第7話 遊戯(6)
公園のベンチで、瑞樹は一時間ほどかけてゆっくりと、そして丁寧に遊の心を「再構築」していった。
朱音の時とは少し違うアプローチをとった。
あの時のように「なかったこと」にして現実逃避させるのではなく、警察に連行され、両親に叩かれたという事実そのものは正面から受け入れさせた。その上で、両親がネットの悪質なデマに踊らされ、パニックになって誤解していたのだという「架空の真実」を、最もらしく説明して理解させたのだ。
「……僕は、まだ信じてもいいのかな。あの人たちのこと」
涙を拭い、すがりつくように戸惑う遊に対し、瑞樹は優しく微笑んでその肩を叩いた。
「今の両親は、お前が今まで出会ってきた『親だった人たち』とは違うだろ? 遊のことを本当に愛しているからこそ、裏切られたと思い込んで手が出てしまったんだ。ほら、遊が走り去った後、おじさんとおばさん、その場に泣き崩れていたんだぞ」
そう伝えてやると、遊の瞳に再び微かな希望の光が差した。
瑞樹の一時間の献身的な慰めと、巧妙な言葉の誘導。それによって、遊はあっけなく深い絶望から這い上がり、瑞樹の言葉をすんなりと受け入れた。
一度完全に壊れ切っている人間というのは、本当に扱いやすい。少しの衝撃で簡単にバラバラになる一方で、都合の良いパテで埋めてやれば、驚くほど簡単に『直しやすい』のだ。
本質的な部分は、朱音と全く同じだった。
瑞樹と遊が二人で夜道を歩き、シェアハウスの前に戻ってくると、そこには遊の両親が立ち尽くして待っていた。
(最高のタイミングだ)
瑞樹は、心の中で喝采を上げて笑った。
「遊っ……! ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「私たちが全部悪いんだ……! お前を一番に信じないといけないのに、少しでも疑った私たちが馬鹿だった……!」
両親は遊の姿を見るなり駆け寄り、涙を流しながら深く頭を下げ、許しを乞うた。
その言葉と、なりふり構わず泣き崩れる大人たちの姿を見て、遊の中に残っていた最後の疑念が完全に瓦解した。遊もまた涙を流し、両親と抱き合った。
かくして、遊と両親の間の絆は、致命的な崩壊からわずか一時間余りで劇的に回復した。
そして、その間を取り持った瑞樹に対し、遊も両親も深々と頭を下げて感謝するという、外から見れば感動的だが、内実を知れば吐き気がするほど訳のわからない構図が出来上がっていた。
なんて愚かな人たちなんだろうと、瑞樹は彼らに対して一抹の悲しみさえ抱いてしまう。
自分が仕組んだ罠に勝手にはまり、勝手に絶望し、そして自分が差し伸べた偽りの手を取って、勝手に救われているのだから。
でも、これでいい。
すべてが上手くいった。
この作られた苦難を乗り越えたことで、遊はまた一つ、瑞樹への絶対的な信頼と依存を海より深いものにしたのだ。
(これでいつでも、殺せる)
瑞樹は、顔に貼り付けた完璧な「優しい青年の笑顔」で何度も頭を下げる遊の両親を見送り、遊の背中を押してシェアハウスの扉をくぐった。
***
「おかえり!」
二人が玄関に入ると、一花と朱音が安堵の表情で出迎えてくれた。
「ゆーくん……っ、良かったっ……!」
一花が涙目で遊に飛びつき、その胸元に顔をぐりぐりと押し付ける。遊は照れくさそうに「ただいま」と一花の頭を撫でた。
「瑞樹くん……本当に、ありがとう」
朱音は瑞樹の隣に寄り添うと、服の袖をちょこんと掴み、潤んだ瞳を震わせて見上げてきた。
「心配かけてごめん」
「ほんとだよ! 夜にいきなり警察が家に来た時は、心臓止まるかと思うくらいビックリしたんだから!」
「何事もなかったんだよね……?」
朱音が心配そうに瑞樹を見つめる。瑞樹が安心させるように答えるよりも先に、遊が明るい声で答えた。
