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第8話 幻想(4)

 朝食後、瑞樹と結衣はキッチンのシンクに並んで、二人で洗い物をしていた。


「このあと、夜のアニメの時間まで何して遊ぼうか?」


 そんな他愛のない相談をしながら、瑞樹がスポンジに洗剤をつけて皿を洗い、結衣がその横で受け取って水で流し、水切りカゴに並べていく。


 と、そこで、結衣がカゴに並べた食器を見て、あることに気付いた。


「ねぇ、瑞樹くん」


 結衣は、おかずを盛る用の平皿を瑞樹に見せた。


「やっぱり、瑞樹くん用のご飯茶碗とお椀も、必要だよね」


 何から何まで、完全に一人暮らしを想定したワンルームの結衣の部屋。

 無論それは食器類にも当てはまり、ご飯茶碗や汁物用のお椀も、結衣の分の一つずつしかなかった。だから瑞樹はさきほどの朝食で、自分の分は少し深めの適当なサラダ皿に白米と味噌汁を盛って食べていたのだ。


「そこまで揃えてもらうのは悪いよ。あるもので構わない」


「えー。ご飯は見た目も大事じゃん。それに、作ってくれた人が変なお皿で食べてるのって、一緒に食べる私としても、なんか居た堪れないんだけど」


「そーゆーもんか?」


「そーゆーもんだよ」


 そもそも、そんなに高頻度でお泊まりに来るわけでもないのに、そこまで自分専用の食器を用意する必要があるのかと疑問に思う瑞樹だが、結衣がそう主張するならそうなのだろう。


「じゃあ明日、帰りにでも駅前の雑貨屋で買おうかな」


「私も一緒に行く。で、そのまま私がうちに持って帰って洗って置いとくね」


『瑞樹くんが次来る時の、荷物になっちゃうし』と、結衣は当たり前のように付け足した。


「……おっけー」


 洗い物が程なくして終わり、手を拭いた瑞樹は「さて何をしようか」と、部屋を物色するように見回した。


 結衣の部屋は、趣味に溢れていてオタクには夢のような空間だ。


 壁には推しのアニメのポスターが綺麗に額装されていて、棚には厳選されたスケールフィギュアが飾られている。漫画本もかなりの数が本棚に揃えられており、テレビの横には最新のゲームハードが設置され、ソフトもジャンル問わず沢山積まれていた。


「なんか、気になるものでもあるのかな?」


 部屋を見回す瑞樹の傍から、結衣がちょこんと顔を出す。


『あんまりジロジロ見ないでよ、恥ずかしい』なんて、普通の女子特有の台詞は彼女からは出てこない。むしろ、自分の好きなものを理解できるオタクの瑞樹には、見てもらうのが嬉しいまであるのだ。


「……マジで、夢のような部屋だなって思って」


 広い部屋だというのに、結衣はいつものようにピッタリと瑞樹の腕にくっついてきている。


「そっか。瑞樹くん、一緒に住んでる幼馴染たちには、オタク趣味のこと内緒にしてるんだっけ?」


「……そうだな」


 朱音も一花も遊も、瑞樹が筋金入りのオタク趣味があることを全く知らない。だから瑞樹の部屋は、一見するとオタクとはとても思えないような、シンプルでありふれた男子高校生の作りになっている。


「なんで? 偏見あるとか?」


 瑞樹の脳裏に、かつての最愛の女性『更科雫』の顔が過った。


 彼女はオタク趣味があり、それを勇気を出して幼馴染たちに告白した。そして瑞樹はその背中を押した。結果、あの幼馴染たちはその趣味を残酷に否定し、拒絶したのだ。


 そして雫は、その命を手放した。


 だから内緒にしている、というわけではない。


 彼らに自分の趣味を打ち明け、また雫の時と同じように否定されたとしても、今の瑞樹にはきっと何の感情も湧かないだろう。


『ああ、やっぱりそういう奴らだよな、お前たちは』という、冷たい感想だけで終わると思う。


 だけど何故か、絶対に言うつもりはなかった。


「瑞樹くん?」


 結衣が、瑞樹の腕をきゅっと引っ張る。


 瑞樹の目の前に、キョトンとした顔で首を傾げる結衣がいる。


(ああ、そうか……)


