらいたい」という根本の願いは変わらない。だが、その純粋な愛情はいつしか「自分だけを見てほしい」「誰にも渡したくない」という強烈な独占欲へと歪み始め、彼女たちの愛の表現は、段々と常軌を逸した狂気へと変貌していった。
主人公と物理的に『一体』になりたいという欲求から、彼が怪我をして流した血を啜り飲む。
主人公の抜け落ちた髪の毛や切った爪を飲み込み、彼と永遠に結ばれるための『呪い』を自分自身にかける。
逃げられない既成事実を作るために、無理矢理に性行為を繰り返して妊娠しようと企てる。
主人公が振り向いてくれないのは自分の魅力が足りないせいだと思い込み、自分自身に苦痛を伴う凄惨な『罰』を与える。
そして最終的には、「誰が一番主人公を愛しているか」を証明するためだけに、自らの『五感』をいくつ破壊できるかを競い合う。
本当に、観ていて息が詰まり、胸が苦しくなるようなアニメだった。
唯一の救いは、この世界にはファンタジー要素があり、どれだけ致命的な怪我を負っても、翌日には完全に回復しているという設定だ。とは言っても、その時に感じる痛み自体は本物だし、もし『死んでしまったら』二度と元には戻らないという絶対のルールがある。
いや、今となっては、なまじ「回復してしまう」という逃げ道の設定がある分、ヒロインたちの自傷や他害へのハードルが下がり、狂気が冗長される原因にもなっている。素直に「怪我をしたらベッドで寝たきりになる」という現実的な仕様の方が、よほど視聴者の精神には優しかったかもしれない。
そうやって、ヒロインたちからの歪み切った重い愛を一身に受け続けた主人公は、三十日目に誰か一人を選ばなければいけない状況に追い詰められた。
ヒロイン四人は、自分が選ばれないのなら主人公を殺して、自分も死ぬ。誰かのものになるくらいなら、この手で殺して永遠に二人きりになるのだと、本気で決意しているように見える。
ここで、第十一話が終わった。
瑞樹は最初、結衣に対して「主人公が死ぬことが確定していて、それを分かった上で幸せなラブコメパートを見るのが辛い」などと語ったが、もはやそんな綺麗な次元の話ではなかった。
想像の遥か上をいく、グロテスクで猟奇的な愛の形を、これでもかと見せつけられていたのだ。
「……最終話、観れない、かも……」
結衣が思わずそう弱音を漏らしてしまうくらい、底知れぬ嫌な気持ちにさせられるのが、この『死家』という作品の魔力だ。
「やめとくか?」
瑞樹は結衣の頭に優しく手をポンと置いた。そんな極限の精神状態で無理をして観ても、トラウマになるだけで何も良いことはない。
すると結衣が、顔だけを後ろに振り返り、ポロポロと涙を溢しそうな目で瑞樹を見つめた。
「な、泣いてるじゃん! わかった、観るのやめよう。これは今度俺が一人で観るから」
瑞樹が慌ててテレビを消そうとすると、結衣は顔をブンブンと激しく横に振った。
「……頑張る。ここで観なかったら、観なかったことに絶対後悔するし、続きが気になって他のことに何も手がつかなくなると思うから。……でも、だからと言って、一人じゃ絶対に最後まで観れないから。……頑張る」
「そのオタクとしての気持ちは、痛いほどわかる。……でも、本当に無理するなよ?」
「こればっかりは無理してでも観る。残酷だけど、お話自体はすごく惹かれるものがあるし、絵も可愛いし……」
結衣は覚悟を決めたように前を向き直り、涙を拭うと、リモコンを操作して録画画面から地上波のリアルタイム放送へとチャンネルを切り替えた。
深夜の静寂の中、不穏なCMが明け――間もなく、運命の最終話が始まった。




