第7話 遊戯(5)
この恐ろしくも完璧な計画を思い付いたのは、あの土曜日の昼下がり、ホームセンターで作業着を購入した直後のことだった。
もしも、溝口の部屋に設置する予定の隠しカメラの映像を使用することになったら。そして、もしもその映像の流出がきっかけで、何か大きな事件が起きたら。その時、警察の目を逸らすための『犯人役』、あるいは『容疑者役』が必要になるかもしれない、と瑞樹の冷徹な脳は計算したのだ。
だけど、その人物が本当に犯人である必要は全くない。警察になんとなく疑われ、接触されるだけで良かった。
その些細な警察沙汰をきっかけに、ようやく遊と向き合い始めた両親が再び彼を裏切るような真似をすれば、遊の脆い心をもう一度完全に壊すことが出来ると思ったのだ。
結果的に、すべては完璧に出来すぎた。
瑞樹が描いたシナリオの通りに、何もかもが狂いなく進みすぎた。
まず瑞樹は、ホームセンターで『天音遊が作業着を購入した』という事実をでっち上げることにした。
来店時と同じ格好の、顔を隠すためのマスクをしてキャップを深く被った姿で、購入した作業着を持ってホームセンターのサービスカウンターに向かった。そこにいたパートのおばちゃんに、「会員証を作りたい」と申し出たのだ。
そこで瑞樹は天音遊になりすまし、登録用紙に遊の名前と偽の住所を書き込んで登録した。ただのポイントカードだから、身分証の提示や顔写真の登録がなくて本当に助かった。
あとは、そのおばちゃんに『天音遊』という存在を強烈に印象付けるだけで良かった。
登録を終えた瑞樹は、おばちゃんに向かって真顔でこう言ったのだ。
『僕、天音って言うんですけど。今度、この作業着を一億着購入したいんですけど、在庫ありますか?』と。
馬鹿みたいな、突拍子もない嘘。だけど、この『突拍子もなさ』こそが、人間の記憶に最も残りやすいのだ。
一日に何十人もの客を接客するのだから、客の顔や名前なんてすぐに忘れられるだろう。しかし、意味のわからない狂ったエピソードであれば、記憶の片隅に引っかかっている可能性は高い。このおばちゃんに、後日警察が聞き込みに来た際、『作業着』というワードでこの不気味な客のエピソードを思い出してもらうことだけを期待した。
また、溝口の家の最寄りだという理由でたまたま選んだホームセンターだったが、これも大きな僥倖だった。遊が合宿している市立スポーツセンターから、歩いてこれるほど近かったからだ。これで、「合宿の途中に抜け出して作業着を買いに来た」という疑いの可能性を、警察が否定しにくくなる。
その後、瑞樹はマスクとキャップで顔を隠しながら街を歩き、タイミングを見て作業着に着替え、溝口の家に向かった。
この時、適度に店の外や道沿いに設置されている防犯カメラに映るように、あえて意識して歩いた。ホームセンターからの足取りを警察が掴みやすいようにするためだ。
そして予定通り溝口家に入り込み、通気口にカメラを設置した。
二日後の月曜日に、瑞樹は『復讐』のために再度溝口の家に行ったが、カメラはその時にちゃっかりと回収させてもらった。
月曜日に瑞樹が溝口の家に行ったことは、溝口の家のインターホンの録画データに残ってしまい、後々警察に怪しまれる原因になる可能性はあったが、そこは「幼馴染がレイプされたと知り、怒鳴り込みに行った」と正当性を主張すればいい。何の問題もなかった。
そして、木曜日。
溝口家が朝のニュースで大々的に騒がれた日。瑞樹は、例の先輩不良の取り巻きである本田に電話で指示を出した。
『土曜日の昼間、溝口の家の近くで、作業着姿の天音遊を見た。今日ニュースを見て、何か事件に関係あるのかと思った』
この内容を、匿名のタレコミとして警察にリークしろ、と。
ここからは、今まで瑞樹が水面下で蒔いてきた種が、綺麗に花開くかどうかの運任せの話だった。
瑞樹の目論見では、本田のリークを受けた警察がホームセンター周辺へ聞き込みに行き、サービスカウンターのおばちゃんが『作業着』というワードで「天音というおかしな客が来たこと」を思い出す。そして防犯カメラを追い、その天音遊を名乗る人物が作業着姿で溝口の家の方へ歩いていったというところまで、警察が勝手に一本の線で繋いでくれれば良かった。
見事に、目論見通りになったのだ。
どうやら天音遊は作業着を買って溝口家に行ったらしい。そしてその目撃情報もある。さらに天音遊は当時すぐ近くで合宿しており、抜け出して溝口家に行ける可能性は十分にある。
警察はすぐにそこまで調べ上げ、遊に接触した。
だからどうした?