 瑞樹がオタク趣味にハマった当初こそ、わざわざ告白することでもないと無関心で内緒にしていたが。


 今は、明確に『黙っておきたい理由』があった。


 結衣のことを、あいつらに馬鹿にされるのが嫌だ。


 結衣と過ごすこの大切な時間を、あいつらの無神経な言葉で汚され、否定されるのが許せない。


 無意識のうちに、瑞樹はそう思ってしまっていたのだ。


「……ああいや、ごめん。ちょっと考え事してた。それより、あれやりたい」


 瑞樹は積まれたゲームソフトの一つを指差して、話題を無理矢理変える。結衣は一瞬不思議そうな顔をしていたが、それ以上深く聞いてはこなかった。空気が読め過ぎて、本当に助かる。


「これ?」


 結衣は瑞樹が指差すソフトを手に取り、パッケージの表紙を見せてきた。


『男女の友情が成立するわけがないっ!』


 結衣が大好きな学園ラブコメアニメを舞台にした、アナザーストーリーを楽しめる恋愛シミュレーションゲーム。いわゆる、ファン向けのキャラゲーってやつだ。


「結衣に勧められて原作のアニメ観たけど、あれヤバかったわ」


「でっしょー!」


 結衣は我が事のように瞳をキラキラとさせる。自分が好きなものを好きな人に理解してもらえて、心底喜んでいるように見えた。


「ヒロイン、全員可愛すぎて」


「そうなんだよー! 切ないけど甘々でいいよねー。死家みたいな重くて怖い話もなくて、純粋にラブを楽しめるから好きなんだよ。……ねえねえ、瑞樹くんは誰推し?」


 結衣は自分の手をマイクに見立てて、瑞樹の口元に突き出した。


「和葉(かずは)だな」


「おー! 和葉ちゃんいいよねー、私も大好き」


『男女の友情が成立するわけがないっ!』には五人のメインヒロインがいて、みんな主人公と何かしらの繋がりを持った「女友達」だ。


 その中でも和葉というヒロインは、主人公と同じオタク趣味を持っており、それを他の人には内緒にして二人だけで楽しんでいた。 

 仲良く楽しんでいるうちに、「友達」なのに「好き」という感情が生まれてしまい、和葉は思い切って主人公に告白する。しかし、鈍感な主人公はあくまでも彼女を気のおけない「友達」としてしか見ておらず、その恋は実らなかった。


 この和葉という存在が、瑞樹の中ではどうしても雫と重なってしまい、放って置けない大好きなキャラクターになったのだ。


 内気で静かな雫とは真逆の元気で快活なキャラクターではあったが、境遇が似ていて、アニメを観ながらどうしても目が離せなかった。


「ここで朗報ですよ、瑞樹くん」


「ん?」


 結衣が自慢げにソフトを指差す。


「このゲームなら、アニメで振られちゃった和葉ちゃんと結ばれるハッピーエンドも用意されてます!」


「はい神ゲー!」


 本編で叶わなかった恋を、プレイヤーの手で実らせることが出来る。これぞまさに、恋愛モノのキャラゲーの最高の醍醐味だ。


「では、瑞樹くんにやらせてあげよう」


 結衣がソフトを最新のハードに入れると、可愛いポップなBGMと共にゲームのタイトル画面が開始した。


 ソファに座る瑞樹の隣に、結衣もコントローラーを渡してちょこんと座る。


「さてさて、瑞樹くんの恋愛力はどんなもんかなー? このゲーム、狙った子と結ばれるの結構難しいから。もし一回で和葉ちゃんを攻略出来たら……なんでも言うこと聞いてあげる」


「ん? 今、なんでもって……」


「そのノリはダメ」


「知ってはいるのね、さすがオタクの結衣さん。じゃあ、何してもらおうかなー」


「……えっちなのは、ダメだからね」


 結衣は体を守るように両手で自分を抱き、ジト目で瑞樹を下から見上げてくる。


「……そんなこと、頼むわけがないだろ。俺の評価、どうなってんだ」


「意外とちゃんと中身は男の子だなって感じ」


「……否めない」


「まぁ、どうせ一回でクリア出来るわけないだろうし。出来たら考えていいよ」


 意地悪そうにニカっと笑う結衣。


 完全に、ゲーマーとして舐められている。


「……言ったな?」


 瑞樹は絶対に一発で攻略してやると、俄然やる気になってコントローラーを握りしめた。

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