「大丈夫だよ。警察は、ちょっと近くであった事件のことで、僕に話が聞きたかっただけだったんだ。その後、ちょっと外で落ち込むことがあったんだけど……古河が助けてくれたんだ」
命の恩人だよ、と遊は瑞樹の方を見て付け加え、心からの笑顔を向けた。
「そんな大層なことじゃないよ。ほら、お腹空いただろ。ご飯にしよう一花、朱音」
瑞樹は二人の肩をトントンと軽く叩き、リビングへと促した。
「みーくんの言う通り、朱音ちゃんと一緒に美味しいご飯作って待ってたんだからね!」
得意気にふんすっと胸を張る一花に、すかさず朱音がツッコむ。
「作ったの、ほとんどあたしだけどね? 一花はずっとソファで『ゆーくんが捕まっちゃう』って泣きながら項垂れてたじゃない」
「美味しくなーれって、必死に念は飛ばしたよ!」
「念だけでご飯は作れないからね?」
キッチンに向かう二人の軽口に、四人の明るい笑い声がリビングに響き渡る。
昨日までの、狂気に満ちた、でもどこか心地のいいいつもの幼馴染たちとの時間が戻ってきた。
「準備するから、瑞樹くんたちは座って待ってて? ほら一花、手伝って」
「はいはーい!」
キッチンに二人が向かい、瑞樹と遊は向かい合って食卓テーブルに腰を掛けた。
そこで遊が、改めて瑞樹に向かって深く頭を下げた。
「古河。本当に、今日はありがとう」
「いいって。俺たちの仲だろ」
瑞樹は照れくさそうに笑い、手をヒラヒラと振る。
「いや、古河が真っ先に追いかけてきて助けてくれなかったら、僕はまた、あの暗くて冷たい世界に落ちるところだった。親だけじゃなくて、古河たちでさえ、信じられなくなってたかもしれない」
「大袈裟だな、遊は。……お前はもう、昔みたいにそんなに弱くない。俺はほんの少し、立ち上がるための背中を支えただけだよ。遊は自分の足で立ち上がった。それが事実だ」
瑞樹は真剣な眼差しで見つめてくる遊に、優しく、慈愛に満ちた微笑みを返した。
「敵わないな、ほんと。僕もいつか、古河やみんなをちゃんと支えられるように強くなるから。……それまで、僕を支えてくれ」
「もう十分、支えられてるよ」
遊は「参った」と両手を挙げて、ふふっと穏やかに笑った。
「友情ごっこはもういいかな? さ、食べよ」
朱音が、湯気を立てるお皿を両手に抱え、二人の間にコトンと置いた。
「おお……!」
その本格的な見た目に、感嘆の声を漏らす遊。
「今日は朱音ちゃん特製のボロネーゼだよ! コンソメスープに、色とりどりのシーザーサラダもついてまーす!」
一花が四人分のスープと、生ハムの乗ったサラダをテーブルに手際よく並べていく。
「……ボロネーゼか」
思わず、瑞樹の口から微かな声がこぼれ落ちた。
「え、嫌いだっけ……?」
朱音が残りのパスタの皿をテーブルに置きながら、瑞樹の反応を見て不安そうに呟いた。昨日、結衣の家で作ったばかりのメニューだったから出た言葉だったのだが、朱音に気を遣わせてしまった。
「あ、いや、めっちゃ好き。すごく美味しそうだから、見惚れてただけ」
「良かった。さ、冷めないうちに食べよっか」
四人がテーブルにつき、綺麗に手を合わせる。
「「「「いただきます」」」」
フォークで巻き取ると、生パスタ特有のモチモチとした平麺に、粗挽きの牛挽肉と赤ワインでじっくり煮込まれた濃厚なソースがしっかりと絡み、ほのかな大人な香りが鼻腔をくすぐる。
上から削りたてのチーズが粉雪のように美しく振りかけられ、半分にカットされた色鮮やかなミニトマトと、緑のバジルの葉が上品に添えられている。
相変わらず、高級イタリアンの店で出てくるような完璧な出来栄えだ。
瑞樹は、昨日自分が結衣に作った男料理のボロネーゼとの圧倒的な差をひしひしと感じながら、熱々の一口を頬張った。
「……おいしっ」
計算し尽くされた殺意と狂気を腹の底に隠したまま。瑞樹は、愛しい幼馴染たちが作ってくれた温かい夕食を、心からの笑顔で味わった。