それが一家心中とどう関係する?
証拠としては弱すぎる。だが、「何かしら事件の裏に関係しているのではないか」と警察を動かし、任意同行を求めるには十分な理由だった。
それだけでいいのだ。遊が『警察から疑われている』。その不穏な事実を生み出すだけで、瑞樹は満足だった。
一花から「遊が警察に連れていかれた」とパニックの電話を受けた時、瑞樹は自身の完璧な盤面に酔いしれた。
そして、仕上げの最後のひと押しとして、遊の両親に決定的な嘘の情報を刷り込ませたのだ。
「警察が動いた」と両親を警察署の前に呼び出した瑞樹は、遊が取り調べを終えて出てくるまでの数十分の間に、『すでにネットで拡散されている噂』として、事前に自作しておいた架空のネットニュース掲示板のスクリーンショットを両親に見せた。
『男子高校生のA。溝口家の一家心中に関与か?』という扇情的な見出しと共に、目線が黒塗りされた遊の隠し撮り写真。そして、「作業着姿で溝口家の家に訪問していた」とか、「合宿を抜け出してホームセンターで変装道具を購入していた」など、あたかも遊が一家心中の原因を作ったと確信させるような、巧妙な内容の記事を作成しておいたのだ。
『本当かどうかわかりませんけど……こんなものがネットで出回っていて……』と、瑞樹は深刻そうな顔を作ってスマホの画面を見せた。
その架空のニュースページを見た両親は、完全に絶句した。
息子が心に深い問題を抱えていることは知っていても、まさかそんな犯罪に加担するような子だとは思っていなかった両親。警察に呼ばれたという揺るぎない事実と、このもっともらしい偽造記事が相まって、彼らは完全に『嘘を本当だと信じ込んだ』のだ。
そして、遊が警察署から出てきた瞬間。
両親は『自分たちの世間体』と『子を愛するが故の歪んだ正義感』から、最悪のタイミングで、遊の頬に決定的な拒絶の一撃をかましてくれた。
すべて、計画通り。
すべてが瑞樹の掌の上で踊っている。上手くいきすぎて自分が怖いくらいだ。
盤面は揃った。
あとは、誰にも理解されず、絶望の淵で一人泣いている遊の元へ駆けつけ、この手で優しく救い出してやればいい。
そうして朱音の時と同じように、自分は味方だと刷り込み、さらに信頼を得て、骨の髄まで依存させるのだ。
瑞樹は暗い夜道を走り抜け、やがて住宅街の端にある小さな公園のベンチで、膝を抱えてうずくまっている遊の姿を見つけた。
その華奢な背中が一瞬だけ、かつて同じように絶望し、この公園で泣いていた『最も大好きだった女性』の姿と重なって見えたが、瑞樹は小さく首を振ってその幻影を振り払い、足音を立てて近付いた。
「……ここ、小さい頃、よくみんなで遊んだ公園だな」
「古河……!」
驚いたように、涙で顔をぐしゃぐしゃにした遊が瑞樹を見上げる。瑞樹は聖母のように優しく笑いかけ、彼の隣に腰を下ろした。
「なんでっ……なんで古河が……くっ……」
「お前が泣いてる気がしたから、迎えに来た」
瑞樹は、震える遊の肩を両腕で強く、力強く抱きしめた。
「辛い時は、俺がずっと一緒にいてやる。俺を信じろ。俺はお前らの……絶対のヒーローだからな」
「うっ……うあああっ……古河ぁっ……!」
遊は瑞樹の胸に顔を埋め、堰を切ったように声を出してボロボロと涙を溢した。
瑞樹は、遊の背中を優しく一定のリズムで撫でながら、彼の視界に入らない頭上で、獣が獲物を前にしたように口を大きく三日月に歪め、ニタニタと音のない笑いを浮かべた。
(ああ、こんなにも愛おしくて、可哀想で、綺麗な君たちを……)
――早く、俺のこの手で殺してやりたい。




