第8話 幻想(5)
『男女の友情が成立するわけがないっ!』の原作アニメでは、主人公と五人のヒロインとの間に、それぞれ異なる「女友達」としての繋がりが用意されている。
小さい頃からずっと一緒に育ってきた幼馴染。
同じ文芸部で慕ってくれる後輩部員。
バイト先でいつも助けてくれる年上の先輩。
クラスで孤立していることを唯一分かち合えた、隣の席の優等生。
そして、オタクという共通の秘密の趣味で繋がった他校生――和葉。
あくまでも友達としてフラットに接していく中で、主人公の優しさや頼もしい姿に、段々とヒロインたちが惹かれていくという王道かつ鉄板のラブコメ設定だ。
友達という境界線を絶対に越えようとしない主人公だが、ストーリーが進むにつれて徐々にヒロインたちの切実な気持ちに気付き始める。
そして最終的に主人公は。
自分のことを一番に理解して支えようとしてくれる文芸部の後輩でもなく、大人の意見でいつも優しく励ましてくれるバイト先の先輩でもなく、孤立を分かち合えた隣の席の優等生でもなく、好きなものを心から楽しみあえる一番気の合う他校生でもなく。
ただひたむきに、小さい頃からずっと好きをアピールし続けてきた幼馴染と結ばれることになるのだ。
主人公は、幼馴染以外のヒロインと関わる時、ふとした瞬間の仕草やドキドキするような出来事の中で、無意識に幼馴染の面影を重ねてしまう描写が多々ある。それはつまり、「主人公も最初から幼馴染のことが好きだったのだ」とラストで自覚させるための伏線だ。『男女の友情は絶対に成立する』と強く思い込んでいたせいで、自分自身の本当の気持ちに蓋をしていただけなのだ。
この『男女の友情が成立するわけがないっ!』のゲーム版が、狙った子を攻略するのが鬼のように難しいと言われる所以はここにある。
『主人公がそもそも幼馴染を好きだ』という、覆しようのない原作の前提のままゲームが進んでいくのだ。適当に選択肢を選んだり、発生させるべき他キャラのフラグイベントを少しでも逃すと、強制的にルートが補正され、必ず『幼馴染エンド』に行き着いてしまう仕様になっている。
何度やり直しても、結局は一途な幼馴染ルートに入ってしまう。だからプレイヤーは段々と「主人公に他の子を好きにさせるのが、なんだか申し訳ない」という罪悪感に苛まれ、「自分はこの尊い恋の邪魔をしてはいけない」と、そっとゲームを封印する。
そんな不可思議な現象が、全国のオタクたちの間で多発したらしい。
それほどまでに難易度の高い恋愛シミュレーションゲームだというから、和葉をどうしても攻略出来なかった結衣も、『一回でクリアできたらなんでも言うこと聞く』などと大見得を切ったのだ。
――しかし。ゲームを開始して五時間が経過した頃。
お昼ご飯を食べることも忘れ、画面に食い入るようにプレイする瑞樹の横で。結衣は、信じられないものを見るような表情で、ポカンと口を開けてテレビ画面を見つめていた。
結衣も見たことがない隠しイベントがポコポコと発生し、どう考えても主人公が幼馴染ではなく、他校生である和葉を異性として明確に意識し始めている流れに入っているのだ。
「……ねえ瑞樹くん。こっそりスマホで攻略サイト見た?」
「初見でそんな野暮なことするわけないだろ、馬鹿か」
結衣の疑いの問いに、瑞樹はコントローラーから目を離さずにムッとして怒る。
そんな風に結衣が疑ってしまうくらい、瑞樹は初見にもかかわらず、恐ろしく順調に難関の『和葉ルート』を突き進んでいたのだ。
「和葉が可愛くて死ぬ」
「真顔で言う台詞じゃないよ、それ」
表情一つ変えず、淡々と正確にボタンを押していく瑞樹にツッコミを入れる結衣。彼女はお昼ご飯もすっ飛ばしてプレイしている瑞樹に呆れつつも、甲斐甲斐しくずっと隣に座り、一緒にゲームを楽しんでくれている。
と、画面に重要な選択肢が現れた。
主人公と和葉が一緒に部屋でゲームで対戦し、負けた和葉が『罰ゲームとして主人公の言うことを一つ聞く』という胸キュンな場面。
主人公が和葉に対して『何を要求するか』をプレイヤーが選べるのだ。
(なんだか、今俺が結衣とやってるこの状況に似てるな)
そう思いつつ、瑞樹はコントローラーを置き、隣の結衣に向かって真顔でお願いをした。
「結衣。ちょっと、俺の右腕に結衣の腕を絡めて、腕を組んでみて」
「ん」
結衣は言われた通り、なんの抵抗もなく瑞樹の腕に自分の細い腕を絡める。柔らかい感触がダイレクトに伝わってくる。
「じゃあ次は、俺と手を繋いで」
「ん」
結衣がスッと小さな左手を出す。瑞樹はその手を覆うように上からかざし、そのまま指の間に自分の指を滑り込ませ、ギュッと恋人繋ぎで絡め取った。
「……っ」
手のひらが合わさった瞬間、結衣の体がピクッと小さく跳ねるように震えた。だが瑞樹は構わず、組まれた腕と繋いだ手の感触を確かめながら、真剣な眼差しで画面の選択肢を見つめる。
画面の二択は、『腕を組みたい』と『手を繋ぎたい』だった。
瑞樹は何かを納得したように小さく頷くと、結衣からそっと手を離し、迷わず『手を繋ぎたい』を選択した。
すると画面いっぱいに大きなハートのエフェクトがハレーションを起こし、背景にあった『友情』と書かれた分厚い石のオブジェクトに、ピシッと決定的なヒビが入った。
和葉ルートのフラグとして、見事に大成功したっぽい。
「はー、俺の才能が怖い」
「……なんか、ズルい」
熱を持った左手を胸元に隠しながら、結衣が不満そうに瑞樹を見上げた。
「さっきから、私をシミュレーションの実験台に利用してるよね」
図星だった。瑞樹は主人公を『自分』とし、攻略対象の和葉を『結衣』に置き換え、選択肢や行動先を選ぶ時に、結衣の反応を見たり実際に試したりして決めていたのだ。
これをズルいと言われたらその通りとも取れるが、瑞樹は一発攻略のために手段を選んではいられなかった。
ゲームを始めた当初、和葉は『雫』に重なると思っていた。だが、その快活でオタク趣味に全力な性格や、ふとした瞬間に見せるいじらしい反応を鑑みたら、どうしたって隣にいる結衣の姿に重なって思えてしまうからだ。
当然、『お前を攻略するつもりでやってる』なんて恥ずかしいことは口が裂けても言えないので、瑞樹はあくまでも「リアルな女子の反応を参考にするためだ」と言い切っていた。
「和葉を幸せにするために、尊い犠牲になってくれ」
「なんか、瑞樹くんに都合良く使われる女みたいでヤダ」
「まあまあ」
そう言いながら、瑞樹は右手で不貞腐れる結衣の肩を抱き寄せ、ポンポンとその頭を撫でた。
選択肢の度にこうして過剰なスキンシップを図ってきたせいか、自然と現実世界でもラブコメの主人公ムーブをしてしまう瑞樹。
そして結衣も、度重なる接触と持ち前のパーソナルスペースがゼロに近い性格のおかげで、特に拒絶することもなく、撫でられるがままに受け入れている。
「そうやって撫でたら、簡単に女の気が晴れると思ってるでしょ」
「さっきのイベントで和葉も機嫌が直ってたんだから、結衣も直れ」
「すごい暴論だと思う!」
「うるさい、今大事なシーンなんだから黙ってろ」
瑞樹は結衣の頭を撫でていた右手をそのまま彼女の背中から腰へと回し、ソファーの上で自分の股の間に結衣をすっぽりと移動させた。
そして、背後から抱きしめるバックハグのような形で両腕を回し、結衣のお腹の前でコントローラーを握り直した。瑞樹の胸板に結衣の背中が密着し、彼女の小さな体が完全に瑞樹の体の中に収まる形になる。
結衣はそれさえも自然に受け入れ、「んっ」と小さく息を吐いて、完全に瑞樹の胸に背中を預けて体重を乗せた。
「……このままじゃ、本当に一発で攻略出来ちゃいそう。初見で幼馴染以外のヒロインの壁を越えるとか、人類初かも」
「もっと褒めていいぞ。そして、『なんでもする』って言ったことを、今のうちから震えて後悔するがいい」
はっはっは、とわざと悪役のような低い声で笑う瑞樹。
「やっぱり、瑞樹くんは根っから魔王側なんだよなぁ」
「俺は悪い奴だからね」
「悪い奴は、自分で自分のこと悪い奴って言わないから悪い奴なんだよ」
その結衣の何気ない言葉に、瑞樹の胸の奥で黒い感情が微かに疼いた。
カチャッ、と瑞樹がコントローラーを握る手に無意識に力が入り、両腕が結衣の柔らかいお腹を少しだけ強く締め付けてしまう。
「――んっ……」
結衣の口から、苦しさなのか、それとも別の感情からなのか、甘い吐息のような声が短く漏れた。
「……ごめん」
「……うん。いいけど」
瑞樹が少し腕の力を緩めると、結衣は安心したようにまた体を預けてきた。
そこから数時間。
二人は密着して体温を共有する同じ体勢のまま、深くゲームの世界へと没入していった。さっきの選択肢以降、瑞樹は結衣を実験台にすることなく、完全に『自分自身の意思』のみで選択肢を選び続け――。
やがて、窓の外が夕闇に染まる頃、エンディングを迎えたのだった。




